第二章


 その放課後の事。
 希莉と柚実とは何の発展が無いまま、また一日が終わってしまった。
 このままでいたら、本当に私達は終わってしまう。
 希莉が帰り支度をしているのを見ながら、悩んでは葛藤し、近江君の言葉を思い出しては反芻し、覚悟を決めて我武者羅に立ち上がったその時、突然誰かが私の肩を叩いて、教室の後ろのドアを指差した。
 振り返れば、別のクラスの女子生徒達が私に『おいで』と手招きして呼んでいる。
 話した事はないけど、顔はなんとなく見たことがあるような人達だった。訝しげになりながらも呼ばれるままにそっちに足を向けた。
「あの、何か用?」
「あなた、二年のクラスに昨日行ったでしょ」
「えっ?」
「えっ、じゃないよ。なんか大変な事になってるみたい。それがさ、先輩がA校舎の裏に来てっていってたよ」
「ちょっと待って。その先輩って誰?」
「なんかやばいことしたんじゃないの? 私はたまたま部活の先輩に言付かってさ、二年の教室に入って草壁先輩と話した一年生を探してきてって言われたの。そしたら草壁先輩と一緒に帰った子がいるってたまたま耳にしてさ、あなたに辿りついただけ」
 これって、まるで集団リンチへのお誘いですか?
 私が下級生で生意気に思われて、気に食わないのだろう。
 どうしよう。
 せわしく瞳が揺れ動き、視線が自分でもうろちょろして動揺しているのがよくわかる。
「とにかく知らせたからね。必ず行ってよね。そうじゃないと、関係ない私にまでとばっちりがきちゃうんだから。こっちもいい迷惑よ」
 捨て台詞を吐いたように、思いっきり歪めた顔を隠しもせず私に向けた。
 そんなこと言われても、こっちだっていい迷惑だ。まさか、こんなに事が大きくなるなんて思ってなかった。
 それだけ草壁先輩はすごい存在で、私なんかが気易く声をかけてはいけなかったに違いない。
 呆然としている私の事など、知った事ではないと、メッセンジャーは私を置き去りにしてどこかへ消えていった。
 お互いの名前すら知ることなく、今後も赤の他人のまま、例え廊下ですれ違っても挨拶することもないだろう。
 これ以上係わりたくないという嫌な印象があの人の心に刻まれたに違いない。まるで私は疫病神とでもいいたげに。
 また新たな問題が頭上に降りかかり、自分の高校生活がめちゃくちゃに荒らされる。
 こういう時、希莉や柚実に助けて欲しいのに、二人と気軽に話せなくなった事がとても悲しい。
 結局誰にも言えないままに、私は呼び出された場所へと向かった。
 校舎の裏というくらいだから、あまり一目につかない場所なのは確かだった。
 学校の一番端っこに位置するようなひっそりとした場所。飾りのように低木が連なった垣根。その後ろにも一般通りと区分けするフェンスが並んでいる。
 すぐには逃げられない圧迫感がそこにはあった。
 そして五人の女生徒がまさに校舎の裏、窓がないコンクリートの壁の前に集まって固まっていた。私が近づいてくるのがわかると、じっと私の顔を気に入らなさそうな目つきで睨みつけていた。
 思わず身がすくんでしまうが、必死で足を動かして側に寄る。側まで来た時、どこかで見たような顔があり、それが今日図書館で近江君と一緒に居たときに出くわした人だと気がついた。世間は狭い。
 なんだか事が大きくなりそうで、私は嫌な予感で身震いしてしまう。
 私が適当な距離を取って立ち止まると、上級生のお姉さまたちの睨みに一層磨きがかかった。
 じめっとした湿気を含んだ空気、雨は降ってないが雲が垂れ込んで天気は悪い。むしむしする不快なコンディションの中、私は上級生と対峙する羽目になった。
 一応殊勝にしゅんと猫を被るが、心の底では恐怖心と腹立たしい気持ちが交じり合った複雑な心境だった。
 こんなのフェアじゃないし、私だって不可抗力でああなっただけに、納得がいかなかった。
 とりあえず成り行きを見ていた。
「あなたね、一年生の癖に草壁君に近づいてどういつもり?」
 その中でも一番のリーダー役なのだろう。
 目が細いせいか、とても目つきが悪く見えた。
「別に近づいたとかじゃなくて、偶然そうなっただけなんです」
 こんな人達に説明したところで、理解も何もないのが見えている。一体私にどうしろというのだろう。
「草壁君には彼女がいるって知ってるの?」
「えっと、その噂は聞いたような……」
 サッカー部のマネージャのことだろうか。
「ちょっと何よ、その言い方」
「でも、私は草壁先輩と知り合ったのは、ちょっとした偶然なだけです」
「いい、これ以上、草壁君には近づかないで。昨日、あなたが草壁君と一緒に帰ったせいで、櫻井さんがどれだけ辛かったか分かる?」
 サクライさんというのが彼女の名前なのか。
「そのサクライさんというのはどの方ですか」
 五人の顔を万遍に見てみたが、誰も名乗らないのでここにはいないようだ。
「とにかく、草壁君には櫻井さんがいるってこと忘れないでよ」
「は、はい」
 と返事したものの、自分ではよくわかっていない。
 ただこの状況が怖く、理不尽に思えて、居心地悪くて仕方がなかった。
 だけど、この五人はサクライさんのためにこうやって一致団結するのもすごい事だと素直に思ってしまう。
 私なんて、誰も感情移入されぬままに、私の肩を持ってくれるような友達がいない。
 ちょっぴりサクライさんが羨ましくも思えた。
 そんなサクライさんを応援する彼女達の熱き友情に感心してるとき、問題を真鍮に捉えてないと思ったのだろう。
 目の細い人が、さらに苛立った声を上げた。
「あなた、ちゃんと聞いてる? 少しは反省して謝ったらどうなの?」
 ふとこの時、心にわだかまりができた。
 謝る? 何に対して謝るというのだろう?
