第三章


 受けるべきか、断るべきか。それが問題だ。
 その晩、自分の部屋で一人になると、再び草壁先輩から告白を受けたことで頭が一杯になった。
 ぐるぐると告白された場面が、こびりついて耳から離れない曲のように何度もリピートされている。
 自分がまず、現実に起こったことなのか信じられないでいる。
 でも本当は自分でも分かっていた。草壁先輩がかっこいいアイドルだから、恋のヒロインになれたと自己満足で喜んでいるだけ。
 返事を引き延ばしてあれこれ考えている自分に酔っている。
 私は草壁先輩のかっこよさと、その人気をまず考えて、彼女になった時の優越感に周りの羨望の眼差しも含めて、その時の自分の存在感を第一に想像してしまった。
 本当に草壁先輩の事が好きならば、その場で即決で受けていたはずである。
 憧れはあっても、私のようなものが草壁先輩と付き合うなんて、いやこれは月とすっぽん過ぎて世間も許さないだろう。
 しかし、即決で断らなかったのも、ひたすら千載一遇だからと、それを無にしてしまうのが惜しかっただけ。
 かっこいい彼氏が欲しいと思ってはいたけど、こんな突然にかっこよすぎる人から好きだと心の準備もないままに告白されても、小心者の私にはレベルが高すぎだ。
 と、あれよこれよと論理つけて考えてみるも、これもまた厄介な問題ごとには変わりなかった。
 それに、草壁先輩とくっ付いてしまったら、櫻井さん親衛隊隊長の常盤さんがどんな攻撃を仕掛けてくるかわからない。
 それこそ次は武器がお目見えなんてことになったら恐ろしい。
 草壁先輩が私に告白してきたと知られるだけでも、一大事になりそうなおぞましい予感がした。
 だけどあまりにもとてつもない事柄が一度に私に降りかかり過ぎて、なんだか息継ぎが上手くできない。
 高校生活の中でアップアップと溺れている気分だった。
 就寝時間になっても、ベッドの上で何度も寝返りを打って、朝の目覚ましがなった時は寝たのかもわからないくらいだった。
 何かをやってないと、すぐに頭の中が一杯になって色々と考えてしまうので、さっさと身支度を済ませ、いつもより早めに家を出てしまった。
 早めの電車に乗り、いつもと違う時間帯で学校に向かう。
 それにしても眠かった。
 電車を下りて、沢山の人混みの中を歩いているとき、大きなあくびと共に目じりから涙がにじんだ。
 それを拭い取り、何度か目を瞬いていると、前方にどこかで見たような人が歩いていた。その人も私と同じ制服を着ている。
 誰だっけとすぐに記憶のピントが合わないまま、混雑した流れにそって足並みそろえて改札口を出たところで、はっとした。
 櫻井さん親衛隊にいた、一番存在感がなく気弱な人だった。
 あの人は他の親衛隊とは違う雰囲気が漂っていた。
 今のところ一人で歩いている。私は彼女に詰め寄って行った。
「おはようございます」
 後ろから声を掛けると彼女は振り返った。
 そこに下級生の私が立っていたことに喉の奥から反射した「あっ」という声が微かに漏れて、かなり驚いている様子だった。
「な、何?」
 一人だと益々気弱そうで、これなら私もなんとか話せそうだった。
「あの、常盤先輩の事なんですけど」
「私は、別に関係ないわ。ただ一緒に居るだけなの。あなたの事虐めてないからね」
 責めてもないのに、こんな事を第一に言い出すとは、やはり虐めの自覚があるようだった。
「別に先輩を咎めてるわけじゃないんですけど、なぜ常盤先輩は櫻井先輩と草壁先輩をくっつけたがるんですか?」
 草壁先輩から真実を聞いただけに、この部分が気になっていた。
 ちょうどいいチャンスだと思って不躾に訊いてみた。
「それは、お似合いだからじゃない」
「常盤先輩と櫻井先輩は親友なんですか?」
「そ、そうなんじゃないの?」
 居心地悪そうに、落ち着かない態度がどうもひっかかる。
「あの、あなたもやっぱり応援されてるんですか?」
「私は、別に応援とか関係ないわ。ただクラスが一緒だから同じグループなだけで、仕方なく側にいるだけよ」
「もしかして、本当は一緒に居るのが嫌とか?」
「えっ、そ、そんなこと…… あなたには関係ないでしょ」
「私、その気持ちわかりますよ。一人になるのが怖いっていう恐れ。それで我慢して皆に合わせてしまう」
 以前この人を見たときに感じたのは、私と似ているということだった。
「えっ」
「先輩も立場弱いんでしょうね」
 私に指摘されて、暫し無言になっていた。
