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鮎川華純が去ってしまった後も紫絵里は暫し放心状態となって、何を考えていいのか困惑していた。
「変わったわね、華純も」
また静かになったことをいいことに、私はしてやられたと、つい吹き出してしまった。
「ちょっと、どういうこと?」
「何が?」
「何がって、鮎川先生も過去に巻き込んだの?」
「そういう事になるわね」
「何よそれ、まるで他人事みたいに言って、あなた自身の話じゃないの」
「私は誰の味方でもなく、全く関係のない存在。その物語をただ語るだけの、傍観者」
「どうしてそんなに割り切れるの。顔は全く同じで、真理とマリアでもあるのに、自分自身の味方でもないの?」
「そうよ、私は存在してるけど、存在してないのと同じなの。マリアとハイドの恋物語の語り手となり見てるだけ。客観的に見つめられる者がやっぱり必要で
しょ。正確に真実を伝え、本当に起こったことを知ってもらわないと、巻き込まれた人ですらどこまでも好き好きに憶測して話がおかしな方向へいっちゃうも
の。一番真実を知らなきゃいけない人に伝えるために、私は存在している」
「当事者の真理、本人が語るだけじゃだめなの?」
「それじゃ真理側の話しかないじゃない。あなたにも公平じゃないと、この物語は真実にならない」
ぴしゃりと放つ私の言葉に紫絵里は少し反応した。
「真実……」
「さあ、そろそろ、あなたの思うところを話して欲しいわ。あとはあなた次第なの。それでこの物語は語り終わるわ」
「ねぇ、もう一度真理と話をさせてくれない?」
「それはできない」
「えっ、どうして?」
「もう真理の使命は終わってるから。あなたに会う必要がないの」
「そんな。それって二度と会えないってことなの?」
その言葉の重みに、紫絵里は泣きそうになる瞳を私に向けた。
私は思わず微笑まずにはいられなかった。
「そうよ。だけどその言葉が出たということは……」
私がここまで言いかけた時、紫絵里はベッドから身を乗り出して突然慌てだした。
「ちょっと、どうしたの? なぜ、消えようとしてるの?」
私は実際消えようとしてるわけではない。
まだ同じ場所に立って紫絵里をしっかりと見つめている。
だけど紫絵里には私が消えていくように見えるようだ。
すでにきょろきょろとして、私の姿を探しているところを見ると、完全に見えなくなった様子だった。
「紫絵里、あなたの答えはわかったわ。だから、私が突然見えなくなったのね」
「待って、まだ行かないで」
「私はまだどこにも行ってないわ。さっきから同じ場所に居る。だけどあなたがその判断をしたから、この物語はそこで終わってしまったの。そしてマリアとハイドの恋物語は……」
私はこの後をしっかりと言ったはずなのに、紫絵里の耳には私の声が届かなかった。
「ちょっと、何? 聞こえないわ」
紫絵里との会話はこれで終わってしまった。
こうなると私がここに居ても仕方がない。
だから、紫絵里の傍にあった白いバラの花を一本何も言わずにもらった。
一本だけ宙を浮くように部屋の中を漂う。
何も知らない人が見れば、摩訶不思議に思う事だろう。
だが、紫絵里は私が抜き取ったと思って見ているようだった。
「これで本当にお別れなのね。なんだか寂しい」
紫絵里の瞳に涙が溢れてくる。
私はその涙に見送られながら、白いバラと共にそこから姿を消した。
宙に浮いていたバラが消えた事で、私がどこかに行ってしまったと紫絵里にもわかったはずである。
紫絵里は、マリアとハイドを許し、真理を大切な友達だと認めた。
鮎川華純がかつて同じ答えを出したことにも気が付いていた。
そうやってまたマリアとハイドの恋物語はこの先も続いていくことになった。
次の準備のために、またマリアは引きこもり、真理は新しい恋を探し、そしてハイドはそのお相手にふさわしい死にかけた人を探して、末期を迎える魂を少しだけ早めに戴きにあがる。
もう何度と繰り返してきたことだった。
そして、真実を告げた時、誰もが二人の恋を認めて咎めるものはいなかった。
誰にも迷惑のかからない恋。
ただ、一つ終わるごとに、時計の針を戻せないのと同じ様に、そこで幕を閉じてしまう。
何度も何度も思いを描いて、一つ終わるごとにそれを涙ながらに消し去っていく。
だけど、何一つ忘れない、私が一つ一つ物語を綴る限り、それはずっと残っていくから。
後に、真理に会った誰もが、放課後の静かな教室で佇み、黒板にメッセージを書き込む。
真理を思うと、なぜだかそのような行為をしたくなるらしい。
