第五章


「瑛太なの?」
「よぉ、真由。こんなところでデートか? へぇ、相手は茂じゃないか。頭のいい者同志、中々似合いのカップルだね」
「ちょっと瑛太、何を言ってるの? あんたここで何をしてるのよ」
「瑛太、もういい加減にしないか。僕は疲れたよ。やっぱり僕には重荷だ。やっぱり嘘はだめだよ。倉持さん、ごめんね」
「阿部君、どうしたの?」
「どうもこうもないよ。僕は瑛太とグルで嘘をついてたんだ」
「えっ、嘘?」
「おいおい、茂、それはないだろ。この場に及んで何いってんだよ」
 それでも瑛太は慌てることなく余裕タップリに落ち着いていた。
「ちょっと待って、嘘ってどういうこと? じゃあ、キスをした人って阿部君じゃなかったの?」
 阿部君は一つため息を吐いた。
「あの時、確かに僕も一緒にそこに居たんだ。囃し立てた一人としてね。倉持さん、よく思い出してごらん、あの雨の日、君の後ろに三人いたはずだ。一人は、僕で、もう一人が、瑛太。その最後が、君にキスをした奴だ」
「で、その人は誰?」
「倉持さんが手紙を書いた子だよ。倉持さんの席の隣に座っていた子だよ。覚えてないかい?」
「おいおい、茂、そんなヒントなんてやる必要がないんだよ。なんで急に裏切るんだよ」
「何を言ってるんだ。別に裏切ってるわけじゃない。ただ僕はもうゲームには付き合いたくない」
 阿部君は静かに言い返していた。
「ゲームって何?」
「倉持さん、全ては君の記憶にかかっている。それを思い出さないことには、君もこのゲームから抜け出すことはできないよ」
「ちょっと、まって、阿部君。私はゲームなんて参加してないし、何のことかわからないんだけど」
「良く考えてごらん。なんでこんなことになっているのか。それは倉持さんが過去の事を思い出せないからなんだ」
「私が思い出せない事が、どうしてゲームになるのよ。瑛太、一体どういうことか説明して」
「おいおい、そう突っかかるなよ。全てが俺が悪いみたいじゃないか。まあ、煽ったのは俺だけど、でも最後まで頑なにこのゲームを続けると言った主犯者は俺じゃない」
「だったら、一体誰よ」
「それが、真由にキスした犯人に決まってるじゃないか」
 瑛太は吐き捨てるように言った。
「倉持さん、思い出してごらん。君の隣に座っていた男の子のこと」
 瑛太とは対照的に、阿部君は催眠術をかけるように、落ち着いた声で私に施す。
 隣の席に座っていた男の子。
 手紙を書いて渡したけど、私はもらえなかった。
 でもその手紙がすごく欲しくて、ずっと探していた。
 なぜ、その手紙が欲しかったのか。
 それはその男の子の事が好きだったから。
 その後、その男の子とは会う事はなかった。
 なぜ、会わなかったのだろうか。
 考えたら、すぐに答えがでてきた。
 それはあの男の子が、引っ越したからだ。
 中々思い出せなかったのは、ずっと会わずにいたからいつしか私の記憶から抜けていた。
 手紙を書いたときの事を当時の気持ちになって考えてみる。
 引越しをするから寂しくて、私は手紙に正直に好きだと書いた。
 大きくなったら絶対に会おうねってそんな言葉も添えたと思う。
 そして、どこに行ってもがんばれ!って最後に書いた。
 がんばれ……
 この言葉が刺激となって、何かが引っ掛かる。
 がんばれ…… がんばれ……
『僕は頑張れっていう言葉で頑張ってきたんだ。その言葉が好きで、ちょっと真由に言って貰いたかっただけ』
 突然、拓登が以前言っていた事を思い出した。
「あっ!」
 私は声を上げた。
 でもまさかという気持ちの方が強くて、ぴったりと記憶と当てはまってもまだ信じられない。
「どうやら、何か思い出したみたいだね」
 阿部君が肩の荷が下りてほっとするように言った。
「うそだろ。真由が覚えてる訳がないって」
 ケチをつけたいといわんばかりに、冷めた口調で瑛太がいった。
「でも、どうしてこんなことに。嘘。だけど、だったら、なぜ」
 私はこんがらがって、支離滅裂になりながら、一人で何度も自問自答する。
「真由、思い出したんだったら、そいつの名前をここでいいなよ。そいつも現れるかもしれないぜ。あの境内の裏から」
「えっ? それって、拓登もここにきているってこと?」
「ちぇっ、本当に思い出しやがった。拓登! よかったな。これでゲーム終了だ」
 瑛太は暗闇に向かって叫んだ。
 ゲーム終了って、それどういうこと。
 私は心の中でつぶやいていた。
 暗闇の中から、人影がぼんやりと見えた。
 それはゆっくりとこちらへ向かってくる。
 辺りは相当暗くなって、仄かにどこからか漏れてくる光でなんとか姿が見えるくらいだった。
「真由……」
