第四章


 期末試験が始まる頃には、噂話や、浮ついた話はピタッと止まり、切羽詰まった雰囲気に飲まれて、誰もが自分の事しか構えずに試験に集中していた。
 試験中は出席番号順に座るため、優介と離れてしまった紫絵里も、ここは我慢して試験の事だけを考えることにした。
 紫絵里が優介と一緒にならなければ真理も話しかけるチャンスはなく、それぞれがバラバラになってしまった。
 優介の傍に居られないことは物足りないが、真理と優介が離れることで紫絵里は少しだけほっとする。
 午前中は試験を受け、その後はすぐに帰宅するだけで、淡々と過ぎていく。
 気が付けば試験がすでに終わっていた。
 試験が終わった直後にまた元の席に戻し、紫絵里はようやく優介と言葉を交わすことができた。
 当分は勉強しなくてもいい開放感もあって、喜びも一入だった。
「あー疲れたぜ。瀬良はどうだった。どの教科もできたか?」
「なんとかやったと思うけど、答案が返ってくるまでわかんないよ。松永君はどうだった?」 
「まあまあってとこかな。もう泣いても笑っても仕方ないから、終わった事だけを楽しむよ」
「そうだね。今日はゆっくり寝られそう」
「俺もこれからちょっと用事があるし。それじゃ、また明日な」
 優介はあっさりと帰宅していった。
 紫絵里は物足りない寂しさを感じるが、明日になればまた優介の隣に座り、話をすることができる。
 それを考えれば、楽しみにもなるが、ただ夏休みが近づき優介の傍にいられる日数もカウントダウンに入り、紫絵里の気持ちは焦ってきだした。
 あの石に願って二度続けて同じ席になれたとはいえ、次も果たしてそうなるのだろうか。
 真理が入り込んできた不安もあり、どこかで願いが叶わないと疑う気持ちが芽生えていた。
 自分が否定的になってきている。このままでは悪い方向へ流れるかもしれない。
 焦りと恐れが膨れ上がると、紫絵里は切羽詰まってきだした。
 何としても終業式が来るまでに、はっきりと優介の彼女になる必要があった。
 紫絵里は願いが叶う石を取り出して、それを手に握り、ありったけの思いを込めた。
 強く願いを込めて祈れば、その石は熱を帯びたように温かくなり、紫絵里の胸も同時にぐっと強く高鳴る。
 奇跡を起こそうと、紫絵里は自分が勝手に抱いた期待を力強く信じ込んだ。
 ドクンと、胸の鼓動と石が共鳴した錯覚を覚え、紫絵里は手ごたえを感じたようになり、暫く祈りを止めなかった。
 教室は午前中で全てが終わった開放感に包まれ、この上なくほっとした和らいだ雰囲気が流れていた。
 皆、気が緩んで午後から遊びに行こうと計画を立てるものが一杯いる中で、紫絵里は一人席に着いて石を握ってトランス状態になっている。
 真理はそれを危惧しつつも、気にしないフリをして紫絵里に近づいた。
 不自然にならないように、試験が終わった喜びの笑顔を作り、紫絵里の肩を軽く触れた。
 紫絵里はハッとするも、真理だとわかると、瞳は挑戦するような凄みに鈍く光る。
 そして何をしてたか隠すこともなく、堂々と石を鞄の中に仕舞った。
 真理はそのことについては触れずに話しかける。
「やっと期末テストが終わったね。紫絵里はどうだった?」
「まあまあかな」
 一度真理に不信感を抱いてから、紫絵里は素直に心を開けなくなり、真理のまっすぐな笑顔を見るのが辛かった。
 真理は全く普段と変わらない。
 相変わらず色が白く、セミの声が聞こえる暑苦しい夏になっても、涼しげでいて美麗だった。
 そこにいるだけで、美少女として誰もが認めてしまうものがある。
 心の中で真理を拒絶し始めた時、それが嫌に浮きだって見えてくるのは、嫉妬のせいだとしても、今まで気が付かなかったことが滑稽だった。
 なぜ自分の方が真理よりも上の立場にいると思っていたのか。
 それは、真理が常に自分を立てて、一歩引いていた控えめな性格だからだった。
 その延長で絶対にでしゃばらず、紫絵里のためなら、真理は我慢して諦めて遠慮すると思い込んでいた。
 自分に楯突かない、忠実な家来── 
