Pure Dark

第六章

20 重なるため息

 パトリックがバスルームから出たとき、家の中は静まり返っていた。居間、キッチン、ベッドルームを見てもベアトリスの姿が見えない。
 アメリアの部屋をノックして許可を貰い、中に入ってもベアトリスの姿は見えず、部屋には大人しくアメリアがベッドに横たわっているだけだった。
「どうかしたの? なんだか顔色がよくないけど」
 アメリアが聞いた。
「いえ、ちょっと疲れてるだけです。それよりベアトリスがどこにもいないんですが」
 パトリックはダークライトとの遭遇のことはアメリアに報告できないでいた。何事もなく回避できたことには間違いがないので、心配をかけまいと黙っておく ことにした。
 しかしそれは表向きで、あれだけ任せてと自信を見せていたが、本当は危険と紙一重だったことを知られるのを恥じていた。
「ベアトリスならウォーキングに出かけたみたい。その辺を歩いたらすぐに戻ってくるわ」
「それじゃ僕も護衛に」
「待って、この辺りはダークライトの心配いらないわ」
「えっ、どういうことですか」
「ここはリチャードの管轄区みたいなものなの。リチャードが認めたダークライトしか入り込めない空間になってるの。早い話が縄張りみたいなものね。ノンラ イトの世界で言う、ギャングとかヤクザとか自分のテリトリーってあるでしょ。他のものはそこではでしゃばったことができないみたいに、ここもリチャードの 力で制限されているわ」
「へぇ、ダークライトも割りと仁義を重んじるんですね。みんな好き勝手に暴れるのかと思っていた」
「ううん、こういうことができるのは他の者に恐れられ、そして力を持ってるダークライトだけ。みんなリチャードが怖いのよ。彼がいる土地では好き勝手できないことをよく知ってるわ。暗黒のボス的存在だから」
「なるほど、だからあなたたちはこの土地を選んだってことなんですね」
「そう、先日までは最も安全な土地だったんだけど」
「だった?」
「油断はできないって事。リチャードにとっても厄介なダークライトがまた戻ってきたために、今は少し危険度が増してしまったから」
「一体、どういう奴なんですか」
「コールっていって、年はまだ30前くらいね。背は高く痩せ型だけど、筋肉質でその動きは恐ろしく機敏。ガラス素材や透明なものなら体は通りぬけ、影を自 由に操り、ノンライトや弱いダークライトに忍ばせては自分で悪事を実行しない。そして仲間であっても都合が悪くなれば容赦なく命を奪い取る鬼畜な性格。リ チャー ド と同じくらいダークライトの中では恐れられているわ」
「見かけに特徴とかないんですか?」
「そうね、見るからに不良っぽい悪い雰囲気が漂ってる感じなんだけど、あっ、そうそう確か赤毛だったわ」
「えっ、赤毛?」
 この言葉に反応してパトリックの鼓動が早くなる。モールの入り口附近のドアにいたダークライトの片方は赤毛だったことを思い出した。
「パトリック、どうかしたの?」
「い、いえ、何でもありません。そんなのに遭遇したらどうしようかと思うとつい…… 」
「でも、ベアトリスのシールドがある限り存在はわからないはず。ただ、ベアトリスのシールドがなくなれば、アイツは必ず嗅ぎ付けてくるわ。それさえ気をつければ、後はリチャードがなんとかしてくれる」
 アメリアは心配をかけまいと笑顔を見せたが、パトリックの動揺は収まらなかった。恐ろしいほどの近くにそんな最強の敵が居たと思うと背筋が凍る。
 回避したとはいえ、一歩間違えば危なかったと、事の重大さがこの時になって何十倍になってのしかかってきた。
「あっ、僕、夕飯の支度でもしてきます。それからこれもベアトリスに飲んでもらわないと。またお借りしますね」
 例の壷を手に取った。
「パトリック、夕食の支度は心配しなくていいのよ。今日はピザでも取りましょう。でもライトソルーションだけはお願いするわ。少し量が少ないので全てをベアトリスに与えて」
 パトリックは了解と引きつり気味の微笑を返して部屋を出た。
 アメリアの前では息苦しく、部屋を出るとその反動で呼吸が速くなり、肩が上下に動いていた。
 台所に向かい、ライトソルーションを頼みの綱のように助けを請いながら見つめる。
 パトリックはベアトリスの居ない間に素早くレモネードを作った。
 凶悪なダークライトの姿を思い出すと、無意識にピッチャーに入れたレモネードを何度も念入りにかき混ぜた。不安定な心に左右され、ため息も後を絶たなかった。

