第四章


 千佳にヒロヤさんの喫茶店を紹介してもらってから、一週間にすでに三度も訪れて、そしてすっかりと常連気取りとなってしまった。
 ヒロヤさんが人懐こく、とてもいいホスト役なのが、さらに居心地をよくして、簡単にお得意様のような気分にさせてくれる。
 ここで皆で集まるのが楽しくて、秘密基地を手に入れた喜びがあった。
 ただそこに瑛太がいるのがちょっと腑に落ちないけど。
 ヒロヤさんは私達がすでに仲のよい集まりだと思っている節があるから、瑛太を外すことはできないし、明彦が絡んでいる以上、瑛太の方が私よりも重要人物になってるかもしれない。
 これからここで集まる事を考えたら、瑛太とはそれなりに仲良くしておいた方がいいのだろう。
 なんかしゃくだけど、どうしても私はこの居心地のいい空間をなくしたくなかった。
 それだけ、やっぱり楽しかったし、デザートの試食会はすごく面白かった。
 ヒロヤさんも、とても喜んで何度もお礼をいうし、また次もお願いされた。
 
 ヒロヤさんの店を出たあと、まだ外は夕方と呼ぶには早い時間だったが、終末を家族や友達と過ごした人たちはそろそろ帰ろうとする姿もちらほら見られ、私達はそういう人たちにまぎれながら駅までの通りを歩いていた。
 明彦は、拓登と瑛太に挟まれて歩きたいとリクエストする。
 自分が女の子になりきって、かっこいい二人の男を挟んだらみんなはどんな対応をするのか興味津々だった。
 瑛太はこういう事が好きそうにノリノリになって承諾し、その場の和を乱したくないと拓登も大人しくいう事を聞いていた。
 私と千佳は少し距離を取ってその三人の後ろを歩き、半ば呆れてみていた。
 人通りが多いところでは何人かは気になってチロチロと見ているようだったが、別にこれといってそんな激しいリアクションはなかった。
 それでも明彦はスキップするような弾んだ足取りで歩いているところを見ると、満足している様子だった。
「あのさ、明彦君ってもしかして性同一障害なの?」
 私は思い切って千佳に訊いてみた。
「うーん、ああいうの見たら皆が変に思うだろうけど、実はあれでいて明彦は別におかしいところのない正常な男の子なんだ。ほんとにただ趣味で女装するというのか、人を騙すことに面白みを感じてさ、明彦にとったらいたずらみたいなものなの」
「じゃあ、普通に女の子が好きなの?」
「うん、そう。私が、男みたいだから、結局は私のためにあんなことしてるのかもしれない」
「えっ、千佳のため? どういうこと?」
「明彦が女っぽいと、私が男っぽくなってもバランスが取れてるみたいで、ネタみたいに扱われるでしょ。明彦はわざとそうしてるのかもしれないのかなって思ってさ」
「ということは、千佳が男になりたいってことなの?」
「まあね、そういうことになるのかな。なんてね」
「えっ? 冗談なの?」
 千佳は笑っていた。
 何がなんだかわからない。
 千佳は私の目からみても、別に性同一障害で悩んでいるようにはみえなかった。
 寧ろボーイッシュな気質なんだろうくらいにしか思えない。
 ただ、まだ正直にはっきりといえなくてはぐらかしたのだろうか。
 千佳のことだから、時期が来たらまたずばっと正直に話してくれるのだろうが、今は虚ろな目で前を歩く三人を見ていた。
 暫く黙り込んでいたが、また千佳がふと話し出した。
「あのさ、あの池谷君だけどさ、あの子さ結構いい子なんじゃないの」
「えっ、やだ、千佳がそんなこというなんて、私ショック」
「だって、明彦のことすごく理解してくれてるし、明彦があそこまで心開くのはすごく珍しいんだ。今までヒロヤさんしかそういうことしなかったんだ。自分の ことはあまり言いたがらないのに、池谷君には女装のことも早くから話してるみたいだし、だから今日堂々とあんな格好して来たんだよ」
「それは同じ学校で友達同士だからでしょ。私の目から見たら瑛太はもうしつこいし、意地悪ばかりしてくるんだけど」
「真由にだけはそうみたいだよね。男の子は昔から好きな女の子の気を引くためにわざと嫌な事をするとかはいうけどさ、池谷君は真由が絡まなければすごくいい奴そうにみえるんだけど……」
「やだ、千佳やめてよ。千佳までそんなこと言ったら、私がそういう原因を作ってるみたい」
「案外とそうかもよ。真由、もっとよく池谷君を見てみたら? きっと真由の知らない事がありそうだよ。分かり合えたら、真由と池谷君ってすごく相性良さそうなんだけど」
 千佳は本質を見る目があるだけに、そんな事を言われると困る。
「私と瑛太が相性いいだなんて、なんでそう思うの? 一体何を感じ取ったの、千佳?」
「それは真由の問題になるから、自分で考えな。私がとやかく言えることじゃないから」
「千佳、教えてよ」
 何度と訊いても、千佳はそれ以上は何も言わなかった。
 物事の本質を見抜く目を持っている千佳には、瑛太はどう映ったのだろう。
 私は瑛太の背中をじっと見てしまった。

