第二章

10
 無数の目がじっと私を捉えている様は、恐怖を植え付け私の体を極度に緊張させた。慄きながらごくりと喉を鳴らして息を飲む。
 一体何が起こってるんだろう。
 ずらっと男子ばかりいる目の前の光景が怖くて、気絶しそうに顔面蒼白になっていた。
「千咲都ちゃん、大丈夫かい? 魂が抜けてそうな表情だな」
 魂が抜けてる? 
 はっとして、ぽわーんと半開きになった口を慌てて押さえこんだ。
「あ、あの、一体なんの御用でしょうか」
 気を取り直して話すも、声が裏返ってしまう。
 そんな様子を草壁先輩は微笑んで、そして側に居た人に問いかけた。
「ね、どう思います、宗谷(むねたに)先輩、中々いい子でしょ」
 宗谷先輩といわれた男性は、顎に手を当て、お決まりの考え込むしぐさで私をじろじろと見つめていた。
 浅黒い肌で、いかにもスポーツマンといったがっちりとした体格だった。ここいる男子生徒の中でも一段と大人びて、まるで狼のように鋭い目を向けて抜け目がない。
 見るだけで貫禄があり、存在感がありありとしている。
「初々しくて、すれてなさそうなところが好感持てる」
 みんなの視線がずっと私に集まったままだった。それが恐ろしくって、私の足がガクガクと震えだした。
「あ、あの、私、何かしましたでしょうか」
 何かしたのなら謝るから 早くここから出て行かせて。
 涙目で草壁先輩を見つめ、助けを懇願する。
「何かしたって言ったら、昨日はチョコレートありがとうな。みんなで美味しく食べたよ」
 宗谷先輩がいうと、周りの人達も同じように「うまかった」「ありがとな」「サンキュー」とそれぞれ礼を述べだした。
 どうやら目の前にいる人達は草壁先輩と同じサッカー部の部員だった。そして宗谷先輩と呼ばれる人が、部長に違いない。草壁先輩が、先輩と呼ぶくらいだから三年生なのだろう。
 私がチョコレートを草壁先輩に渡したばかりに、なんだかさらに広がってとんでもない事になっている。
 これが近江君の言っていた、始末をつけろということなのだろうか。
 でも一体何をどうやって始末するというのか、私の頭は混乱し落ち着いて考えてる余裕などなかった。
「は、はあ」
 気の抜けた音しか口から出てこない。
「なんかこの子、怖がってるみたいだな」
 宗谷先輩は太い声で、ガサツに笑った。
「千咲都ちゃん、別に怖がらなくてもいいんだって。実はさ、昨日貰ったチョコレートをみんなで食べてる時、俺が千咲都ちゃんの話をしたもんだから、どんな子か見たいって宗谷先輩にいわれてさ。それで逆らえないから、ハルに連れてきてもらったんだ」
「おいおい、逆らえないってどういう意味だ。俺はそんなに怖い奴か」
「結構、怖いですよ。三年生になったら、ますます先輩面して下級生を顎で使ってさ」
「おい、草壁、言葉に気をつけろよ」
「ほら、すぐ脅すでしょ」
 草壁先輩も宗谷先輩も笑っているところを見ると二人はいい関係らしい。
 チョコレートをあげたばっかりに、私はまたやっかいな状況に突進んでしまったらしい。
 そんなことで一々反応しないでいいのに、なんでこんな事になっているんだろう。なんだか泣きたくなってくる。
「あの、そんな、わざわざお礼なんていうほどのものではないです。ご丁寧にありがとうございます。では、私はこれで……」
「千咲都ちゃん、そんな逃げることないって。実はさ、ここに来て貰ったのは他にも理由があるんだ。よかったら、サッカー部のマネージャーになってくれないかな」
「えっ?」
 突然の草壁先輩からのオファーに私は驚くことしかできなかった。私がサッカー部のマネージャーになる? 嘘!?