 そんな真理が自分を出し抜こうとしている気配を感じる。
 真理は普段から気弱で引っ込み思案であるが、消極的なそんな性格がすぐに変わるものなのだろうか。
 だが確実に真理はどこか違う人に見えていた。
 自分の気にし過ぎなのかもしれない。
 何気ない顔を装い、紫絵里はそれを無理に否定して、真理ともう一度向き合おうとした。
 あの石がある限り、全てが思い通りにいく。
 そう信じて、紫絵里は気持ちを浮きだたせて、微笑んだ。
「ねぇ、真理。テストも終わったことだし、気晴らしに午後からどこか行こうか。真理とは帰る方向が違うから、学校帰りに遊びに行くことはなかったけど、今日は二人で寄り道しようよ」
 紫絵里が気持ちを持ち直せば、調子いい言葉が口からついて出る。
 それと同時に、面と向かって真理と向き合えたことで、真理へのわだかまりも消え行きそうに気持ちが軽くなった。
 しかし、真理が予想外に首を縦に振らず渋った顔をしたことで、元の木阿弥になってしまった。
「あっ、それは」
「どうしたの? 何か予定ある?」
「うん……」
 断ることに対して気まずいのか、真理は言いにくそうに紫絵里の様子を窺っていた。
 また紫絵里は癪になり苛立った。
 ダメならダメとはっきり断ればいいのに、言葉を濁しているのにも腹が立つ。
 残念というより、逆切れで不機嫌になった気持ちがくすぶる。
 紫絵里は真理に八つ当たるような不満な表情を見せた。
「そっか。それじゃ仕方がない」
「ごめんね、紫絵里。折角誘ってくれたのに」
「別にいいけど、だけど、何の予定があるの?」
 自分の誘いを断ってまで一体何があるのか。
 紫絵里はさりげなさを装い、さらりと質問したが、本当は詳しい事を教えろという強迫じみた目を向けた。
「その、あの、ちょっとマリアと用事があって」
「マリア? ああ、真理の双子のお姉さんか」
 姉妹の話ならどこかほっとするものがあった。
 もし、何か隠していて、それが優介に係わることだったらという心配もあっただけに、身内が絡んでる理由を知るや否や紫絵里の頬が弛緩した。
 それとは対象的に、真理の顔が強張っていた。
 目も視点が定まらずに瞳が揺れ動いている。
 自分の姉妹と過ごす事があまりよいことじゃなさそうに思え、紫絵里は首を傾げた。
「なんか心配ごとでもあるの? もしかしてお姉さんの調子が悪いとか?」
「ううん、それは大丈夫」
 無理して笑おうとする真理の顔から血の気が引いていたように思えた。
 あまり触れたくなさそうに、俯き加減に紫絵里から目を逸らした。
 確かに何かあると感じる仕草だった。
 変に隠そうとされると、紫絵里はもっと訊きたくなってしまうが、露骨にそういうそぶりがでてしまって二人の間は気まずくなってしまう。
 最後は諦め、紫絵里はさっさと帰ることにした。
 教室を去っていく紫絵里の後姿を目で追いながら、真理はその場に佇み、無意識に「ごめんね」と呟いていた。

 紫絵里は腑に落ちない気持ちを抱え、校門を後にした。
 グループで固まりながら、楽しそうに下校している生徒達と違い、紫絵里は照りつける太陽の下を一人でポツポツと歩いていた。
 途中、瑠依のグループと出くわし、後ろから抜かしてすり抜けるが、それが紫絵里だと気が付いた時、ワイワイと騒いでいた話し声がプツリと途切れた。
 背中からチリチリとした不快な視線の突き刺さりを感じ、紫絵里は振り向いて睨んでしまった。
 目が合えば露骨に嫌な顔を向けられて、悪態をつかれるも、瑠依だけは困惑している。
 紫絵里に声を掛けたそうに一瞬口が開きかけたが、勇気がないままに見て見ぬふりをした。
 紫絵里はプイッと首を強く振り、速足で先を急いだ。
 クラスの女子のほとんどを敵に回している紫絵里には、友達と呼べるのは真理しかいなかった。
 しかし、紫絵里が真理と優介の間柄を疑ってから、唯一の友達である真理との友情の輪が壊れそうに不安定になっている。
 それをわかってながらも、騙しに騙してなんとか乗り切ろうとするけども、ほんの少しの心のバランスが崩れれば、紫絵里は容赦なく真理を責めて八つ当たりしそうなところまできていた。