 私を呼ぶ声で、それが拓登だと言うのが識別できた。
「一体、これどういうこと?」
 どうしてもゲームという言葉が引っ掛かって、折角思い出しても何もすっきりとしなかった。
 雨が降っているのに、暗闇に溶け込んでしまって全く目では見えなかった。
 でも傘を持ってる私だけが、ぽたぽたと上から落ちてくる雨の滴を感じていた。
 傘を持っていない三人は確実に頭上に雨が降り注いでいるのに、それすら感じられないくらいにこの状況に気をとられているようだった。
 拓登はどう説明していいのかわからないのか、時折小さく声が漏れていた。
 それを見かねて瑛太が口を挟んだ。
「早く言うとだな、拓登は真由が自分の事を覚えているのか確かめたかったってことだ。拓登は自信があったんだよ。真由が絶対覚えているって。でも、俺は忘れているって言っちまった。そこで俺たちは賭けをすることになったって訳」
「賭け」
「瑛太、茶化すのはやめてくれないか」
 拓登が不快な気持ちを露にした。
「何、言ってんだよ。俺が絶対に真由は思い出せないから、素直に自分の正体を話した方がいいっていったのに、拓登がムキになって、絶対思い出すまで、自分 から昔のことは言わないって言ったんじゃないか。そこで、思い出さなかったときは俺の勝ちになるぞって煽ったら、そんなことにはならないとか言ってさ、拓 登も意地を張るから結局賭けをしたようなもんさ。俺はこれでも真由が思い出すように手伝いをしてた方なんだけど」
「それじゃ、二人はお芝居をしていたのね」
 私がそういうと、拓登も瑛太も暫く黙り込んだ。
 二人は口裏を合わせて、初対面のフリをしながら、私が思い出すか思い出さないかを常に見ていた。
 拓登が私に近づいてきたのも、瑛太がからんできたのも、私は試されていたに過ぎない。
「倉持さん、二人はそんなに悪気があってのことじゃないんだ。エスカレートして後にはひけなくなって、こんなにややこしくなってしまっただけだ。一番悪い のはシンプルな事をややこしくした拓登の身勝手さだと思う。でも拓登は倉持さんの事が好きなんだ。その事をわかってやって欲しい」
 阿部君の言いたいことは分かるけど、そうなると思い出せなかった自分が惨めになってくる。
 振り返れば、拓登は私に思い出してほしい態度を取っていた。
 拓登と瑛太が不自然に対抗したり、絡んできたのも、今なら納得できる。
 だけど、私はこの時とても素直に、ああそうですか、とは言えなかった。
 見抜けなかった罪悪感や劣等感、試されていたことへの腹立たしさや悔しさといった複雑な感情が素直に笑って流せない。
 二人にとったら悪気はなかっただろうけど、どこかでそれが意地となってゲームになっていた事が許せなかった。
 なぜ、こんなもやもやした嫌な感情が湧いてくるのか不思議だった。
 どこかにぶつけたいやるせない気持ち。
 これが私のプライドを傷つけたように思う。
「こんなことになるのなら、最初から教えてくれたらよかった。どうして傘を貸したあの日、素直に教えてくれなかったの」
「あの時は、まさか真由に会うなんて思わなかったんだ。いきなり傘を突きつけられるし、真由も急いでるみたいだったし、僕も戸惑ってパニックだった。それに、僕はすぐに真由だってわかったのに、真由が僕を見ても気がつかなかったことがショックでもあった」
「だって、ずっと会ってなかったし、小学生の時は拓登、いがぐり頭でさ、今と全然雰囲気が違うじゃない。どうやってすぐに思い出せるのよ」
「でも僕はずっと君の手紙持っていて、覚えていたよ。僕も真由に手紙を書いたとき、自分の気持ちと、必ず会いに行くから忘れないでって書いたんだ。それで少しぐらい覚えてるかもっていう期待があるじゃないか」
 手紙──。
 私は拓登からの手紙は受け取っていない。
 探したけど、読む前に失くしてしまった。
「私、拓登からの手紙を見てないの」
「えっ、見てない? どうして」
「ごめん、読む前になくしてしまったの。一生懸命探したのに、どうしても見つからなくて」
 拓登はかなりショックだったのだろう。
 息を喘ぐ音がかすかに聞こえただけだった。
「とにかく、もういいじゃないか。倉持さんは思い出したんだし、拓登もすっきりしただろ。これで過去の問題は解決したから、この先の事を考えればいいじゃないか」
 阿部君は穏やかにまとめようとしていた。
「でもさ、やっぱり女って過ぎ去ったことは簡単に忘れられるからいいよな。真由も過去のことはどうでもよくて未来の事を考えたいっていってたもんな。俺はそのとき、拓登が可哀想でさ、ちょっと腹が立って、温度差の違いについムキになって意地悪になっちまったけど」
