第一話

13
 この日、トキアとは学校で会うことはなかった。
 登校しているのか確認しようとすると、その度に、リッキー、敦、秀介、住吉先生との接触が頻繁にあり邪魔をされる形となった。
 それにうんざりしてしまい、学校が終わると、誰にも会いたくなくて由香は逃げるように教室を飛び出し、さっさと下校してしまった。
 ぶらぶらと歩いていると、前日出会った同じ場所でヒナタが制服姿で由香を待っていた。
 由香を見つけると子犬のようにじゃれるように寄ってきては、ニコニコとかわいい笑顔を振りまく。
「ヒナタ君も学校の帰り?」
「えーっと、そうなんですけど、由香さんに会いたくて待ってました。兄ちゃんより早く会わなくっちゃって思ったら、学校終わって必死でここに来たんです。会えてよかった」
 幾分か年下のヒナタには子犬を扱うのと同等の感情しか湧かず、由香は愛想笑い程度の笑みを浮かべていた。
 目の前でべたべたと絡まってくるだけに避けることもできず、暫くヒナタと肩を並べていたが、この調子では次にホマレがやってくる展開が読めてしまった。
 その通りに、ホマレが登場を約束されていたように現れたところで、由香はご都合主義のこのゲーム化された恋愛に飽きてきてしまい、この状態がいいことないという結論に達しようとしていた。
 恋の対象となる登場人物は全て出てきたのに、どうしてもトキアの存在だけが思うように現れない。
 なぜだろうと考えていると、ホマレに何度も名前を呼ばれていることに気がついた。
「由香ちゃんたら、さっきから呼んでるのにぼーっとしてどうしたんだい?」
「あっ、ご、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていて」
「また、例の探し人かい?」
「えっ、いえ、その、ちょっと違うことで」
 言葉を濁していると、ヒナタが横から突っ込んだ。
「兄ちゃんが鬱陶しいんだよ。いつも僕たちの邪魔してくれるから」
「なんだよ、その言い草は」
 また兄弟喧嘩を始めてしまった。その取り合いももう何も感じない。
「あの、それじゃ私はここで」
 由香は二人から逃げるように走り去っていく。
 二人は由香の名前を呼ぶも、嫌われた感を強く感じ、結局は「お前が悪い」と目の前の相手を罵って言い争いが止まらなかった。
 そんな二人の喧嘩の様子を振り返ることもなく、今いる世界の出口を求めるように必死に駆けていた。

 いつまでこのような事が続いていくのだろう。
 沢山の出会いがあっても、自分がこれではこの世界で生きていくのは辛く感じてしまう。
 一層のこと自分が心からこのような状態を望んで、何もかも忘れるくらいのめりこんでたらどんなに幸せだったかしれない。
 現実の嫌なことから全てを逃れるチャンスがあるというのに、由香は生真面目な性格のせいで受け入れられない方向に進んでいた。
「一体どうすればいいんだろう」
 ヨッシーが言っていた「すべてはあなた次第」と言う言葉を噛み締め、由香はトキアの名前を呼んでみた。
「トキア、トキア」
 名前を呼べば現れるんじゃないかとそんな気になったが、トキアは姿を現さなかった。
 だがその時、目の前に知ってる顔が通りかかり、由香はこの上なく驚いてしまった。
 それは自分の夫だったからだった。
「あ、あなた」
 由香の夫は若返っている由香をじっと見詰め、どこか遠慮がちにしていた。
 由香は自分が18歳の姿である事を忘れ、夫の側に駆け寄っていく。
「どうして、ここにあなたが」
 由香の夫も何が起こっているか困惑した様子でまじまじと由香を見ているだけだった。
「あの、その、何か用かな?」
 よそよそしい夫の態度で、由香は自分の姿に気がついて、着ていた制服を確認するかのようにペタペタと触れては慌て出した。
「私、あなたの妻の由香だと言ったら、信じる?」
「俺の妻?」
 苦笑いにも似た笑みを浮かべ、由香の夫は黙り込んだ。
「信じてもらえないないかもしれないけど、不思議なタキシード着た人が、私の姿を変えてこの世界に連れ込んだの」
 馬鹿にするような様子でもなかったが、由香の夫は大人しく話を聞いていた。
「それで、俺にどうして欲しいんだ?」
「えっ?」
 由香もまたその言葉にはっとさせられる。
 どこまで真剣に相手をしているのか分からず、相手も困惑しながら対応の仕方に気をつけているようだった。
「もし本当に俺の妻の由香なら、この俺に助けて欲しいのか? 由香なら分かっているように俺は碌でもない夫だぜ」
 ニヤッとしたやるせない笑み、自虐とでもとれるその言い方に、由香も分からなくなってきた。
 これは夫を登場させて現実の世界を思い知れということなのだろうか。
 そしてもし自分がここで夫を選んだら現実の世界に戻れるという道しるべとなっているのだろうか。
 由香は考え込んでしまう。
 暫くそのままでいると、由香の夫は居心地悪そうにしていた。
「すまないが、ちょっと急いでるので失礼させてもらう。あんたも早く自分の場所に帰りな」
 結局は頭のおかしい女だと思って適当に相手をしていたのだろう。
 由香の夫はそのまま去っていくが、由香は追いかけることに抵抗を感じ、足はその場で動かなかった。
「折角の戻るチャンスだったのかもしれない。でも私はどうしていいかわからなかった」
 暗く背中を丸くしていると、後ろから肩を叩かれ由香は飛び上がるほどびっくりした。
 慌てて振り返ればトキアがそこに立っていた。
「どうしたんだい。落ち込んでいそうだけど。なんかあったのかい?」
「トキア……」
 由香はもって行きようのない気持ちをぶつけるようにトキアの胸に寄りかかってしまった。
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