 真理の事は好きなはずなのに、その裏で憎いと思う感情も同時に現れる。
 真理が美しいと感じてから、それは日に日に強くなり、自分がどうしても敵わない容姿に、嫉妬してしまう。
 クラスには真理しか友達がいないというのに──
 このモヤモヤとした感情をどうやって処理すればいいのか、紫絵里は嫌悪と呵責の狭間で悩んでいた。
 梅雨は開け、夏を演出するセミが、至るところで煩く鳴いているのが耳につく。
 くっきりと晴れた青空の下、陽光が降り注ぎ地面の影が濃くなっている。
 少し汗ばみ、持っていたハンカチで額の汗を拭きとりながら、紫絵里は駅に続く街路樹のある通りを歩いていた。
 そして、ある街路樹の木陰で透き通るように涼しげに立っている少女が目に付き、紫絵里は目を見張って驚いた。
「真理!」
 思わず声を出すと、その少女は親しみのある笑顔を向けた。
 まっ白い柔らかなドレス。
 スカートの裾が風に揺れ、ふわっと軽く膨れ上がるように持ち上がり、細い足が覗いていた。
「こんにちは」
 ニヤリと微笑し、しっかりと見つめられて挨拶をされた時、それが真理ではないことに紫絵里は気が付いた。
「あなたはもしかして真理の……」
「マリアよ。あなたの噂はよく窺ってるわ。紫絵里でしょ。すぐにわかったわ」
「あの、真理ならまだ学校に居たけど」
 初対面ではあるが、名前を呼び捨てにされても違和感がなかった。
 どうしても真理にしか見えず、これほどそっくりな事に紫絵里は驚いていた。
「知ってるわ。私はあなたに会いに来たの」
「私に?」
「そう。知らせたい事があるの」
「何を?」
 戸惑う紫絵里に対し、マリアは少し口角を上げ、勿体ぶった。
「真理はまだ学校に居残るつもりよ」
「えっ、でも今日はあなたと用事があるんじゃ」
「その前に、真理はある人と待ち合わせしてるのよ。それをあなたに知らせたかったの」
「どういうこと?」
「試験前にね、一緒に勉強してたの。終わってもまた会おうって約束したの」
「何のこと言ってるの?」
「多分、あの子教室でその人が来るの待ってると思う」
「だけど、真理はマリアと約束があるって」
「それも本当のことだけど」
「あの、一体、何がいいたいの?」
「もっと詳しく知りたかったら、あなたも行ってみたら? 面白いものが見られるわよ。それにあなたがそこへ行かないと、話にならないわ」
 マリアは凝視するように双眸を紫絵里に向けた。
 その顔は真理と同じでも、邪悪なものがあり、紫絵里の背筋がゾクッとする。
 確かに、話せば真理と違うものを感じる。
 体が弱いとは聞いていたが、それよりも、どこか狂気じみた冷たい雰囲気がマリアから漂っていた。
 圧倒されて黙っていた紫絵里だったが、次の言葉で紫絵里は逆上してしまった。
「真理は優介と待ち合わせしてるのよ」
「嘘!」
「嘘じゃないわ。だったら自分の目で確かめて見るのね」
 紫絵里はすぐさま来た道を戻りだした。
 それをマリアは満足してじっと見つめていた。
 紫絵里は再び、道に広がって歩いている瑠依たちのグループを突き切る。
「何、あれ、わざとかしら」
 同じクラスの女子達からは呆れられていた。
 紫絵里は学校帰りの生徒の流れに逆らうように、ぶつかりそうになりながらも走って行った。
 瑠依が不思議に思っていると、ふと木陰で立っていたマリアと目が合い、驚いた。
 気にしないようにしてすれ違おうとした時、マリアは瑠依に囁いた。
「紫絵里の後を追った方がいいわよ。あなたなら理解できるかも」
「えっ?」
 瑠依が振り返った時、すでにマリアは、白いドレスの裾を揺らしながら、人ごみの中に紛れていた。
 その姿はあっという間に瑠依の視界から消えた。
 太陽は真上でギラギラと、容赦なく照りつける。
 瑠依はじっとりとする汗を体に感じ、肌の上を何かが這う感覚に身震いした。
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