「一人止めちゃうんだよね。それで急遽代わりを探している時に、草壁が君の事話したからさ。結構珍しいんだぜ、草壁が女の子の事を話すのって。こいつ、い つもモテル方だから、自然と女が集まって来るけど、特定の一人の女の子の話なんてしないんだ。草壁に気に入られたのなら、いい子だろうなって思ってさ。そ れで来てもらったんだ」
 宗谷先輩が話してる側で草壁先輩は自信を持った笑みで頷いていた。
「あ、あの、その、私」
 急に言われて、すぐ返事などできるわけがなかった。それにサッカー部のマネージャーだなんて私に務まる訳がない。
 だけどこんな状況であっても、一人やめるという言葉が気になった。それはもしかしてサクライさんの事ではないだろうか。マネージャーといえばサクライさんのことしか知らないのだが。
 もし、私がマネージャーになってしまったら、あのサクライさん親衛隊からの迫害が酷くなる原因を作る何ものでもない。これ以上の問題はもう抱え込みたくない。
「で、で、で……」
 どもりながらできませんと言おうとしているときに、周りがなんだか茶化しだした。
「ん、デデデ…… あっ、デデデ大王!」
「デデンデンデデン…… ターミネーター!」
「お前ら、アホか」
 宗谷先輩が牽制しても、皆気にせず笑っている。
 こういうノリをするところをみると、みんな気さくなんだろうけど、益々言いにくい。でも勇気を振り絞って踏ん張った。
「私、その、できまぁ……すぅぇ(せ)……ん」
 力強く言い切ろうとしたその時点で、いきなり後ろのドアが開いて、語尾の言葉がかき消された。
 振り返ればそこには、見たことない女生徒が立っていて、私と目が合った。向こうもいきなり私がいたのできょとんとしている。
「おっ、櫻井、ちょうどよかった。今例の件で話し合ってたとこだ」
 宗谷先輩の言葉で、一瞬にして目が見開いた。
 この人がサクライさん。
 そこには清楚なお嬢様が凜として立っていた。どうみても桁違いに美人だった。
 サクライさんは、そんじょそこらの女子高生ではなく、プリンセスのように気高い雰囲気を持っていた。
 そのサクライさんが私を見てニコッと微笑み「こんにちは」と挨拶する。
 私は頭を下げるだけで精一杯だった。
「この人が新しいマネージャーになってくれる方ね」
 えっ、ちょ、ちょっと待って。まだ返事してないし、断ろうとしているんだけど。
「そうなんだ。いい子だろ」
 宗谷先輩が答えた。
「いい人が見つかってよかったわ。これで私も安心して辞められるわ」
 やっぱりサクライさんはマネージャーを辞めてしまう。きっと草壁先輩絡みでサッカー部に居づらくなったに違いない。
「あーあ、ひまりちゃんが辞めちゃうのは残念だな。草壁、お前も引きとめろよ」
「仕方がないだろ。本人の都合なんだから」
 草壁先輩が他の部員の言葉に戸惑っている。なんだか気まずいものを感じた。
 サクライヒマリ。
 それが彼女の名前らしい。なんだか桜と向日葵を同時に思い浮かべてしまった。
「でも新しいマネージャーもかわいいし、まっ、いいか。やっぱりマネージャーは可愛い方がいいもんな」
 えっ、かわいい? もしかして私のこと? いや、それよりも驚くべき問題はすでに私はマネージャーにされちゃってることだった。冗談じゃない!
「ちょ、ちょっと待って下さい。私、そのまだきっちりと返事を」
「さっき、できまーすっって返事したじゃん。それで決まりでいいよ。俺達は賛成だし、なぁ、みんな」
 宗谷先輩は強引に肯定に持っていった。
「おぅ!」
「あー、俺もこれで紹介した甲斐があった」
 草壁先輩まで役立ったと言い切っている。
 なんで、あれが『できまーす』と聞こえたのよ。もうタイミングが悪すぎて、自分の行きたくない方向に流されていく。しかも私には断る隙を与えずになぜか皆、力ずくでそうもっていこうとしてるように思える。
 私が、あわあわしているうちに、この問題はすでに流れていってしまった。
「しかし、今日は本降りだな」
「天気には勝てませんからね」
「体育館も混んでるだろうな」
「雨の日はどこのクラブも集まって込み合うからな。俺達はここが使えてラッキーだ。ここでならボールを使って動き回れるからな。それじゃそろそろ始めるぞ、まずはストレッチからだ」