 リチャードが仕事から帰宅し居間に入ると、ヴィンセントがソファーで寝ている姿に目がいった。
 向こう見ずで無茶をし、反抗的だが、リチャードの瞳に映るヴィンセントは愛しい息子に他ならなかった。
 暫く無防備に寝ているヴィンセントの寝顔を父親として眺める。
 赤ん坊の時の寝顔も、大きくなったこのときの寝顔も普遍的なものだった。
 前日に学校を崩壊させたことで、叱り飛ばし殴っても、我が子の寝顔を見るときほど自分の子供として愛情がこみ上げてくるものはなかった。
「なんだよ、親父。気持ち悪いな、ジロジロ見んなよ」
 ヴィンセントは大きな欠伸をしながらむくっとソファーから起き上がり、髪をかきあげた。
「なんだ起きてたのか。今日は学校も休みで何してたんだ。まさかベアトリスのところへはいってないだろうな。約束は覚えてるだろうな」
「判ってるくせに、嫌味言わないでくれ。あんたの縄張りにダークライトの反応があったんだろ。それが俺だっていいたいんだろう。俺しかそこへ入れないから な。はいはい、言い訳はしません。そこへ行ってました。でもベアトリスには会ってないよ。昨日の事件の後のことが気になったからちょっと様子を見に行って しまっただけだ。それぐらい許されるだろ。あっ、それからパトリックの野郎が来てた。奴とは挨拶を偶然交わしたよ」
「そっか。あの子もやってきたのか。確かベアトリスの婚約者だったな」
 約束を守りきれないヴィンセントの仕返しに、リチャードは意地悪っぽく言った。
 ヴィンセントは、こっそりと様子を見に行ったことで反省する態度を見せよう と思ったが、聞きたくない言葉につい反発してしまう。
「親同士の利益のために利用されただけだろ。そんなことするからベアトリスの親たちも…… 」
「ヴィンセント、それ以上言うな。一番の原因は誰にあると思ってる」
「……」
 ヴィンセントは口を一文字にして目を閉じた。
「今日のことはもういい。あんな事件があったからお前も心配してたし、例外と認めよう。これで気が済んだだろう。さっ、夕飯作るか。腹減っただろ」
 リチャードは背広の上着を脱いで準備をしようとした。
「折角だがいらない。勝手に一人で食ってくれ」
 ヴィンセントはしおらしい声で答えると、物悲しく背中を丸め、自分の部屋に閉じこもってしまった。
 リチャードも息子の落ち込みに気の利いた声もかけてやれず、黙って後姿を憐憫の目で見ていた。
 テレビから笑い声が聞こえる。
 自分に関係ないただの音に過ぎないのに、父親として何もできずに、あざ笑われてる気分になっていった。
 電源を消そうと、床に落ちているリモコンに手を伸ばし、拾おうと前かがみになったとき、中古車の情報誌も一緒に見つけた。
 先にそれを手に取り、パラパラと中をみる。
 無言でそれをテー ブルに置き、リモコンを拾ってテレビを消して台所に入っていく。
 そして冷蔵庫を開けて、色々な思いを抱きながら中を覗いた。

 ヴィンセントは自分の部屋に入ると、ベッドの上に横になり、天井を見つめる。
 脱ぎっぱなしのシャツ、片付けられることなく無造作に積み上げられた本や雑誌が床に散らばっている。部屋もヴィンセントの心と同様に整理整頓されていなかった。
『一番の原因は誰にあると思っている』
 先ほどのリチャードの言葉を思いだす。何が言いたいのかヴィンセントにはよく判っていた。
 漠然的に、子供の頃にベアトリスに強い力で体を抱きしめられたことを思い出す。
 その時ヴィンセントは泣きじゃくり、発狂して我を忘れる程に感情が高ぶっていた。側にいたリチャードすら手に負えない程、ヴィンセントの体からは爆発するくらいのエネルギーが溜め込まれていった。
「あのときベアトリスが俺を抱きしめなければ、俺は町を一つ消滅させていたかもしれない。ベアトリスが俺の心に入って全てを吸収するかのように受け止めて くれた。ベアトリスのあのときの力、あれは眠っていたホワイトライトの力。俺のせいで目覚めさせてしまった。それがなければ彼女がホワイトライトだと周り も気づくことはなかったはず。そして彼女は俺を助けるために心の深くまで入り込んできた。あの時、彼女のお陰で落ち着きを取り戻したが、それが助ける方法 だったとしてもあまりにも酷過ぎる。そのまま俺は心に刻印を押されたようにもう君しか見えなくなっちまった」
 ヴィンセントがベアトリスに魅了されるきっかけとなった出来事だった。
「ベアトリスはあの時のこと思い出す日が来るだろうか」
 切ないため息がひっそりと洩れた。
 同じ頃、リチャードもまたため息を一つ吐きながら包丁を持って台所に立っていた。
「一番の原因は誰にある…… とは言ってみたものの責任は私にある。ヴィンセントにはなんの罪もない」
 リチャードは包丁を振り上げレタスに向かって振り下ろすと、すぱっと簡単に二つに割れた。問題もこれと同じようにあっさりと処理できればと節に願う。
「シンシア、私はどうすればいい」
 亡き妻にリチャードは救いを求めていた。