「下級生のあなたに言われるなんて思わなかったわ。あなたの目から見てもそう見えるなんて、恥かしいわ。あなた名前は?」
「遠山です。先輩は?」
「私は橘よ。悔しいけど、あなたの言う通りなの。あの常盤さんはきつい性格でね。自分の思うように人をコントロールするところがあるの。私はその中に取り入れられてしまって、今更抜け出せないの」
「やっぱりそうですか。だけど、櫻井先輩と草壁先輩までくっつけようとコントロールするなんて異常です」
「遠山さん、ここだけの話にしてくれる」
「はい?」
「常盤さんは櫻井さんを応援しているわけではないの。それに常盤さんは草壁君の事が好きなの」
「えっ?」
「はっきり言って嫌がらせみたいな、人格障害的なものよ。常盤さんは櫻井さんに嫉妬してるの」
「えっ? どういう事かよくわかりません」
「櫻井さんと草壁君が噂になった頃、常盤さんはあやかって櫻井さんと仲良くなりだしたの。櫻井さんを利用して草壁君にまず近づいたの。だけど常盤さんはそ こからどうする事もできなかった。櫻井さんが相手では勝ち目なんてなかったのに、奪えるって勘違いしたみたい。ところが、草壁君がなぜか嫌気がさしたみた いに、櫻井さんを避けだしたの」
 この部分の理由はなぜだか知っていたが、私は何も言わなかった。
「離れた理由はわからないけど、櫻井さんとくっつかない事がわかると、周りには櫻井さんがわざと草壁君の事を追い回しているように思い込ませるようになっ たの。一種の櫻井さんに対する嫌がらせでもあるし、櫻井さんを利用することで他の女子が草壁君に手が出せなくなって遠慮するようにもなる。そうすることで 草壁君に女子を寄せ付けないようにした。そして草壁君に近づこうとする女子達も監視し始めたの。自分が草壁君と付き合えないから、誰も草壁君に近づかない ようにコントロールしてるわけ」
「そんな事してる暇があれば、もっと自分が好かれるように努力した方がいいのでは……」
「常盤さんは努力しても自分が選ばれないってわかってたの。そして壊す方を選んでしまった」
「それで私が近づいたから、ああやって絡んで来たんですね」
「そういうこと。私は頭数に入れられてるけど、実際そんな事に巻き込まれたくないの。だけど、強く言えなくて」
「橘先輩、どうか強くなって下さい。そんな人と無理やり友達になることないです。私が言えた義理もないですけど、すみません」
「いいのよ。あなたに本当の事を言えただけでもすっきりしたわ。このこと、草壁君に話す?」
「うーん、それは大丈夫なんじゃないでしょうか。草壁先輩は事実を知ってもあまり困らないかも」
「えっ?」
「いえ、その、大体の事は気がついているんじゃないでしょうか」
「そうかしら。でも、あなたは常盤さんに目を付けられて困るでしょ」
「追いかけられたら怖いですけど、真実を知ったお蔭で、冷静に対処できそうです。そういえば、常盤さんは私に手紙を書いて下駄箱に入れませんでした?」
「手紙を下駄箱に? それはやらないと思うわ。証拠が残るような嫌がらせはあの人しないから」
「証拠が残る…… なるほど」
「それがどうかしたの?」
「いえ、それはどうでもいいんですけど、橘先輩も逃げて下さいね。そんな人友達じゃないですから」
「そうね」
 私達はクスクスとお互い笑って歩いていた。
 学年は違うけど、お互い妙に親近感が湧いて波長が合うような気になっていた。
 元々どちらも気の弱い、流されるタイプだから、似たもの同士なのだろう。同じ立場だと思うと安心して気を遣わないのが心地よかった。
 同じ制服を着た生徒が一斉に同じ方向へ流れていく中、私たちも混じっていた。
 橘さんと色々話しながら歩いていると早く学校に着いたように思えた。
「私は気弱だから、つい流されがちになるけど、もしまた常盤さんがあなたに絡んだ時は、助けられるように努力するね」
「ありがとうございます。なんだか心強いです」
 最後は気持ちよく笑顔を見せ合い、そしてそれぞれの行くべき方向へと別れた。
 問題の根本的なものがわかった後は、落ち着けそうな気になる。
 不意に見上げた空。
 じめっとした梅雨真っ盛りの曇った天気だったが、分厚い灰色の雲の上で待っている青い空がそこにあるんだと思える。
 少しずつ夏に向かっている汗ばみを感じながら、私は気を取り直した。
 いつか梅雨も去る。きっといつか──。
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