 それぞれが体を動かし始め、慌しくなっていった。
 サクライさんも宗谷先輩と草壁先輩と向き合って何かを話し込み、私の存在はすでに空気のようになり、誰も気にする人がいなかった。
 私一人だけがおどおどし、断りたいのにすでにタイミングを逃して、この輪の中に入っていけずに、口許だけをわなわなと震わして突っ立っている。
 場違いな場所に迷い込んでしまって、恐ろしくて毛穴が開ききりぞっとし、絶体絶命な気分で私は頭が真っ白にそこに突き刺さってるような状態だった。
「えっと、名前は?」
 宗谷先輩たちと話し終えたサクライさんが私の元にやってきた。
「は、はい。私、遠山千咲都です。あ、あの」
「遠山さんね。そしたら、これから色々と説明するからついて来て」
「えっ」
 サクライさんは扉を開け、有無を言わさずスタスタと部屋を出て行ってしまった。また後をついて行かざるを得なくなってしまい、私は慌てて追いかけた。
 廊下に出たところで私はすがるように声をかけた。
「あ、あの、そのサクライ先輩」
 呼べば静かに振り返った。
「私、まだそのはっきりと返事してなくて、そのどうしていいか分からなくて」
「えっ、すでに決まったんじゃなかったの?」
 サクライさんが非常に驚いて、露骨に眉根が狭まった困った顔を私に見せた。苛立った気がジワリとにじみ出ている。
 私はそれにビビッてしまい、おどおどしてしまった。
「ん、もう、それじゃさっさとはっきり決めて。どうするの? やるの? やらないの? どっちなの?」
 脅しが入った威圧感のある声は責められているようでなんだか怖い。というより、自分が先輩だから、下級生には強気になれるのだろうか。それとも草壁先輩がらみで、私はもしかして嫌われているのだろうか。
 相手が上級生で自分の立場が弱い事もあり私は言葉を失い、どう処理して良いのか許容範囲を超えすぎて壊れてしまった。
 こうなると、ひたすら謝り、全てを諦めて従ってしまう。この時点で断ることなどできそうになかった。
「すみません。やります。頑張ります」
 気持ちとは裏腹に責任を感じて、口からただ言葉が出ているだけだった。
 成り行き上、私は承諾してしまった。
 それこそもう後には戻れなくなった。
「そう、よかった。私もやってくれる人が居ないと困るの。だから遠山さんに断られたらどうしようかって思っちゃった。これで安心だわ。夏休みまでに、しっかりと仕事覚えてね」
 切羽詰ったように殺気だっていた感情が消え、強張っていた顔が緩んでいた。にっこりとして微笑むその笑顔は、美しいだけあって魅了された。
「あの、他にはマネージャーいないんですか?」
「まず三年生に二人いるわ。でもすぐに引退するの。一年生で二人入ってきたんだけど、一人体調崩しちゃってすでに辞めちゃってるし。それで二年生は私一人 で、これまた辞めちゃうから、一人しか居なくなっちゃうわけなの。これでは大変なので急遽募集しなくっちゃならない時に草壁君があなたのこと言い出したっ て訳」
 道理で切羽詰ったものがあって有無を言わせずに、押し付けた違いない。
「でも私、サッカーの事あまり知らなくて」
「そんなの覚えたら誰でもできるわよ。大切なのは、みんなが部活しやすいようにサポートすること。とにかく部室に案内するわ。そこで他のマネージャー達がいるから紹介する」
「さっきの部屋は部室じゃないんですか?」
「あそこは申請すれば誰でも使える部屋なの。雨の日とか、練習ができない時はあそこで室内トレーニングしたりしてるの。そういう日は屋内で練習できる場所を確保するのもマネージャーの仕事よ。覚えといてね」
「はい」
 とんでもない事になってきた。
 どうして私がサッカー部のマネージャーになってしまうのよ。
 近江君が上級生から虐められてると勘違いしてから、私はどんどん変な方向に行ってるのではないだろうか。
 手紙から発生した希莉との仲たがいも、草壁先輩がらみのトラブルも、そしてマネージャーも、もし私が近江君と知り合ってなかったらこんな事発生しなかった。
 これって、全部近江君のせいってこと?