 千佳と明彦と別れてから、またいつもの三人で同じ電車に乗って家路へ向かう。
 私達はあまり混んでいない電車のドア側に固まって立っていた。
 この時、瑛太は機嫌が良く、絶えず笑っていた。
 拓登の秘密をばらして、私の邪魔をしてくれたというのに、この態度は信じられない。
 私が不服そうに瑛太を見つめると、瑛太はすぐに反応した。
「なんだよ、真由。すごい充実した日を過ごせただろうが。俺に感謝しろよな」
「ちょっと待ってよ。そりゃ、ヒロヤさんの所でデザート食べられたのはよかったけども、それまでが修羅場だったわ」
「ほらみろよ、俺が居なかったらデザートなんて食べることはなかったんだぜ。やっぱり俺に感謝だな」
「だから、前半は最悪だっていってるのよ。それは誰のせいなのよ」
 どこまでも、私達は平行線だった。
 瑛太と話していると、なんだか変な感情が渦巻いてくる。
 この違和感はなんなのだろうと、瑛太のネチネチした性格がすごく鼻についてイライラしていた。
 こんなのと相性がいいだなんて、千佳は何を見てそう思ったのだろうか。
 余計に不服に感じて私は瑛太とにらみ合ってしまった。
「二人とも止めなさい」
 まるで先生のように、拓登が中に入って騒ぎを収めようとする。
「だけど、拓登だって瑛太に怒りたい気持ちがあるんじゃないの。勝手に自分のこと話されたじゃないの」
「あれはあれで、それはびっくりしたけど、でもお陰でちょっと気分が楽になったところはある」
「ほら見ろよ。結局は拓登もあれでよかったっていってるじゃないか。いつまでも拘る真由がしつこい」
「拓登は良かったとは言い切ってない。それは結果であって、話される前まではやっぱり嫌だったと思う」
 また私達は瑛太に突っかかる。
「真由、もういいじゃないか。僕はもう気にしてないから。前半よりも後半の楽しさを思い出そうよ」
 拓登が私をなだめようと必死になると、私はもう何も言えなくなった。
 『それみろ』とでもいいたげに、瑛太が調子に乗って笑みを浮かべている。
 腹いせで、瑛太の足を踏みつけたくなるほど、苛ついた。
 私がくすぶっている中、拓登はヒロヤさんの作ったデザートの事を思い出して、美味しかったと満足していた。
「あそこで、キーライムパイが食べられるとは思わなかった。あれ、僕、結構好きなんだ」
「拓登は甘いものが好きなのか」
 瑛太が興味津々と訊いていた。
「うん。チョコレートチップクッキーはいつも食べてた」
「うわ、まるでクッキーモンスターじゃないの」
 私がそういうと、拓登は調子に乗って「ミー、ウォント、クッキー」とクッキーモンスターの真似をしていた。
 やはり発音が奇麗だった。
「セサミストリートは子供の頃良く見てた。それで英語を学んだかも」
 拓登は隠す必要がないので、過去の話をしているのが不思議だった。
 全く知らなかった拓登が見えてくるようだった。
「私も、あのキャラクターはすごく好き。特にアーニーとバートのコンビがなんかいい」
「ああ、あれか。あの二人は結構噂になって、裏設定があるとか言われてるよね」
「裏設定?」
「いや、なんでもない。知らなければそれでいいから」
 拓登は笑って誤魔化して、瑛太に助けを求めるように振り向いたが、瑛太は助けようともせず無表情だった。
 拓登は慌てて何かの話をしようとしたのか、またヒロヤさんのデザートの話になり、そこから『艶』という名前の話を持ち出した。
「私も、あの喫茶店らしくないイメージだなって思ってた。明彦君はその由来を知ってそうだったけど、教えてはくれなかった。そのうちわかるからって。どういう理由があるんだろうね。瑛太は何か知ってるの?」
「えっ」
 急に振ったことで、びっくりしたのか、瑛太が面食らうように驚いていた。
 これは何かを知っていると思うと私は突付きたくなってしまった。
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