第一章


 木々が密集している森の中で、突然空間が広がり、石造りの立派な屋敷が降って湧いたように現れた。
 空中を飛んでいた時、この屋敷に気がつかなかったのが不思議なくらい、それは突然目の前に出没したように見えた。
 もう少し高く飛んで、先を進んでいたら見えていたのかもしれないが、低く飛んでいたのが裏目に出ていたのかもしれない。
 その屋敷は二階建てで、中央に大きな扉を構え、両端には櫓(やぐら)のようなものがついて、そこから辺りを見下ろせるような造りになっている。
 小さなお城といっていいものだった。
 ジュジュは、何か思い出せないかとその屋敷をしっかりと見つめ、そうであって欲しい期待が、無意識にこの場所に違いないと決め付けそうになっていた。
 中に入ればはっきりと思い出すかもしれない。
 ドアが開いた時、ジュジュの胸はドキドキと高鳴った。
 マスカートが先頭を切って、中に入っていく。その後、ムッカも続いた。
「さてと、ここが僕達の屋敷さ」
 カルマンがにこやかに紹介すると、ジュジュを抱いたままドアを潜った。
 最後にバルジが入ったのか、後ろでドアを閉める音が響く。
 カルマンはジュジュを抱えながら、入り口の広がったホールから、その先の広間へ続く廊下へとゆっくりと進んで奥に入っていく。
 途中、右隣には二階へ上がる階段があり、それを横目にジュジュは屋敷の中を興奮気味に見つめていた。
「お城と比べたら結構こじんまりとしてるけど、中々住み心地はいいんだ」
 カルマンは小さい風に言うが、そこは充分な広さがあり、一般の家よりは遥かに大きく、ある程度の地位の高いものが住むような屋敷だった。
「あの…… 暖炉の部屋を見せてもらえませんか?」
 カルマンは、意図がわかったというように、笑顔を見せ、そしてジュジュを暖炉のあるリビングルームへと連れて行った。
 そこは皆が集まれるように、憩いの場として広々とした空間が広がっていた。
 ジュジュはソファに横たわるように降ろされると同時に、どこからかクッションが頭の下に滑り込んできた。
 火はついてなかったが、目の前には暖炉があり、それはかつておぼろげの中で見た光景と重なり、記憶と一致する。
 肖像画もちゃんと掛けられ、その絵は凛々しい姿の男性がキリリとした涼しい目を向けていた。
「この肖像画の男性は?」
「ああ、それはリーフさ。今よりも若いときのものさ。中々のハンサムだろ。目許が少し厳めしいけど、無理に表情を作ってるんだろうね。本人に似てるんだけど、実物とは若干感じが違う」
 それはとても精悍な男性で、髪の毛もこざっぱりと短くきっちりと整えられ、ここに居る4人の中で一番気品が溢れていた。
 どこまで正確に描けているか定かではないが、カルマンの言う通り確かにハンサムではあった。
 ジュジュは辺りを見回し、あの時助けて貰った場所と雰囲気が似ていることもあり、心ここにあらずで、過去の記憶の中にいた。
 ずっと抱いていたモンモンシューも、鼻をひくひくさせて、危険がないか確認していた。
 ジュジュがぼんやりとしている最中、モンモンシューは「グルルル」と突然低く唸り声を出すと、ジュジュははっとした。
 目の前にマスカートがやってきて、ジュジュの目線まで腰を落とした。
「おいおい、チビ、また噛むなよ」
 チビと呼ばれ、それが気に入らないとモンモンシューは威嚇する。
「モンモンシュー、やめなさい」
 ジュジュの声でしゅんとすぐに大人しくなった。
「へえ、君にかなり慣れてるんだ。だけど珍しい動物だね。まるでドラゴンのミニチュアだよ」
 マスカートはモンモンシューの首根っこを掴み、持ち上げた。
 本当はドラゴンだが、赤ちゃんでもこれほど小さくないので、他の生物と思っている様子だった。
「ほら、ちょっと邪魔だからどけて」
 そして無造作に放り投げた。
 モンモンシューは壁にぶつかりそうに飛ばされたが、自力で羽根をバタバタさせてぶつかる寸前で踏ん張った。
 そして部屋の中を飛び回りながら、扱いに抗議するが、ジュジュが首を振ってけん制したので無駄な努力で終わってしまった。
 納得行かないと、最後は拗ねて、不貞腐れていた。
「さてと、ジュジュ、これを飲むといい」
 マスカートから木のボールを手渡された。
 そこには緑色のどろどろした液体が怪しげに注がれていた。
「これは?」
「薬草で作ったものさ。まあ、痛み止めというのか、体がリフレッシュして、気分がよくなるものさ」
「あ、ありがとうございます」
「マスカートは薬草には詳しいんだ。怪我した人や病気の人なんか、薬草ですぐに治せるんだ。まあ、僕もそれくらいできるけどさ」
「カルマンは、一言多いんだよ。それに、それを教えたのは私だろうが」
 マスカートは呆れた目をカルマンに向けた。
「はいはい、マスカートのお蔭で僕も薬草の知識が増えて助かってます」
 カルマンはその点は素直に認め、慇懃に一礼しマスカートに敬意を表した。
 マスカートはいつもの事だと気にせずに無視をし、そしてジュジュに再び飲む様にジェスチャーを交えて催促した。
 ジュジュは並々と入っているボールの中の緑の液体を暫く見てから、目を瞑って一口飲んでみた。
 それはあの時と同じように、喉元が冷たく感じてすっとする。味は良いとはいえないが、それが心地良く気持ちを落ち着かせてくれた。
「これは……」
「どうした? 少し苦かったかい? できるだけ苦味を抑えたんだけど、多少は我慢して欲しい」
「いえ、その、なんていうか、胸に沁みるようにすーってして気持ちいいんです」
「気に入ってくれたのなら、よかったよかった」
 マスカートは自分の作った薬を褒められて、気分をよくしていた。
 目じりが少し下がって笑っている姿は、第一印象のときと違って、穏やかで優しい人に見えた。
 そして何より、この薬草の味が、過去に呑んだものと酷似していた。
 ジュジュは、マスカートの顔を見つめ、呆然としていた。
 ──まさか、この人があの時助けてくれた人なの?
