第二章 うっかり迷い込んだ猫道


 朝から降り続けた雨は、午後から弱まりを見せ止みそうになっている。
 天気ですら落ち着いてきているというのに、私の問題ときたら……。
 自然の摂理なのに、弱まっていく雨が憎たらしい。
 結局希莉とは気まずいまま、碌に話もせずに放課後を迎えた。
 もう一度希莉の元へいって話し合いをした方がいいだろうか。このまま放っておけば、明日の朝がもっと辛くなる。
 私が迷っている時、帰り支度をしている希莉の元へ柚実が近づいていった。
 時折私の様子を伺ってちらちら見ていたが、私は怖くて目をそらし、慌しく帰り支度をするフリをしてしまう。
 素直になれない馬鹿げた行動なんて、相手はお見通しなのに、普通を装う自分が哀れでならなかった。
 柚実と話し込んでいるときも、希利の機嫌は悪そうだった。きっと私の事を話しているに違いない。
 見かねた柚実が説得してくれている期待を持ち、私は席についたまま様子を伺っていた。
 だけど、希莉は不機嫌な態度を隠すことなく、柚実すら放っておいてプイと一人で先に帰ってしまった。
希莉が教室から出て行くのを見届けた柚実は、難しい顔をして私の方へやってくるなり大きく溜息を吐いた。
 次に、希莉との亀裂の修復が不可能なことを知らせるように、大胆に首を横に何度も振った。
「なんだか板ばさみになって、私はやりにくいよ」
「迷惑かけてごめん」
 とりあえず謝っておいた。
「だから、それがダメだって。千咲都は何かあると自分が悪くなくてもすぐに謝るのが癖で、物事の本質を全然見ずに、表面的だけで済ませすぎ。それって、当事者から見ると本当にイライラするんだよ」
「だけど、どうしたらいいの。手紙を預かってきたことは本当に私が悪いし、そのせいで希莉は許してくれないし、柚実にだって迷惑かけてるのは事実じゃない」
「うーん、なんていったらいいんだろう。希莉は手紙の事を怒ってるんじゃないんだと思う」
「えっ? だったら何を怒ってるの?」
「それは千咲都が自分で気がつかないといけないと思う。ここで私がとやかく言えば、希莉は益々腹を立てるし、希莉にとったら千咲都が気がついてくれないと、この先もずっとこのままで元の関係には戻れないんじゃないかな」
「柚実の言ってることがわかんないよ」
「私だって希莉本人じゃないから、自分が思ってることが正しいかわかってない。これは千咲都と希莉の問題だから、私は口出しできない」
 かっこいいと思っていたクールの意味だが、この時突き放す柚実がとても冷たく感じた。
「私ってそんなにダメなんだろうか」
「えっ、何を言ってるの。千咲都はいい子なのはわかってるよ。希莉だってもちろんわかってるよ。希莉が前に言ってたよ、千咲都がかわいいって。一緒にいて楽しいって」
「だったらどうして許してくれないの?」
「あのさ、千咲都は希莉や私の事どう思ってる?」
「もちろん大好きだけど」
「だったら、絶対わかると思うんだ。希莉がどうして欲しいかってこと。なんでも謝るだけが、希莉が望んでることじゃないんだってこと」
「えっ?」
「希莉の本当の気持ちわかってあげて。私の事もそうだけど、千咲都はいつも表面しかみてないんじゃないかな」
 近江君と同じ事を言われた。
 一体どういうことだろう。
 いろんなことに振り回されすぎて、私は益々わからなくなってしまった。
 柚実は客観的に話をしてくれたのだろうけど、柚実も内心イライラしているように感じた。
 それを気にすると言葉につまり、私は息苦しくなる。
 何を答えていいかわからないまま黙り込む私。その態度を柚実が残念そうに見つめる。
 また間が空いて、それを補うように私は余計な事を口走った。
「柚実ももしかして怒ってる?」
「怒ってないわよ。でも普通でもいられる訳ないでしょ」
「ごめん……」
 謝ることを憚られるような気持ち故の蚊の泣くような声が漏れた。
 同じように柚実の微かな溜息が聞こえる。
 これ以上、柚実とも仲が悪くなるのも嫌で、私は用事があると言って、教室を出て行った。
 私が去った後で柚実が何を思っているのか考えると怖くなってくる。
 一体どうすればいいのだろう。
 このままでは私は一人ぼっちになってしまいそうで恐ろしかった。悩むことが多すぎて、自分の中で一杯一杯でひたすら苦しい。
 高校生活が上手くいくなんて思っていた自分の甘さが、どれだけ愚かだったかと思い知らされた。
 自分が優しくなって思いやる心を忘れなければ、誰からも好かれるはずだったのに、一番好かれたい希莉と仲たがいしてしまうなんて想定外だ。
 一体自分の何が悪いというのか。
 この呪われた手紙が全て悪いとその原因を押し付けたいが、こんな薄っぺらい手紙を持ちこんだだけで、爆弾のような破壊力になりえるのが信じられない。
 これを持っていたら私は益々不幸になってしまうのじゃないだろうか。この手紙が不吉なものとしか思えなかった。
 とにかく、この手紙を返さなくてはならない。
 こんな手紙持っていたくなんかない!