 瑛太が豹変した時のことだと思い出した。
 あれは拓登の気持ちを考えていての、行動だったのかと納得する。
 瑛太は親友として力になりたい、また好きな人としてライバル心から私を排除したいという複雑な気持ちを抱えてるから、特殊な思考になってしまうのだろう。
 今となっては、瑛太の行動も理解できる。
 拓登はまだ黙っている。
 この暗闇で、はっきりとした表情が見えないのは、果たして吉なのか凶なのか。
 私がある程度、憤慨しているのに対して、拓登もそれに似た感情を抱いているのが、闇から伝わってくる。
 拓登もやはり失望しているのだ。
 私が手紙をなくして、当時の拓登の気持ちを知らずに、ずっと幻影だけを追ってここまで来たことに。
 雨はどの程度降っているのだろう。
 いつまでもここにいては、傘を持っていない三人は濡れてしまう。
 それでも私は何も言えない。
 三人も雨に囚われているようにその場から動けないでいるみたいだった。

「なんかさ、しらけちまったな。俺たち一体何をしてたんだろうな」
 瑛太に言われると、くすぶっていた感情がとりとめもなく一塊になって飛び出してしまった。
「結局はゲームだったんでしょ!」
「おいおい、真由、何を怒ってるんだよ。怒るんなら俺じゃないだろ。事の発端は拓登なんだから」
「真由、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ」
「だったら、こんなに回りくどくなる前に、もっと早く言って欲しかった。試されて、それを観察されてるなんてお遊び感覚じゃない」
「だから、謝ってるじゃないか。真由だって手紙を失くさなければ、僕が誰だかすぐに思い出したかもしれないのに」
 手紙の事を持ち出されるとつらい。
「それじゃ、失くした私が一番悪いってことね」
 痛いところを突かれたせいで、自棄になってしまった。
 拓登も自分の手紙が失くされたことに対して、すぐに割り切れなかったのだろう。
「別に責めてるわけじゃないんだけどさ、僕、あの時、日本を離れてアメリカで住まなければならない心細さがあったんだ。実際向こうの生活に慣れるにはもの すごい時間もかかったし、言葉が違うのもすごいストレスだった。それでも真由の手紙を何度も読んで、がんばれっていう言葉に励まされて、子供心ながらにが んばった。僕の気持ちも真由に伝わってるって思っていたからこそ僕はずっと真由の手紙を大切にしてきたんだ。まさか、読まれてないとは思わなかったよ。な んだか、僕も気が抜けた。真由にはなんの罪もないのに、八つ当たってごめん」
 お互い、身勝手な言い分だとは分かっていると思う。
 その気持ちも、自分にしか理解できないだけに、うまく伝えられずにやるせないし、一人で空回りしていた気持ちが虚しくて、私と拓登はこの暗闇に染まるように心にも闇に囚われているようだった。
 どちらが悪いなんて関係なく、お互い見えないものに失望して、それが二人の間に入り込んでしまうと、どうしようもなく心が離れて行くのを感じ取っていた。
 拓登と会って、正確には再会に当たるわけだが、あの傘を貸したあの時から、私は一体何をしていたのだろう。
 拓登の事を考えては、一人で一喜一憂していた。
 その影で拓登は私が思い出す事を望んで、あれこれと瑛太と話を合わせて行動していた。
 考えれば考えるほど、自分を責めるように呆れてきてどうでもよくなってしまった。
「拓登、ごめん。でも、何に謝っているのか、わからない。それなのに、ごめんとしか言えない。悪いけど、私、帰るね。もう真っ暗だし、ここにいてもどうしようもないから」
「真由、待って」
 拓登は咄嗟に私の腕を掴んだ。
 それを私は条件反射で強く振り払ってしまった。
 それにびっくりした拓登は、もうそれ以上何も言わず、私も無言でその場を離れた。
 その後は振り返らずに、傘を畳んで乱暴にカゴに放りなげ、その後はさっさと自転車を手にして、そのまま速攻で帰っていった。
 雨が顔に突き刺さってくる。
 それと同時に、余計な雫が目からも垂れていた。
 あの後三人が何を話し合ったのか、考えるもの嫌になるくらい、全てを忘れたかった。
 拓登とは以前のように戻れない何かを感じて、記憶が戻ったと同時に全てが泡となって消えてしまった感じだった。
 こんなことなら、思い出さない方がよかったのかもしれない。
 一番の元凶は、あの当時、私が拓登からもらった手紙を失くしてしまったことにある。
 もうすでに、そこで運命は決まっていたようなものだった。
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