第一章


 周りの女生徒たちも驚いて私と山之内君を交互に見ていたが、名前を呼ばれた私ですら、何事かと椅子に座って暫く固まったままきょとんとしていた。
「倉持さん?」
 すぐに反応しない私に落ち着かなかったのか、山之内君は確かめるようにもう一度私の名前を呼んだ。
 その時の山之内君の目はずっと私を捉えていた。
 帰る準備をしていた女子達もじっとその状況を見ていた。
 側にいた友達がいち早く状況を察知して、気を利かして背中を押される感じで私は立ち上がったが、机の脚に躓いてはよたつきながら山之内君の側に向かった。
「あの、何か?」
「雨が降ってるね」
「はい、そうですね……?」
「一緒に帰ろう」
「はい?」
「もしかして、何か用事があった?」
「いえ、べ、別に用事はないですけど」
「だったら、一緒に帰ろう」
 この状況はなんだろう。
 山之内君はいつ私の名前を調べたのだろう。
 傘を貸した事を覚えていて、あの時家の表札をみたのだろうか。
 しかし、あれから日数は経ってるけど、一度しか会ってないのに、この馴れ馴れしさはなんだろうか。
「それじゃ、下駄箱で待ってるから」
 山之内君は先に行ってしまった。
 彼が見えなくなったあとで、友達がわらわらと近寄って私に根掘り葉掘りきいてくる。
 それは好奇心と嫉妬と罵倒もはいってるような修羅場な感じだったかもしれない。
 私としても何が起こってるかわからないだけに、答えようもないのだけれど。
「ちょっと、真由、あんた山之内君と付き合ってるの?」
「付き合ってないって」
「じゃあ、なんであんなに親しく真由を誘ってるのよ」
 みんなの目つきが怖い。
「だから、私もわからないのよ」
「いいな、真由」
 自分でも訳が分かってないのに、そんな風に言われても困る。
 でも皆が山之内君の事をカッコイイと囃し立てるから、私もなんだか急に興味をもってしまったのは事実だった。
 羨望の眼差しと、納得いかないきつい目つきの中、私は鞄を持って教室を去った。
 廊下に出ても、他のクラスの女の子がこそこそと話しては私を見ていた。
 全然知らない女の子達にまで変な目で見られて、私は居心地が悪くなった。
 一体なんでこんなことになったのだろう。
 とにかく、山之内君としっかりと話さないといけない。
 それによって、今後私は学校に通えなくなるかもしれない危機感を抱いていた。
 
 隣のクラスなので、一組と二組の下駄箱は近かった。
 山之内君はすでに靴に履き替えて、外の雨の様子を見ていた。
 私もさっさと靴を履き替えているとき、山之内君は振り返った。
「雨、止みそうもなさそうだね」
 別に雨の話はどうでもいい。
 靴をしっかりと履いて、私は山之内君に近づく。
「あの、どうして私なんですか?」
「えっ、何が?」
「何がって、その一緒に帰るって」
「だって、家が近いし、この間傘を貸して貰ったから借りがある」
「はい?」
 家が近い? しかも、傘貸したことちゃんと覚えていた。
「借りがあるっていっても、私、傘もってますよ」
 山之内君は笑っていた。
 ここは笑うところなのだろうか。
「別に、君に僕の傘を貸したいとかそういう意味じゃないんだけど、雨が降ったから、僕のこと思い出してくれるかなって思って。だって、僕と会っても倉持さんは 全然反応がないからさ。なんかこっちが声掛け難くて。雨も降ったから、あの時の事思い出してくれるかなって思って、勇気を出してみた。あの時のお礼もちゃんといいたかった」
 こんな鬱陶しい雨の日ですら、それを吹き飛ばすくらいの爽やかな笑顔がどきっとした。
 まじかで見て気がついたが、背も高く、すらりとした姿が制服のブレザーを着こなしていた。
 男っぽいのに、それとは対照的に笑ったときの山之内君の顔はとても無邪気に見える。
 すごく親しみやすくて、ついじっと見てしまった。
「僕の顔になんかついてる?」
「えっ、いえ、その、笑顔が素敵だなって思って」
「はははは、嬉しいな。倉持さんにそんなこと言われて」
 今度は陽気に笑い出した。
 素直に褒め言葉を受け取って、物怖じせずに堂々とした態度だった。
 傘を貸したときは、おどおどとしているように見えたのは気のせいだったのだろうか。
 つい、山之内君のペースに乗せられてしまったが、ハッと周りをみたら、私達を見ている人たちが大勢いたことに驚いた。
 会話も聞かれていたんだろうか。
「雨の日って、なんか物悲しくって、こんな日はやっつけたいって気持ちになってくる」
「雨をですか?」
「そんな考え方するのって変かな?」
「別に変じゃないですけど」
 みんなの視線を感じているだけに居心地が悪くなってくる。
 それに気がついたのか、山之内君は鞄から折りたたみ傘を取り出した。
 私もそれを合図に、用意していた傘の留めていた部分を外して開く準備をした。
「その傘だよね、この間、僕に貸してくれたの」
 そういえば、そうだった。
 山之内君に貸した傘。
 彼もじっとその傘を見つめて、そしてまたニコッと微笑を返してくれた。
「じゃあ、帰ろうか」
「は、はい」
 私達二人が外に一歩足を踏み出したとき、赤と黒の傘が花のように開いた。
 雨の中、傘を持って並んで歩く。
 傘があるお陰で、私達の距離は少し離れても違和感がなかった。
 だけど私がちょっと恥ずかしくてあまり近くに寄れなかったところがあるけど……。
 緊張感が続いたまま、私はぎこちなく山之内君の隣を歩いていたときだった。
 彼が私に振り返り呼んだ。
「ねぇ、倉持さん」
 目が合って私はドキッとしてしまった。
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