 近江君の気取った笑みが脳裏に浮かび、私はもっていきようのない気持ちをその主犯格である近江君にぶつけたくてたまらなかった。

 サクライさんに連れてこられた部室は、運動場に面し、まるで二階建てのワンルームアパートのように建っていた。
 その一階の一番端がサッカー部の部屋として割り当てられている。
 サクライさんが引き戸をガラッとあけ、先に中に入っていく。私は恐る恐るついていった。
 入った瞬間、じめじめした空気と染み付いて取れない汗、そして部屋にある全てのものが混じって、慣れない独特の匂いに思わずうっとこみ上げてくる。
 棚やロッカーといった収納場所が並び、壁には部員の好みのプロサッカーのポスターが貼られ、その間に乱雑にユニフォームが掛けられている。床にはいくつかのサッカーボールが転がってることで、ここがサッカー部だと主張していた。
 その部屋の端よりで三人の女生徒がテーブルを囲んで座っていた。私が部屋に足を踏み入れると一斉に視線が向けられた。
「この人が新しいマネージャーとなります、遠山千咲都さんです」
 サクライさんがみんなに紹介し、私はおどおどとしながらテンポ悪く不恰好に会釈した。
「ひまり、よかったわね。後釜がすぐに見つかって」
 堂々とした態度、この中で一番貫禄があり、サクライさんを呼び捨てにするところをみると三年生だろう。
 その隣で、にこっと微笑み、この状況を喜んでいる人も同じく三年生に違いない。どちらも初めて見る顔だった。
 そして残りの一人、ぶすっとしてて愛想が悪い。
 その顔には見覚えがあり、話した事はないけど、時々廊下で見かけたことがある。多分向こうも私の事をすでに知っているのだろう。なんだか気に入らなさそうに私を見つめる目が意地悪かった。
「ほら、何をぼっとしてるの。みんなに挨拶して」
 サクライさんに言われて、はっと我に返り、私はこの上なく恥かしさがこみ上げてくる。あまりにも圧倒されて自分を見失っていたから、咄嗟に最低限の礼儀ができなかったことが自分でも悔しい。
 そういう部分を人から指摘されて無理に強制されるのが私の自尊心を一番傷つける。
「は、初めまして。遠山千咲都です。どうぞよろしくお願いします」
 深く頭を下げ、なんとか体裁を整えようと試みる。
 とりあえず取り繕った態度としても、殊勝で従順らしくすると三年生の二人にはいい印象を与えたみたいだった。
 三年生たちがそれぞれ名を名乗ったあと、「緊張しなくてもいい」や「すぐに仕事が覚えられる」と励ましてくれた。サクライさんも不満はあるだろうが、「来て貰えて本当に助かったわ」と一応は歓迎の意向を示した。
 だが最後の一人は「私は加地美奈恵、宜しく」と簡素に自己紹介しただけだった。
 彼女は多分、隣のクラスの生徒だったと思う。接点はないのですれ違っても気にしなかったが、こうやって知り合ってしまうと、私が特に苦手とする気の強さが見受けられた。
 それだけとても無愛想で、私に敵意を持っているような態度だった。
 同じ一年生同士だから、連携して仕事をこなさなければならないのに、上手くやっていけるのか不安になる。
 あれよあれよとマネージャーとなり、いや、させられたと言った方がいいのかもしれないこの環境。
 複雑な気持ちのまま、私はこの輪の中に身を置いた。
「それじゃミーティング始めます」
 三年生の一人が号令を掛けた後、今後の試合の事、練習事項などスケジュールの事が話された。
 そしてそれが終わると、マネージャーの心得ややるべき仕事内容を教えてもらい、それをメモしながら私は聞いていた。
 どこに何があるか、ボールの手入れ、水分補給のために用意するドリンクや怪我のときのための救急箱と応急処置の仕方、練習試合で相手チームを呼んだときのおもてなしや、運動場の整備など細かいことまで色々とありすぎて一度に頭に入らなかった。
 とりあえず、みんながやることを側で見て徐々に慣れて行くしかなかった。
 早速、練習に励んでいるみんなに飲み物を配るという仕事が与えられ、私は加地さんと一緒に持っていくことになる。大きなヤカンと紙コップを持って黙って加地さんの後をついていった。
 部員の前だと加地さんはにこやかになって愛想よく、笑うと右頬にえくぼができていた。
「お、千咲都ちゃん、早速のマネージャー業かい。なんだか無理やり誘ったみたいで、ごめんね」
 草壁先輩にコップを渡しながら私の顔が引き攣った。
 まさに無理やりではないか。
「いえ、練習お疲れ様です」
「でも、千咲都ちゃんが来てくれてよかった。加地さんもこれで負担が少なくなるね」
 話を振られた加地さんは、満面の笑みを浮かべて元気よく「ハイ」と返事していた。草壁先輩を見る目つきがとても生き生きとして輝いている。やはり憧れているのだろう。
