第一章


 紫絵里が瑠依に絡まれた事、紫絵里の願い事、優介の事を好きになるなと釘を刺された事、そしてあの石の事。
 真理はもやもやとした感情を抱き、落ち着きをなくしていた。
 小さなさざ波が次第に大きく揺れてうねるように心に溢れてきている。
 それを必死に抑えようとしていても、紫絵里が見せたあの石のせいで、気持ちが激しく揺れ動いていた。
 心乱されている真理のその傍で、マリアは静かにじっと様子を窺っているが、あからさまに様子がおかしい真理に敢えて口を閉ざしているようだった。
 真理とは常に顔を合わせ、二人は狭い部屋を共有しているため、どうしてもその存在は無視できない。
 狭い空間で、マリアが不自然に沈黙を守り、口を開かない方が、真理には居心地悪かった。
 自分の心を見透かされないように、冷静を保ちながら真理は、敢えて切り出す。
「言いたい事があるんだったら、はっきりと言ってくれてもいいのよ、マリア」
「ううん、別に何もないわ。それよりも、真理、あなたが心配」
 首を横に振り、消えゆきそうな声でマリアは言った。
 自分を気遣っていることは真理にも充分承知だったが、気がかりなことを黙っている訳にはいかなかった。
「それなら、なぜ、月の光の石が他の人の手に渡ったの? もしかして、マリアが私のふりをして紫絵里に渡したの?」
「そうね、私たちはそっくりですもの。私があなたのフリをすればそれは可能ね。でも私じゃないわ。私は紫絵里には会ってない。学校に行ってないもの」
「嘘! マリアは時々、私に内緒で外に出ているわ」
「どうして、そんなに断言できるの?」
「クラスの松永君が病院で私とすれ違ったって言ってた。それって、マリアでしょ。どうして勝手にそんな事するの。とても危険なことじゃない」
「ごめん、真理」
「やっぱり、嘘ついてたのね」
「ううん、嘘はついてるつもりなんてないわ。ただ、言わなかっただけ。ちょっとした気まぐれだったの。だから、病院にはふらりと行ってしまったことは認める。ごめん、真理」
「私に謝る事なんてないわ。私はマリアが心配なだけ。その体で出歩いたら、もしもの事があったらどうするの?」
「うん、わかってる。でもどうしても抑えきれなかったの。あそこに行けば、あの人に会えるんじゃないかって、ついふらふらと出歩いてしまった」
 弱々しく微笑むマリアが幼気(いたいけ)で真理はいたたまれなくなると、自然とマリアを抱きしめていた。
「マリア、あなたの気持ちよくわかるわ。あなたが苦しむと、私も苦しくなるもの。私がなんとかしてあげたい」
「真理、いいのよ。私は大丈夫だから。真理の方がもっと心配だわ。あなたは私のために苦しんでばかりだもの」
「そんなの、時間が経てば忘れて行くわ」
 憂いな顔を見せまいと、真理は少しだけ気まずく目をそらした。
「やっぱり、いつも苦しんでるのね。私がこんな体じゃなかったら、真理はもっと自由だったのに。迷惑一杯かけてごめん」
「何を言ってるの。マリアの気持ちは私だけが理解できるのよ。だから、無理しちゃだめ。もっと慎重になって」
 二人はお互いを強く思いやり、気持ちを重ねて暫く抱き合っていた。
 マリアは葛藤しながらも、真理の気持ちが嬉しく素直に喜びをこの時抱いていた。
 二人が落ち着きを取り戻した時、真理はマリアに自分の気持ちを正直に伝えた。
「私ね、クラスに気になる人がいるの?」
「気になる人?」
「うん。その人、いつも明るくて、楽しくて、そして、こんな私にも笑顔を見せてくれるんだ。すごく優しい人。マリアも会ったことある人よ」
「その人は、私を病院で見かけた、松永優介っていう人?」
「そう。偶然マリアを見てしまったことで、私の事、気にかけるきっかけになった。だって私たちそっくりだもの」
「なんだか、それも運命的なものを感じる。その男の子とは上手くいきそう?」
「ううん。今はそっと見つめてるだけ。紫絵里が、松永君の事好きなの。それで、私はでしゃばれない。紫絵里も邪魔をしてほしくないって思ってるわ」
「それじゃ、紫絵里と、松永君が上手くいってるの?」
「多分、そうなのかもしれない。二人はいつも意気投合したように話してるし、最近、紫絵里も色気づいてきた感じ。告白はまだみたいだけど、紫絵里は上手くいきそうって思ってる。あの石を握りしめながら」
「なんだか悲しいわ。あの石に頼るなんて。あの石は欲望に反応しているだけなのに」
「ほんとに、あの石、マリアが渡したんじゃないの?」
「いいえ、私じゃないわ。だけど、あれを持ってきたのはハイドなのは確かね。ハイドは近くで私たちを見てるのかもしれないわ」
「マリア、それって……」
「ダメ、それ以上は言わないで。私、どうしていいのかわからなくなっちゃう」
 マリアは真理から目を逸らし、ぐっと体に力をいれた。
「好きになるって、苦しいだけだね。私も松永君の事で色々悩んでしまう。それと紫絵里の事も」
「紫絵里は松永君の事、諦めた方がいいのに。この先、紫絵里は辛い思いをしそうな気がする。あの石は人の心を狂わすもの」
「だけど、もう後には引けないわ。彼女のやりたいようにやればいい」
「真理はそれでいいの? また苦しむようになるわよ」
「いいの。紫絵里が松永君の事を好きになるのは自由だし、あの石がどういう風に導くのかは、もう止められない。私は臆病なの。一人秘密の想いを抱いて見ているだけしかできない」
 真理はマリアをじっと見つめ、そしてマリアもそれを真っ向から受け止めた。
 二人ともお互いの幸せを願い、どちらも自分の事のように、覚悟を決めて思いやっていた。
 この先の事を考えると震えるように、二人は自分たちの行く末に恐れるも、その時を待とうとお互い励まし合っていた。
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