第四章 天使と少女の恋の先にあなたがいた
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雨が降り続くピークも過ぎ、梅雨もあと少し我慢すれば、いずれ明けていく頃になっていた。
本格的に夏を迎える七月がすぐそこまで来ていた時、同時に期末テストも待ち構えていた。
「瀬良は余裕だろ。お前、勉強できるもんな」
英語の授業が終わった直後の休み時間、机の上に突っ伏して諦めモードの優介に言われ、紫絵里は気分よくしていた。
席替えでいい席を取ってから恋に目覚めた乙女は、いざという時のために、勉強を怠らなかった。
授業中に当てられて、自分がさっと答えられるためにも、優介が答えられない時に助け船を出せるためにも、地道な努力に励んでいた。
その甲斐もあって、紫絵里はあまり困らずにいた。
「なんなら、一緒にテスト勉強しようか」
得意になってしまった紫絵里の言葉に優介は一瞬黙り込む。
「…… いいや。足手まといになったら悪いし。俺は赤点さえ取らなければいいや。それくらいなら、なんとか頑張れそうだし」
本当は一緒に勉強したかった紫絵里だったが、確かに優介が傍に居れば勉強に身が入らないのも事実だった。
結局どっちがよかったのかわからないまま、次の授業のために、数学の教科書を取り出していた。
傍に真理がいるのに、紫絵里はその存在に気を遣うこともなく、時々真理を無視している。
それは二人の間では暗黙の了解のように、紫絵里が優介と話している時、真理は遠慮することを義務つけられているようだった。
しかし、この日は違った。
「でも松永君、数学得意でしょ。松永君は理数系なら強いと思うな」
真理は優介がちょうど机から出した数学の本を大胆に奪い取り、ページを捲った。
「この問題なんだけどさ、これ教えてくれない?」
教科書の問題を示すも、真理の白いほっそりとした指先が先に優介の目に入った。
「えっと、それは」
問題よりも真理の手の方が気になる。
しどろもどろになりながらも、優介は期待されている分、必死になってその問題を解いた。
「多分これであってるはずだけど」
遠慮がちに真理を見つめれば、そこには素直に感銘を受けて驚いている顔があった。
その後、優介の目をしっかりと見つめてニッコリと微笑まれ、優介はドキッとしてしまう。
「すごいわ。松永君」
いつもは目を逸らし、顔を隠しがちの真理だが、まともに見たその笑顔ははっきりと美しさが浮き上がって見えた。
それは優介が、病院ですれ違った時に目に入った時の笑顔と同じものだった。
一度見れば忘れられないくらい印象深い外見だったから、優介は常に覚えていた。
それが例え姉のマリアだと言われても、この瞬間、目の前にその顔があれば、どっちでもいいように思えてしまう。
真理が身近にいるのなら、真理を取るのが当たり前のように、優介はその笑顔に見とれていた。
二人のやりとりですっかり除外されてしまった紫絵里は、本能的に危機を感じ、この流れがいいものではないと直感した。
そして真理が自分を差し置いて、積極的に優介と話をすることが許せず、めらめらとした心の醜い炎が燃え盛った。
それを今は必死に抑え、無理に笑顔を作った。
何気ない顔で二人の間に入り込んでいく。
「ほんとだ、すごいな松永君」
「紫絵里はずっと隣にいて、松永君の実力に気が付かなかったの? それともライバル意識持って、自分の方ができるからと思い込んで見えなかったのかしら」
突然の嫌味とも取れる、真理の意地悪な言葉。
紫絵里の心で泥水のようにわだかまる。
「いや、総合的に見て、瀬良の方が俺よりできるから、そんなライバルなんて大げさな。だけど、少しでもいいところが見せられて、俺は得意げかも。ハハハハハ」
恥ずかしげに照れた優介の笑い声と重なって、その時チャイムが鳴った。
そこで終わりと告げられたように、紫絵里は少し落ち着いた。
真理は自分の席に戻っていく。
たまたま、期末が近付いていて、真理は焦りから気が立っていただけ。
紫絵里はそう思い込もうとしていた。