 金曜日の夕方はベアトリスを巡り、いくつものため息が同時に重なるものとなった。そんなこととは知らずにベアトリスはウォーキングに精を出していた。
「ベアトリスが中々帰ってこない。いくらこの辺が安全だからといっても、もし安全範囲を超えている地域にいたとしたら、そしてあの赤毛のダークライトが接近していたら」
 パトリックは急に不安に陥り、心配し出すと止まらなくなっていった。いてもいられずベアトリスを探しに向かった。
 その頃、ゴードンが声を上げていた。
「コール! 反応だ。感じるよ。ホワイトライトが来ている」
「本当か、ゴードン。すぐに瞬間移動だ」
「うん。ちょっと遠いから、誤差が生じるけど、少し目的地より離れてもその後はコールがホワイトライトの気配感じてよね」
「ああ、特定された場所での感知なら俺にも正確に出来る」
 ゴードンはコールの側に寄ると一瞬にして二人は消えた。
 そして最初に移動した場所は車が行き交う車道の真ん中だった。二人の目の前に眩しいライトが迫る。
「ひゃーコール。怖いよ。おいらたち轢かれちゃう」
「ゴードン、何やってんだ。早く次の場所に移動しろ」
 しかし車は二人のすぐ側まで近づいていた。コールはゴードンを持ち上げて空高くジャンプする。そして空中で二人はまた消えた。
 二人に迫っていた車の運転手は、突然降って沸いた人間を目の前にして、事故を回避しようとその時急ブレーキをかけて、無意識にハンドルを切っていた。
 それが隣の車線の対向車に向かってしまい、激しくぶつかりあう音が響くと辺りはあっという間に悲惨な事故現場となった。
 そんなことも露知らず、知ったところでなんとも思わないだろうが、ゴードンとコールは次の着地地点に居た。そこは緑が広がる公園で、遠くに住宅街の明かりが見渡せた。
「ゴードン、こんなところに罠をしかけてたのか」
「ううん、ここじゃない。もうちょっとあっちの方の賑やかなところ。あーあ、かなりの誤差がでちゃった。やっぱり遠いところだと二人で移動するには無理があるかも」
 その時、風を感じるとコールはニヤッと笑いゴードンを見つめた。
「いや、俺たちはついてるよ。ホワイトライトが移動してる。こっちに向かって来る」
 コールは気配を感じる方へ飛ぶように走っていった。ゴードンはその動きを見て口を開けてみていた。
「うわぁ、早い。おいらついていけない。ここで待ってるからね」
 ゴードンは芝生の上に腰を下ろし、子供がワクワクするように待っていた。

 その同じ時間、暗くなってきても、急ぎ足になることもなくベアトリスはゆったりと住宅街から少し離れた公園附近を歩いていた。
 家に帰ればパトリックが絡んでくる。
 七年ぶりに会ったとはいえ、一日過ごしただけで違和感なく、すっかりベアトリスの生活に入り込んでしまった。
 これからそれが暫く続くと思うと、すぐには家に帰れる気分ではなかった。それは側に居て居心地が良すぎることに惑わされていたからだった。
 空を見上げてうっすらと出ている星を眺めた。
 ヴィンセントに送って貰ったあの日の夕方もこんな空だったと思いながらヴィンセントの笑顔を思い浮かべる。
 そんな気持ちの中でパ トリックに入り込んでこられると、心は無意識に寂しさを補おうとしてしまう。自分のことを思ってくれる優しい人が側にいたら、甘えてしまいそうで、それが自分でも許せなかった。
 すっかり暗くなった公園のはずれ、目の前に人影が見える。
 それは猛スピードで走ってベアトリスに近づいてきた。そして手を大きく広げて、ベアトリスに襲い掛かるように一瞬にして包みこんだ。突然のことに驚きベアトリスは声が出なかった。

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