 私は何も悪いことしてないし、ただこの人達が勝手に怒って私を責めてるに過ぎない。
 事を収めるだけに謝るという行為が、この時ばかりとても馬鹿馬鹿しく思えた。いつもは希莉に口にしているというのに。
 理不尽に攻め立てられるこの人達の機嫌を取って、何になるというのだろうか。
 一年上なだけで、心まで支配されないといけないのか。この時反発心が芽生えてしまった。
「私、別に悪いことしてません。偶然草壁先輩と話しただけで、そんな責められることなんでしょうか。彼女がいる事も知らなかったですし、別に私は下心持って近づいたわけでもないです。ほんとに偶然に成り行きでこんな事になっただけです」
 納得行かない気持ちが言葉になって口から出ていた。
 この人達の前で、無意味に謝ることが私にはどうしてもできなかった。
「なんて生意気な一年生だろう!」
 舌打ちとともに、罵声のような軽蔑した声が浴びせられる。
 完全に五人を敵に回したと思ったその時、駆け込むように人影が入り込んできた。
「お前ら、千咲都ちゃんに何してるんだ?」
 全員が凍りつき、目だけは大きく見開いて、その声の主を凝視していた。
 なんと、今話題になっているご当人、草壁先輩のご登場だった。
 本人が現れたことで、強気だった五人の女生徒たちの勢いが急に萎れてしまい、突然取り乱して右往左往しだした。
 誰もが口を開けたまま言葉につまり、顔面蒼白でうろたえている。
 さっきまでの威勢はどこに行ったと突っ込みたくなるほど、狼狽していた。
「お前ら、もしかしたらまた櫻井の事で、余計なことしてるんじゃないだろうな。いい加減にしてくれないか。俺と櫻井はなんでもない。うんざりだよ」
 いきなり草壁先輩が怒り出し、五人は一気に小さくなっている。
 草壁先輩の怒りで震え上がった先輩の一人が、なぜか私に助けを求めるように視線を向けた。
 それに戸惑うも、今後の事を考え咄嗟に私は計算高々に行動してしまう。それが後で役立つなんて補償もされてないのに、結局は事を大きくしたくない防衛が出てしまった。
「あっ、あの、草壁先輩、あの、なんでもないんです。私の方がこの方達に色々訊いてただけなんです。ねぇ、先輩方」
 一番リーダーっぽかった細い目の人を見たけど、その人は完全に声を失っていた。
「千咲都ちゃん、嘘をつかなくてもいいって。こういうこと、これに始まったことじゃないんだ。こいつら、いつも櫻井と俺をくっつけようとしてくるんだ」
 一体どういうことなんだろう。
 草壁先輩が目の前の五人を睨みつけている。
「とにかく、二度と千咲都ちゃんに近寄るな。わかったら向こうへ行け」
 その言葉を吐き出したとたん、五人は蜘蛛の子散らすようにさっさと逃げていった。
 私は暫く呆然として、突っ立っていた。
 そして草壁先輩は大きく息を吐いて私を見つめた。
「一年生の女子を探してる変な動きを耳にしてもしやと思ってさ、それで探りを入れたら、案の定だった。千咲都ちゃん、ほんとごめんね。迷惑かけて」
「えっ、先輩が謝る必要ないです。私の方が迷惑掛けてると思うんですけど」
「ううん、そんなことない。あいつらさ、ことあるごとにお節介な奴らでさ、いつも集団で固まって俺を監視してるんだ」
「えっ、監視? それって集団ストーカー……」
「そう、そうなんだよ。常にアンテナ張られて、自由が利かないというのか、縛り付けられているというのか」
「草壁先輩も色々と悩みがありそうですね」
「まさにその通り。側にいたから、友達のように気さくに喋っただけで、その女の子と付き合ってる事にされたり、それで周りの女友達が団体で後押ししてきて さ。そいつらがうるさいから、俺は他の女の子と喋っちゃいけないようにされるし、ことあることにやりにくいのなんの。またクラスの友達に言えば、女子に 構ってもらえるだけ有難く思えやら、もてて羨ましいやらで、俺の事真剣に考えてくれる奴なんていないんだ」
「もしかして、サクライさんって方が原因?」
「えっ、そ、そうなんだ。部活のマネージャーでもあるんだけど、普通に良く話す間柄だったのに、仲がいいとか周りが持ち出したせいでさ、彼女その気になっ てしまったんだ。でも俺はそういうつもりなかったし、勝手に口実つくられた感じ。ちゃんと否定したんだけど、まだ周りがうるさく騒いでるっていう訳」
 草壁先輩の瞳はどこか陰りを帯びて、虚空を仰いでいた。最後に下唇を少しだけ噛んで顔を歪めて言いにくそうにしていた。
「でも、先輩もてますし、一年の女子の間でもかなりキャーキャー言われてますよ」
「参ったな。一体俺の何がいいというのか」
 草壁先輩は困り果てた顔をして、手持ちぶたさに頭を掻いていた。そこには謙遜もはいってるのかもしれないが、実際やはりかっこいい風貌であり、面倒見もよく優しいし、もてるだけの要素は充分に備えている。
 でもそれを鼻にかけない気さくさが伺え、ピンチを何度も助けてもらったお蔭で私もどこか心許してしまう。
 目の前で自分の悩みを話している姿も、意外な面として緊張感が抜けていくようだった。
「草壁先輩のその飾らない態度や、親しみ易いところはやっぱり素敵だと思います」
 その時、草壁先輩の動きが急に止まり、ハッとした表情を私に向けた。
inserted by FC2 system