第一章
4
高校生活は希莉と柚実のお蔭で、自分の理想とする楽しい毎日を過ごせてると言いきれる。
一目を置かれるような友達。自尊心を満たしてくれて、自分の価値も上がったように思えてくる。
周りの女生徒たちが、気軽に私と話してくれるのも、希莉と柚実と一緒だからイケてる部類として見て、同じようにあやかりたいからだと思う。
中学の時は大人しい者達に取り囲まれ、真面目なグループだったが、傍から見れば面白みにかけてどうでもいい存在だった。そのため、完全にグループが固定され色んな人と満遍なく話すことは少なかった。
これも自分がどこに所属しているかで、周りもそれに合わせた態度になるのだろう。
だからこそ、希莉と柚実の間でふいに感じる多少の違和感があっても、それは慣れてないからそんな風に感じるだけであって、私は実際のところかなり恵まれた状況だと思うようにしている。
「そうだよね、ブンちゃん」
家ではブンジにいつも愚痴を聞いてもらっていた。
時々自分の部屋に入れて、ベッドの上に一緒に寝転がる。
この日も、とりとめもなく思った事を口にしていた。
ブンジが喉をごろごろさせて、じっと私の側にいてくれるお蔭で、ほんわかととても安らぐ。
ブンジの丸みを帯びた体の曲線、ぷにゅぷにゅした肉球、柔らかな毛、それらが愛おしくてたまらない。そこに安心しきって無防備な姿を惜しみもなく見せられると、嫌なこともすぐに吹っ飛んでいく。
「ブンちゃん、ありがとうね。ブンちゃんはいつも聞き上手だよね。そしてハンサムときている。ブンちゃん、大好き」
ベッドで寝転がっていた私は起き上がり、ブンジを力強くぎゅっと抱きしめた。
ブンジは抱っこされるのが好きで、大人しくされるがままになっている。
柔らかく、温かなブンジを抱きしめてると、気持ちがいい。
またこれで明日も頑張れるぞ。
そんな気分になってくるから、ブンジ様様だった。
もうすぐ中間テストもあるし、勉強するのが億劫だ。
高校生になって初めてのテストでもあるし、やっぱり頑張りたいと思うところもある。そうなると、今から詰め込むのが大変な作業に思える。
全てをなんなく簡単に頭に入れるには、毎日の積み重ねが物をいうのだろうけど、本気になるときはある程度切羽詰らないとエンジンが中々かからないのがやっかいだった。
そういえば、近江君は休み時間も惜しみ、毎日本を開いて机に向かっている。
不意に彼のことを思い出し、いつも一人で居る近江君が妙に気になってくる。
「ブンちゃん。クラスの近江君って、よくわからない人なんだ。いつも一人なんだけど、もしかして虐めにあって、ボッチなのかな」
ブンジは私の顔を一瞬見つめるも、腕の中にすっぽりとはまり込んだまま、気持ちよさそうに喉をゴロゴロさせて目を細めていた。
そんなとき、近江君の事を考えすぎて、入学式で撮ったクラス写真にどんな風に写っているのか気になった。
ブンジをベッドに下ろして、机の引き出しから封筒を取り出す。注文後受け取ってからそのままにして保管していた。
中から写真を引っ張り出してみるや否や、一番に自分の姿が目に入った。
緊張した面持ちで澄ましている顔だが、その胸の奥には気合も入っているのが感じられる。
今はすっかり慣れてきて、だらけてしまってるけど、この当時の自分の顔を見るとなんだか気恥ずかしくもあり、笑ってしまう。
そして希莉と柚実を次に見た。
やっぱり二人は集合写真の中でも一際目を引いているように思う。
この二人と友達だと思うと自分も誇らしげになってしまう。
それから近江君を探した。
どこにいるんだろうと、端から順番に男子生徒を一人一人見ていった。
ところが、近江君の顔がどこにも見当たらなかった。
「えっ?」
思わず声が漏れた。
もう一度最初から見直したが、やっぱり近江君はどこにもいなかった。
うそ! 入学式に来なかったの?
