第一話


 大きな門構え。その向こう側には豪邸と呼ばれる白い洋風の家が建っていた。
 表札は『神谷』となっている。
 それは紛れもなく結婚前の自分の旧姓だった。
 もうこれは夢として受け入れるしかないと、由香は段々と開き直ってきた。
「それじゃ俺、帰るね」
「あっ、あの、リッキー?」
「ん?」
「よかったら、寄っていかない?」
 由香は一人でこんな大きな家に入り込むのが怖かった。
 もし自分の家じゃなかった場合、これからどうしていいかもわからない。
 自分のことを知っているリッキーに今帰られるのは不安で仕方がなかった。藁をもつかむ思いでリッキーにすがってしまう。
「えっ、まじ? いいのか?」
「うん、もちろん。(一緒に来て貰わないと私が困る)」
 由香は門を開けると、家の中に恐々と足を踏み入れた。
 その後をリッキーが嬉しそうについていった。
 ドアノブに手をかけ、そっと玄関の扉を開けて首だけ入れて覗き込んでみれば、家の中も小奇麗で庶民よりも少し上を行く仕様だった。
 暫く見とれながらその姿勢でいると、部屋の奥からエプロンをした女性が出てきた。
「あら、由香。お帰り。家の中に入らないで何してるの? あっ、お友達を連れてきたのね。しかも男の子でしょ。それでお母さんが居るかどうか確認してたってことか。居てごめんなさいね。でも邪魔しないから、入ってもらいなさい」
「この人が私のお母さん? 全然違う。ドラマに出てきそうな綺麗な女優に見える。でもここではこれが私の日常なんだ」
 由香は心の中で呟いていた。
 そしてこうなってしまった以上、この現実をようやく受け入れることにした。
 否定していても始まらない。
 リッキーを家の中に入れ、自分も靴を脱いで上がるが、少し不安なのか及び腰となっていた。
 リッキーは母親と名乗る人に緊張して挨拶をしていたが、その母親は陽気にリッキーを歓迎していた。
 大きな家の中。
 自分の部屋はどこなんだろうととりあえず二階に続く階段を上がってみた。
 突き当りに『由香の部屋』とかわいくデコレーションされたプレートがかかっているドアが目に入った。
「ここが私の部屋……」
 一体どうなってるのだろうと、恐々と開けると、中はピンクでとてもかわいらしくコーディネートされた女の子らしい部屋になっていて、由香自身びっくりしてしまう。
「うわぁ、すっげーかわいらしい部屋なんだ。イメージ通りだよ」
 リッキーは叫んでいたが、由香も他人事のようにただその完璧なまでの部屋をキョロキョロと観察していた。
「どうしたの由香ちゃん。俺が来たんで見られたくないものでも部屋にあって、もしかして困ってる?」
「えっ? 別に、その…… とにかく適当に座って」
 由香はやぶれかぶれに言った。
 リッキーはどこに座ろうかと迷った挙句、ベッドに遠慮がちに浅く腰を下ろした。
 ピンクの花柄模様のベッドカバーをチラリとみて、思春期らしく顔を赤らめている。
 由香は見かけは高校生だが、中身は38歳の大人であり、リッキーのその態度がかわいくてくすっと笑いをもらしてしまった。
「俺、なんか緊張してる」
 リッキーの純情そうなかわいらしさが由香の母性本能をくすぐった。
 由香はここまでくると全てが自分の思いのままになれると思い、リッキーの隣に腰掛けた。
 リッキーはドギマギしているのか、そわそわと落ち着かない素振りを見せ始めた。
 それが由香には楽しいゲームの始まりとなった。
「リッキー、送ってくれてありがとうね。リッキーに会わなかったら私、すごく困ってた」
「俺は、由香ちゃんに会えて、却ってラッキーだったと思ってるよ。俺さ実は……」
 リッキーが真面目な顔をして何かを言いかけたとき、ドアのノックが聞こえた。
 そして母親がお茶を持って入ってきた。
「あら〜、もしかしたら良いところの邪魔しちゃったかな」
 確かにそうではあったが、由香は何を言っていいか判らず黙っていた。
 リッキーもハラハラとして必死に否定をしているのか、手と頭をブンブン横に振っていた。
 母親は紅茶とお菓子が乗ったトレイをデスクの上に置いてニヤニヤしていた。
 ところが、そこにはティーカップが三つあった。
 由香が不思議そうにそれを見ていると、母親は冷やかすような目つきをした。
「由香ちゃんも私に似て隅に置けないから」
 母親がふふふと笑ったとき、ドアからもう一人誰かが入ってきた。
「よっ、由香!」
「ちょうど翔太君が来たので、幼馴染だし、気を遣うこともないと思って一緒にって連れてきちゃった。それじゃごゆっくり」
 母親は無責任に出て行ってしまった。
 由香もリッキーもまじまじと目の前に現れた翔太をみていた。
「おいおい、二人してそんな顔して見るなよ。だけど由香、誰だそいつ」
 翔太は敵意を含んだような目つきでリッキーを見ていた。
 リッキーもすぐに反応してそれに挑む。
「えっ、あの、この人は戸上リキ君といって、私のクラスメート?」
 由香は語尾を上げて疑問文にしていた。どういえばいいのか自信がない。
 目の前の突然現れた翔太も全く見覚えがないままに、相手は由香のことをよく知っている。
 これも一つのパターンというようにこの状況を理解しようとしていた。
「翔太? 私の幼馴染?」
 由香は単語を並べる。
「俺は池田翔太。由香とは幼稚園からの仲さ。たまにこうやって遊びに来るんだけど、まさか男が来てたとは驚きだ」
 翔太もまた、キビキビとした元気さがあり、適度にノリもよく、スポーツが得意そうに見えた。そして翔太もかっこいい類の男だった。
 由香は三角関係になりそうだと思いながらこの状況にドキドキしてくる。
 そしてやっとあの時道端で会ったヨッシーがこの状況を作り出していることに気がついてきた。
『どうぞお好きな恋愛をお楽しみ下さい』
 その言葉を思い出すと同時に、由香は全てが自分の思い通りのままと認識し出した。
──そっか、そうなのか。
 由香は噂に聞く乙女ゲームを連想していた。
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