 一つでも気がかりな事をなくして、すっきりしたい。
 私の足は、二年生の教室がある校舎へと足を向けていた。
 しかし、その行き先は二年一組の出渕先輩のところじゃなく、二年五組の草壁先輩の方に向かっていた。
 こうなればもうヤケクソもはいっていたかもしれない。出渕先輩絡みの事なら草壁先輩に対処してもらえるかもという藁をも掴む思いで、上級生が一杯居る廊下を私は歩いていた。
 二年五組のクラスを恐々と覗けば、また自分の教室とは違う別の空間の雰囲気がある。
 一通り周りを見渡せば、教室の片隅で草壁先輩が友達と語らっている姿がそこにあった。
 私が不自然に教室の入り口に立っていたから、他の誰かが気がつき、連鎖反応で草壁先輩も私の方を見てくれた。
 目が合い、私は尽かさず頭を深く下げて礼をすると、草壁先輩はすぐに気がついてくれて、不思議そうに私の方へやってきた。
 周りに居た男子生徒が「ヒューヒュー」といった冷やかしの声を出して、からかっている。
 残っていた女子生徒達はそれとは対照的に異物をみるように冷ややかな表情で私を見ていた。
「あっ、千咲都ちゃん、だっけ。どうしたんだい?」
「あの、突然すみません。今いいですか」
「いいけど」
 入り口で注目を浴びてたので、私は廊下の方へと移動すると、草壁先輩も合わせてついてきてくれた。
 そこで鞄から手紙を取り出して、出渕先輩の事を説明した。
 草壁先輩は黙って全てを聞いてくれた。
「そっか、ハルを出汁にして出渕がそんな事を頼んでたのか。君もとばっちりだったね。しかし、君の猫はいい仕事をしたと思うよ。そんな手紙はほんとゲロッて正解」
 染みのついた手紙を抵抗もなく私から取り上げて、大いに笑っていた。
「えっ、そ、それは」
「事情はわかったから、今から出渕のところに行こう。俺から注意してやるよ」
「あの、それで近江君を虐めないこともお願いできますか?」
 ここでまた草壁先輩は大いに笑い出した。
「ハルも幸せもんだな、陰で心配されて。ハルのためにと嫌なことを引き受けた君も一途だね」
「近江君、教室でいつも一人だし、なんだか放っておけなくて」
「へぇ、ハルはクラスに馴染んでないのか」
「馴染んでないというより、休み時間も勉強しているから、誰も近づけないでいるんです」
「えっ、あのハルがまじめに勉強してるなんて信じられない」
「あの、なんで草壁先輩は近江君の事知ってるんですか」
「えっ、なんでって言われても、知ってるから知ってるんだけど、でもそれはハルに聞いてくれ。その分だとハルはやっぱり色々と隠してるみたいだな」
「隠してる?」
 そういえば、近江君も知られたくない事があるとは言ってたけど、それが上級生に虐められる原因になったのだろうか。
 私が考えていると、草壁先輩はあの手紙を手にして歩き出した。
「ほら、一緒にいこう。おいで」
「えっ、あっ、はい」
 慌ててついていくが、その時教室の入り口で草壁先輩と同じクラスの女子生徒数人が、私をじっとみていた。
inserted by FC2 system