あの時、初めてみる顔ぶれに誰が居たとか居なかったとか全然覚えてないし、もしかしたら写真が嫌いで隠れてたのかもしれない。
いつも一人でいる以上、近江君ならやりかねないような気がする。
やっぱり変わった人なんだ。
私が近江君の事に気を取られている時、ブンジが、私の足に纏わりついて頭をこすり付けてきた。
私は写真を机に放り投げ、ブンジを抱き上げた。
「ブンジ、もしかしてヤキモチ? ブンちゃんが一番大好きだからね」
ブンジの喉のゴロゴロがまた鳴り出した。
それから後、中間テストがとうとう始まってしまった。
好き好んで入った私立の高校だし、それなりにお金もかかってるから、ここは頑張らないといけない。
この学校を選んだのも、設備が整っていて、校風も時代に合わせた自由な雰囲気があり、とても気に入ってしまったからだった。
交換留学生もやってきたり、海外にも姉妹校があったりと派手な部類なのも、国際感覚に飛んでおしゃれに思えた。
やはりある程度のお金がある家庭の子供達じゃないと通えないところがある。
うちも、父の仕事のお蔭で正直裕福のレベルではあると思う。
その代わり、父はそれなりの役職を貰い、時折海外に出張したりして、常に仕事で忙しく、家族のために頑張ってくれている。
だからこそ父のお金を稼ぐ苦労を無駄にできず、気を抜くわけにはいかなかった。そこは娘としてそう思うのが当たり前の感覚だと思っている。
勉強が特別好きっていうわけではないが、怠ける事はしたくないこだわりがあり、コツコツとやる方だと思う。苦手な科目もあるけれど、国語と英語はそこそこ点数は取れるかもとちょっと自信を持ったりする。
後は運もあるが、赤点だけは絶対取らないようにしたい。
テスト中はちょっと苦しい寝不足の日々だったけど、実施されてる最中は無我夢中でやるだけの事をやり、気がついたら終わっていたという感覚だった。
終わったら、ほっとしたのも束の間、次結果が返ってくるのが怖かったりもする。
でも、私はまあまあといったところで、教科によってばらつきはあるけれど普通よりかは上くらいの成績を修めたと思う。
とりあえずはクリアーしたから安泰だった。
そんな時、ほとんどの先生が近江君の答案を返しながら褒め称えているのが目に入った。
「近江、頑張ってるじゃないか」
「よく頑張ったわね。えらいわ」
などと、先生から常に声を掛けられていた。
クラスでトップなのかもしれない。
やはり、休み時間一人で居るのは伊達じゃなかった。本当に勉強しているのがこれで証明された。
休み時間も勉強するほど、近江君は本物のがり勉だった。
先生からの賞賛、いい成績を収め、文句なく勉強ができるとわかってから、私の中で近江君の存在がまた違うものに見えてきた。
だけど、どこか見かけと話方が、ちぐはぐしているように見えるのは、私があの短い髪型が似合ってないと思っているからだろうか。
近江君はたまに私とすれ違うと「ブンジは元気か」とか訊いてくる。
非常に物怖じしないぶっきら棒さがあり、はっきり言ってあのダサい髪型からどこか程遠い何かを感じてしまう。
やっぱり心に引っかかるほど不思議な人だった。
テスト結果も全てわかり、また期末テストまでは暫く羽根を伸ばせそうな、そんなだらけた日々が戻ってきて、誰もが気が緩んでいたと思う。
梅雨に入って雨も多く、ジメジメしてもいるが、本格的な夏に向かい、気温も上昇中で、汗ばむことも多くなった時だった。
それでも近江君は相変わらず、休み時間一人で黙々と机については本を読んでいた。
近江君には休息というのはないのだろうか。
やっぱり私は気がつくと近江君を見てしまっていた。
近江君はその時、大きな欠伸をしていた。家でも勉強していて寝不足なのかもしれない。
そんなある日の放課後、希莉と柚実と一緒に帰るつもりで、校門まで歩いていたけど、不意にトイレに行きたくなってしまい家まで持ちそうもないと思うと、また校舎に戻ってしまった。
二人には待たせるのは悪いと思い、ちょっと忘れ物したと嘘方便に言って、すでに先に帰ってもらった。
生徒達は下校するか、クラブ活動に励むかで校舎内の生徒の数はまばらで、静かなもんだった。
誰もいない事をいいことに、いつもは使わない上級生のクラスが並ぶ廊下の端のトイレを使った。
そこが一番近かった。
用を足してすっきりとした気分でトイレから出て、帰ろうとしたその時、近江君が見知らぬ男子生徒数人に囲まれていたのが視界に飛び込んできた。
あの髪型だからすぐに判別できた。
だけど周りの男子生徒が、自分の学年で見かけるような人達じゃないように思えた。
しかも上級生のクラスがあるところだし、この状況はとてもやばいものに思えてならなかった。
近江君が、体つきのいかつい大きな男と向かい合い、何かを言われて顔を歪ませ困っている。
それをまともに見てしまった私の心臓はドキドキと早鐘をうち、私の体に力が入ってきゅっと締め付けられるように硬くなった。
ハラハラと落ち着かないまま立ちすくみ動けなくなってしまう。
近江君が大ピンチ。
そのとき虐めという単語が、頭の中でチカチカと点灯するように警告を発していた。