 その後もフレンドリーに私に話しかけてくれる部員が何人かいた。だがシャイな人や、人付き合い慣れしてない人などは接触がぎこちない。碌に挨拶もできないままの人達もいた。
 それでも飲み物を渡せば素直に「ありがとう」と返ってきたので、その言葉にどこかほっとさせられた。
 一年生の部員も何人かいるが、その中に自分のクラスの生徒はみかけなかった。
「今日は別にやることないし、マネージャーは先に帰ってくれていいよ。俺たちも今日は早めに切り上げるつもりだ。他のマネージャー達にもそう言っておいてくれ」
 宗谷先輩が部長として指示を出す。
 加地さんと私は歯切れよく「はい」と返事した。
 遠くから草壁先輩が部屋を出ようとしていた私に声を掛ける。
「千咲都ちゃん、頑張れよ」
「はい、ありがとうございます」
 この時の私は気疲れと慣れない仕事のせいですでに疲労し、笑顔を作るのも一苦労で、心から笑えなかった。
 こうなったのも草壁先輩の提案が原因と思っているので、応援されても複雑な心境だった。
 「お先に失礼します」と静かにドアを閉め、終わったことにほっとするも、冷静になった時、急激に腑に落ちない感情が湧き起ってきた。
 一体私は何をしているんだろうか。もしかしてこれは夢の中のできごとなのだろうか。こんな事になってしまったことが現実として受け入れられなかった。
「なんで、なんでなのよ!」
 まるで私が叫んだように、耳に自分と同じ気持ちの言葉が届いた。
 「えっ」と思った時、前方を見れば加地さんが振り返り私を睨んでいた。
「なんで、あなたが千咲都ちゃんで、私が加地さんなの。私の方が前からマネージャーしてるのに、どうしてみんなは今日入ってきたばかりのあなたに気を遣うのよ」
 私はなんと答えてよいのか分からず、困惑したまま加地さんを見ていた。
「私はあなたなんか認めませんからね」
 加地さんはスタスタと先に行ってしまった。
 嘘でしょう。ここでまた試練が発生してしまった。まさかの展開に私は絶句してしまう。どうして全てにおいて問題が発生してしまうのだろう。
 また新たな火種に私はチリチリと焼かれる羽目になってしまった。
「あの、待って、加地さん」
 何とかしたい。私は小走りで追いかけ、加地さんの前に立ちはだかった。
 だけど加地さんは口を閉ざしたまま、冷たく睨みつける。
「私も戸惑ってるの。まさかマネージャーになるなんて思わなくって。その」
「だったら断ればいいじゃないの。結局は草壁先輩に気に入られたから、調子に乗ってチャンスだと思ってやってきたんでしょ」
「チャンス? なんの? ち、違うわ。これには自分でも説明のつかない事で、私だって訳がわかってないの」
「かわいこぶっちゃって。私あなたみたいな”いい子ぶりっ子”嫌いなの。ちょっとそこどけて」
 加地さんは私を押しのけて歩いていく。
 私は唖然としてしまった。それでも気を取り直して、必死に後をつけて行った。
 理不尽な態度を取られ、私だって気分が悪いし、腹も立ってくる。しかし、この時言い返す気力も失い、私は流されるままに気持ちを受け流す。
 加地さんがこのような態度を取るのは、私が低く見られて舐められているからに違いない。
 こういうきつい人は自分のレベルを基準にして、上か下かで判断し、そしてそのような対応をとる。
 部員や草壁先輩の前では見事に従順で明るいマネージャーを演じ、私と二人っきりの時は存分に見下す。
 更に私はそういう対応をされると、受身になって反抗する事はなく、常に泣き寝入り状態になってしまう。私が強く言えたらいいのだけども、できないから加地さんはそこを嗅ぎ取って八つ当たってきた。
 マネージャーは押し付けられた感はヒシヒシとあるが、結局は自分もやるといった以上責任はとらざるを得ないだろう。
 一生懸命やる事はやるから、せめてその周りの人間関係だけは良好でいたかった。
 教室では希莉との問題。部活では加地さんとの問題。そして一歩外へ出ればサクライさん親衛隊との問題。
 どこまで私は運が悪いのだろう。
 気合を入れて高校入学に挑んだはずなのに、みんなに常に優しくして愛想を振りまいていたら全てが上手くいくはずだったのに、全てが裏目に出ているではないか。
 すっかり道を外した高校生活へと突入してしまっている。
 この先、私は一体どこへ行こうとしているんだろう。
 近江君が言っていた言葉が頭の中で蘇る。
 『お前さ、俺と係わってしまったことで道を誤ったのかもな』
 まさか……
 やっぱり近江君が原因?
 ふと見た窓には横殴りの雨が激しく叩きつけている。その大雨は確実に私の心にもザーザーと涙のように降っていた。
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