まだ教室のどこかに、真理がいると思えてならなかったのだろう。
紫絵里もまたそうだった。
真理の事を思い出し、西日が差しこむ光を受けて、静かな教室でチョークを走らせた。
『あなたのこと忘れない』
自分の思いが真理に伝われば、紫絵里はそれで満足だった。
かつてずっと傍に居てくれた親友。
一緒に居る時は、自分の事ばかりしか考えられずに我がままだった。
失ってみて、どれだけ大切な人だったか気が付いた。
人の事を考えない身勝手な自分だったことが恥ずかしい。
紫絵里なりに、色々と振り返って自分を見つめ直しているのが伝わってくる。
紫絵里はあの一件から立ち直り、鮎川華純の言葉通りに、悪口も気にせず踏ん張っていた。
そして自分は暗黒世界に落ちたくないと、人の痛みのわからない人間だけにはなりたくなかった。
傍に同じ体験をして、同じ共通の親友を持った鮎川華純を見ていると、紫絵里は知らずと励ませられた。
紫絵里もこの先どんどん成長して、自分を変えていくことだろう。
真理もそれを嬉しく思い、かつての親友のためにその幸せを願わずにはいられなかった。
自分に贈られた紫絵里からのメッセージを見つめ、すっかり日が暮れた誰もいない教室でひっそりと佇み、暫し思いにふける。
それからぐっと腹に力を込めて黒板消しを手に取った。
真理はそれを充分目に焼き付けた後、潔くさっと一消しし、白い微かなチョークの跡を背に向けて、その教室から姿を消していく。
出会った大切な友達をいつまでも胸に刻み込み、また次の恋と親友を探しながら、マリアとハイドの恋物語をさらに続けていく覚悟がそこにあった。
広い世界の果てがどこまで続くのかわからないように、この恋物語もいつまで続くのか誰にもわからない。
それは極秘にいつか消されてしまうのかもしれない。
その時がもし来たとしても、それも悪くないと思えるから不思議だった。
例えそこに悲しみの涙が流れたとしても、後悔はしない。
この恋物語に巻き込まれた者もまた、時が来れば必ず懐かしいと心震わせて真理を思い出す。
人は皆、色々な思いを上書きして、そして時を過ごしていく。
想いは一つの黒板のように、何度も何度も書いては消してを繰り返す。
そこに見えなくとも、築き上げてきた想いはいつまでも残って意味を成し、涙の痕ですら、うっすらと染みついたままに存在していることだろう。
そして手にはイレイザーを握りしめながら、それが汚れたところで、叩いてほこりが飛んだところで、気にせず次の将来のためにと繰り返し使う。
それは極秘に自分だけが築き上げる未来を変える道具として──
真理と係わったものは、真実をいつまでも胸に秘めて、一歩前を踏み出す。
辛い失恋も悪くはなかったと、笑って語れるその時に向かって、少女たちは大人になって行く。
ただ真理に会えないのが寂しい。
真理を思い出した時は一輪の白いバラを部屋に飾る。
『私はあなたに相応しい友達でしたか?』──と問いかけると、そのバラは暫くずっと白いまま輝いているように見えた。
それを見ると、皆笑顔になり、そしてその人なりに、精一杯毎日を過ごしている姿がそこにあった。
私は、天使と少女の恋物語を綴り、そういう沢山の少女達と会ってきた。
そして今も新しい誰かと会おうとしている。
もしそれがあなただったら──
そして私たちに利用されたら、やはり許せないでしょうか?
あなたはどんな風に感じて、どうするのでしょうか?
だけど、どんな結果を選んで、どんな未来になったとしても私は困らない。
それはあなた自身が決めることだから──
The End
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最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。
この話は『三月のパンタシア×野いちご』企画の楽曲ノベライズコンテスト用に作りました。
”
三月のパンタシア 『ブラックボードイレイザー』 ”という歌を聴いて、そこから話を創作するコンテストでした。
歌詞の内容がわかったとたんインスピレーションでこの話が浮かびました。
曲を参考にして出来上がった話なので、一度歌の方も聴いてみて下さい。
曲のテーマは片思い、三角関係、切ない恋ですが、それを取り入れるだけでは普通過ぎると思ったので、歌詞の解釈を別の角度から見て、ホラー・オカルトにしてみました。
折角作ったので自分のサイトにも載せておきました。
主催者側の絞り込みの一次審査には通りましたわ。
でも二次審査は読者投票によるものだったので
知り合いもいない、アクセスなく読まれもしないものには無縁でした。