第三章


「今日ね、松永君と紫絵里にマリアの事話したんだよ」
 ベッドの縁に腰掛け、真理はこの日の出来事をマリアに報告する。
 横になっていたマリアは、ゆっくりと身を起こし、枕をクッションのようにして心地よい位置に体をもたせ掛け、聞く用意ができたと微笑んだ。
「それで、私の顔が見たいって言われたのね」
「あっ、わかっちゃった?」
「いつも同じこと言われるじゃない。だから私の状態を窺ってるのね」
「調子どう?」
「調子は悪くないわ。それよりも、昨日の報告を受けてないんだけど、遠足は楽しかったの?」
「ごめん、なんか疲れてしまって、報告するの忘れてた」
「嘘! 何かあったから、しない方がいいって、判断したんでしょ。私が気にするから。正直に言って、真理」
 黙っていたことで、却ってマリアに気づかせてしまっていた。
 簡単に逃げおおせる訳がなかった。
 マリアはハイドの存在をすでに感づいていた。
「ほら、何を黙り込んでるの、真理。ハイドに会ったんでしょ。それで良心の呵責を感じてるの?」
「マリアだって複雑でしょ。ハイドに会いたいのに自由に会えなくて」
「だからといって、真理がハイドと会ったからって気を遣うことなんてないわ。ただあなたに心配かけてしまうことが心苦しいだけ」
「私は……」
 その後の言葉を真理はどう続けてよいのかわからなかった。
 暫し沈黙が続いた。
「それで、誰かが近くで亡くなったんでしょ」
 単刀直入にマリアが訊いた時、真理はビクッと肩を震わせた。
「やっぱりね。でも仕方のない事。ハイドが近くに居ようが居まいが、いずれ自然に起こったことだろうし、ほんの少しだけ時期が早まってしまっただけ。何も罪の意識を感じなくてもいい。そうでしょ、真理」
「そうね。ハイドは悪でもなんでもない。彼はちゃんと見極めてやってるわ。それが彼の本来の仕事なんだもの」
「ありがとう真理。ほんとはあなたの気持ちがよくわかってるの。私を労わるために、無理してくれてることも」
 お互いの事を主張しながらも、結局は妥協点を見つけ、二人の考えは同じ所で落ち着く。
 何度とそれは交わされ、同じことを繰り返し、そしていつも同じ結果へと導く。
 その過程で真理は常に葛藤し、マリアもその様子を見ているのが辛くとも、二人はその先の答えを完璧に知っていた。
 そしてまたその結果を求める時期がやってきたこともわかっていた。
「ところで、真理、優介とはどうなってるの?」
「優介?」
「松永優介の事に決まってるでしょ」
「マリアが呼び捨てにしなくても……」
「それで、優介とは一体どうなってるの? 相変わらず、紫絵里が独り占めしてるの?」
 話したくなさそうに真理は顔をそむけた。
「もう、真理、しっかりしなさい。何を遠慮してるの」
「紫絵里は松永君と楽しそうにしてるし、私が入り込む隙なんて」
「ちょっと待って。それ本気で思ってる? 本当は優介と紫絵里は似合ってないって感じてるんでしょ」
 真理は黙り込んでしまった。
「ほら、自分の意見が言えなくなると、真理は逃げてしまう。そういうときは大抵、思ってても口に出したくないからなのよね。真理は本心をいつも隠す」
「だからといって、いつも心のままに吐き出すのがいい事なの? 思ってても言ってはいけないことはあるわ。それに簡単に自分の嫌な心の内を常に人に見せるほどうんざりするものはない」
「真理の言いたい事はわかるわ。だけど私の前ではいいって事なのよ。私だけが真理を擁護してあげられるんだもの」
「例え私が間違った事をしても?」
「もちろんよ。私たちは特別な姉妹なのよ。ずっと心は一つで繋がってるわ。あなたが感じることは私も感じるの。だから何も恐れることはないのよ」
 マリアの言葉が真理の思いと重なる。
 それは真理も同じことだった。
 真理の気持ちが少し解れ、真理は頼りたいとばかりにマリアの手を取りしっかりと握った。
 普段思う事、優介と紫絵里の事、学校での事を色々と本音で語る。
 マリアは自分の事のように、その話を興味深く聞いていた。
「私はずっと引きこもってるけど、外に出るって本当に大変ね。時々、知らないから幸せなのかもなんて思っちゃうわ。なんでも知ってしまうと却って辛いのかも」
「それをどう自分に取り込むかで、やり過ごせる事もあるわ。だから私はいつも静かに色々な事を見る」
「真理は賢いから、物事を達観できる。普通の人間にはできないわ。人は自分の姿が隠せると、好き放題言って欲望を露わにする。そして棘の鎧を身に着けて、気に 食わないと次々攻撃してしまう。そこにはプライドがあるからなのよね。自分を型にはめ込んで変えられないために、それが傷つくとやっかいな事が起こる」
「傷?」
「そう、それは人から攻撃されても、または自分自身の湧き起る感情でも、受けてしまう。紫絵里をよく見るといいわ。彼女はわかりやすいぐらいにこれから壊れていくと思うから」
 マリアの笑みがこの時邪悪に見え、真理は喉の奥で息が引っかかった。
「彼女は周りが見えなくなっている。ほんの少しバランスが崩れたら、彼女みたいな人程壊れやすいわ。真理もそれがわかってるから、あの石を取り戻したいと思うんでしょ」
「そうね、紫絵里はあの石に頼りすぎている。紫絵里が思うほどの力なんて全くないのに」
「信じ切ってる人もやっかいね。片寄った考え方で自分が思う方へ傾いて、それが正しいと信じた時、そこで固定されてしまう」
「だけど、それは私たちがあの石の本当の役割を知ってるから、否定できる」
「でも、紫絵里のような人が必要なのも事実。あの石の力が強くなってきたから、私を紫絵里に会わせてもいい話をしたんでしょ」
「あっ……」
「真理、何も恐れないで。あなたは自分の思うままにすればいい。優介はあなたのものになるわ。遠慮なんてすることないの。優介もすでにあなたの事が気になってるはずよ。だって、私がそう仕向けたのだから」
 笑みを浮かべているのに、マリアの表情は冷たく邪悪に感じた。
 それがまったく自分と同じ顔であるために、真理は鏡を見ていると思い込むほどだった。
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