終章 白いバラを捧げる意味


「今回も上手く行ったわね、ハイド。マリアとの久しぶりの逢瀬はどうだった?」
 月夜の晩、私は淡々と訊いた。
「何もかも見て知ってるくせに、ナナは意地悪だな。そして、その目顔でしれっと訊かれるのは辛い」
「別に意地悪してるわけじゃないわ。言ったでしょ、私はただ傍観してるだけ、そこになんの感情も込めないの。ただの挨拶程度にしか過ぎない」
「そうだな。ナナに何も期待しても仕方がない。俺に気がないナナだから、君とこうやって一緒にいられる」
「そうね。一番愛するマリアは、あなたとは長く一緒に居られない。真理はいつもあなた以外の誰かを好きにならないといけない。そして私は全く関係のない空気みたいな存在」
「上手く機能してるもんだ」
 ハイドは笑うも、目に悲しさが込められていた。
「でもマリアに会えてよかったじゃない。例えそれが一瞬のことであっても」
「その一瞬もいつまで続くのか、わかったものじゃないが、これで最後になるかもしれない」
「まだわからないわよ」
「でも許されない事をしている自覚はある。見ろ、俺の翼。今じゃカラスよりも黒いぜ」
「いいじゃない。黒光りしてて艶があって、とてもきれいよ。何も黒が悪い色ばかりじゃないわ」
「だが俺は、天使であるべき役柄を捨てた。今では死神さ」
「あら、死神でも神が付くわよ。高貴な存在」
「ナナはどこまでも他人事なんだな」
「さあ、どうかしら。私だって、感情は一応あるのよ。でもそれを表に出さないだけ。私はただ、あなた達の恋の物語を見たまま伝えるだけ」
「さて、今回はどうだったんだ?」
「まだ全ては終わってない。まだ結末はわからないわ」
「そうだったな。それじゃ、俺も最後まで彷徨える魂を探しに行くとするか。死にゆく人間の運命をほんの少しだけ早めに戴く」
 ハイドは私に気障ったらしい笑みを浮かべて、潔く飛び立った。
 かわいそうなハイド。
 この世界で生きていくために、人間の寿命を早めに奪い取らないといけない。
 余った残りを自分のものとするために。
 そしてマリアのために。
 後ろめたいから、罪悪感を抱いて、羽根が黒く闇に染まってしまった。
 だけど、無闇に命を奪ってるわけでもない。
 必ず死期が近いとわかっている人間しか狙わない。
 できるだけ、迷惑かけないようにと、配慮したハイドの気遣い。
 こんな風になってしまったのも、マリアと恋に落ちてしまったから。
 病弱で長く生きられないと運命づけられたマリアは死後が近づいた時、迎えに来た天使のハイドと出会ってしまった。
 ハイドは命尽きたマリアの魂を行くべきところへと案内するはずだった。
 しかし、マリアは清らかに美し過ぎた。
 その美しさをこの世から消すのがもったいないとハイドは思うとともに、好奇心からもっと長く見つめていたいと願ってしまった。
 それがハイドの抱いた恋だった。
 マリアは常に病弱で外には出歩けず、そして自分が美しいことにも気が付かずに人生を終えようとしていた。
 そこに、見た事もない完璧な容姿の男性が現れ、自分に恋した優しい眼差しで見つめられれば、マリアも瞬時に心が奪われた。
 自分が長く生きられないと悟っていたマリアにとって、ハイドのような天使に出会えたことは、自分の人生最後に与えられた僥倖とでもいうべき、この上ない喜びでもあった。
 一秒でも長く生きて、恋をしていたいとマリアは願った。
 二人のその思いが重なった時、ハイドは禁忌をおかし、天使の持つこの世界に存在するエネルギー、すなわち天使にとっての命をマリアに分け与えてしまった。
 それは化学反応とでもいうべき、副作用が生じてしまい、全てが上手くはいかなかった。
 だから、複雑に混乱が生じてしまっている。
 それでもまだ二人には小さな希望が残っていた。
 その希望は今も残っているかは、まだこの時点でははっきりとわからない。
 私はそれを確かめにこれから紫絵里に会いに行かなければならない。
 紫絵里も気の毒だった。
 はっきりいって、マリアとハイドに利用されたにしか過ぎない。
 裏切られたと、嫉妬に狂い我を忘れた上、不本意ながらも怒りが抑えきれずに優介を傷つけようとしてしまった。
 そして優介は、紫絵里の前で、真理によって殺されてしまった。
 失恋したことで、妬み、憎しみ、恨みと怒りに支配され凶暴になってしまった事も、好きだった人が親友に殺されたのを目撃した事も、度肝を抜かれるほどショックは計り知れない事だろう。
 その償いとして、私は全てを紫絵里に説明しなければならない。
 それが語り手である私のもう一つの仕事。
 ずっと見てきたけど、紫絵里もなかなかいい根性をしていた。
 紫絵里ならきっと最後まで聞いてくれるかもしれない。
 頼りない風が私の毛先を軽くなびかせた。
 真黒い夜空に小さく浮かんだ月を見上げれば、そこが抜け穴のように見えた。
 それは閉じるのか開かれるのか。
 私は輝く欠けた月を見つめ、少しこの出来事を見つめ直した。
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