第三章 なぜその物語に


 入院中、私は拓海さんから貰った手紙を何度も何度も読み返していた。
 時にはこっそりと病室を出て、違う階へと拓海さんが入院してないか見て回る。松葉杖をつきながら廊下を歩いていると、リハビリしていると思われてあまり怪しまれることはなかった。
 手の空いていそうな看護師さんを見つけては、拓海さんのような患者が入院してないか時々聞いていた。
 せめて写真があれば顔を見せられるのだけど、偽名かもしれない名前と私の説明だけでは当てはまる患者さんはいないと首を横に振る。
 私の退院の日も迫ってきていた。松葉杖をつくのも慣れたし、足の骨も順調に治ってきている。多少の不便はあるけども、学校に行っても大丈夫と医者からも言われていた。
 今ここを離れたら、二度と拓海さんに会えないように思えてならない。
 一体拓海さんはどこにいるのだろう。病気の具合はどうなのだろう。
 会いたくてたまらない気持ちが私をさらに焦らせた。
 どこにもいないとなれば、他の病院に移ったことも考えられる。そうだとしても、せめてここに入院していたということがわかれば、全てが解決しそうに思えた。
「佳奈さん、自分で調べてるんだってね。他の看護師から聞いたわ」
 朝の検診に来た看護師が私の熱や血圧を測りながら訊いてきた。
「だって、誰も教えてくれないんだもの」
 少しふて腐れて答えてしまった。
「ごめんなさいね。でも私もできる限り調べてみたのよ。だけど不思議なのよ。拓海さんの事を担当したことあるかって訊いたんだけどやっぱり誰も知らない の。私も知ってる限りどんな感じの人か言ってみたんだけど、ピンとくる人はいなかったわ。それでどんな病気なのか聞かれたんだけど、不治の病としかわから ないから手掛かりが得られなかったわ」
 本当にしっかり訊いてくれたのだろうか。形だけのような気がする。私は納得いかない表情で体温計を脇に挟んで体に力を入れていた。
 準備完了の体温計のアラームが聞こえると、看護師はそれを手にして数字をチェックする。特に問題はないので、カルテに書き込みながら話し出した。
「でもね、不治の病って一体何かしら? あまりにも曖昧で、普通病気の名前くらい言わない? 例えば白血病や腫瘍、心臓や内臓に問題があるとか」
「心配をかけたくなくて、病名が言えなかったんだと思う」
「それとも本当に言いたくない病名なのか……でも卑怯よね」
「えっ、卑怯?」
「うん、いくら病気が悪化したからといって、急に佳奈ちゃんの前から居なくなるなんて」
「私に弱ってるところを見せたくなかったのかもしれない」
「そうだとしても、残り少ない命なら後悔のないように私ならきっちりと話をするけどな」
 人それぞれの最後の迎え方があるだろう。拓海さんはたまたまそういう形をとってしまった。 私はこの時まで別に疑問に思わなかった。
「なんか他に佳奈ちゃんに知られたくないことでもあったのかな」
「えっ、どうしてそんな風に思うんですか?」
「だって、その人がどこに住んでるかや、住所、電話番号、または連絡が取れる携帯のアドレスとか何一つ彼の情報を知らないんでしょ?」
「そうだけど、私が入院してたからそういう連絡の手段を交換する必要がなかっただけで」
 私も積極的に訊かなかった。訊いていたら教えてくれたはずだ。
「あの手紙が全てを物語ってると思うんだ」
 看護師の言葉に私は疑問詞を頭に乗せていた。どういう意味だろう。
 拓海さんの事が少しでも分かるように、看護師には手紙を見せた事があった。
「あのね、手紙にもその人の情報が一切ないってこと。そうすると、最初から佳奈さんに彼の情報を伝えようとしてなかったんじゃないかなって、私は思ったわけなの」
「わざと自分が誰だかわからないようにしたってことですか?」
「そういうこと。偽名だと考えても、最初から本当の自分の事は佳奈さんに言いたくなかったってことだと思う。それって、なんか変じゃないかな。そこまで隠して、なんで佳奈さんに毎日会いに来てたんだろう」
 そんな風に考えた事がなかった。
「だから、病気を忘れて別の人になれる事が拓海さんにとっては生きる希望になった?」
「そういう風にも捉えられるけど、物事は見方を変えるとがらりと意味が違ってくることもあるのよ」
「どういうことですか?」
「例えば、身分を隠さないといけない理由が他にあったとしたら。佳奈さんに自分が誰であるかばれるとヤバイことがあったとか……そういう風にも考えられるわ」
 看護師さんの目が一瞬光ったように思えた。何だか私はぞくっとしてしまう。
「実は私ね、推理小説とか好きで物事を違った方向から見るのが癖なの。だから、例えばの話よ」
 そんな風に考えると、拓海さんが妖しい人のように見えてくる。私は不安が募って泣きそうになってしまった。それを見て看護師さんは慌てていた。
「なんてね、例えばの話ね。実際のところはわからないわ。とにかく、引き続きその男の人がこの病院に入院してないか調べておくわね。佳奈さんももうすぐ退院だし、その前に何か分かるといいんだけど」
 看護師さんは自分の意見を言い終えると、逃げるように隣のベッドに移動した。
 考えてもみなかった事を言われ、私の気分は落ち込んだ。それでも気持ちを奮い起こそうと、床に置いてあった文庫本が入った紙袋を持ち上げ、中から数冊取り出した。すでに貰った本の半分は読み終えている。
 たまたま手にした本に目を落とす。
 まだ読んでなかったけど、それはボーイズラブを扱った本だった。
 本をもらった時は、あまりにも嬉しすぎて深く考えなかったのと、いろんな種類があっていちいち詳しく見てなくて気にならなかったけど、看護師さんから訊いた話でその本が異様な存在に見えてきた。
 これらの本は拓海さんのお古だと言っていた。拓海さんもこういう本を読んだということだ。
内容はどんなものかはっきりと分からないが、男の人もこういう男同士の恋愛ものを普通に読むのだろうか。
 私はその手にした本を読み始めた。

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