「どうしたんだい?」
「いえ、その、こういう薬を助けた人にいつも飲ませてるんですか?」
「ああ、そうだよ。沢山の人に作ったよ」
 マスカートは得意げになってウインクしては、空になったボールをジュジュから受け取り立ち上がった。
 ジュジュがマスカートの振る舞いを目で追っていると、突然、視界にブランケットを手にしたムッカが入り込んで、賑やかに話しかけてきた。
「寒くないか。俺達が助けた客だから、風邪でも引かれたら困るぜ」
 ブランケットをジュジュに被せ、労わっていた。
「あ、ありがとうございます」
「いいって、いいって。とりあえずは何も心配しなくていい。ここは安全な場所だから、ゆっくり休んでくれ」
 ムッカの言葉でジュジュははっとした。
 同じような言葉を、過去に助けて貰ったときも掛けられた。
 一番ぶっきら棒で、悪ぶれては見えるが、根は優しく気遣ってくれる。
 カルマンはみんなの事を癖のある人達と言っていたが、見掛けはそうであっても基本的に誰もが献身的で真心を感じるものがあった。
 バルジだけは同じ空間にいながら、接触してこないが、ふと顔を上げて見てみれば、モンモンシューにパンを与えていた。
 モンモンシューは用心しながらも、食欲には勝てずにそれを口に咥えては、少し離れてから咀嚼している。
 そしてまた再びバルジの側にできるだけ寄っては、催促し、バルジは黙ってパンをちぎって与えていた。
 その時のバルジは無口でいながらも、瞳は優しくモンモンシューを見つめ、口許が少し上向きだった。
 動物にだけはどこかで心を許して、接触を楽しんでいるようだった。
 そのうちモンモンシューもバルジの気持ちを読んだように、最後は彼の肩に止まり、パンを催促していた。
 体の小さくなったモンモンシューは、自分の立場が弱くなった事をすでに認識しているのか、見知らぬ人間にすぐに懐くのも珍しかった。
 バルジは大きな手で、モンモンシューの体を優しく撫ぜ、モンモンシューも悪くないと抵抗せずに大人しくしている。
「こいつ、かわいい」
 ぼそりと言葉が漏れた。
 バルジの声をジュジュは初めて聞いて、思わず見つめてしまった。
 それは低く太い声ではあったが、柔らかく聞こえ、怖さが払拭された。
 バルジは視線を感じ、ジュジュを見つめ返すと、側に寄ってきてモンモンシューをジュジュに渡してやった。
「あ、ありがとうございます」
 何に対して礼を言ったのかジュジュ自身わからなかったが、大きな体が近くに寄ってきた時のインパクトは強く、なんだか圧倒されてしまった。
「いいペットだ」
 自分も欲しそうに、バルジは最後までモンモンシューを見ていた。
「モンモンシューはペットじゃなく、私の大切な友達なんです」
 ジュジュがそこの部分だけはっきり示すと、バルジは暫くジュジュを見つめ、「そっか、友達か」と言葉を繰り返して、後ろに下がっていった。
 何を考えているのかわからないが、感情を表に出すのが苦手なだけで、心の中は穏やかな人なのかもしれない。
 一番得体が知れないが、怖いという感情はもうそこにはなかった。
 この四人は、確かに癖はありそうだが、誰しも悪い人のようには見えない。
 マスカートとムッカが何かを話し、時折笑っている。
 その側でカルマンがちょっかいを出して、茶々を入れながらも、仲よさそうにしている様子だった。
 バルジは黙って、暖炉に薪をくべて火をつけようとしていた。
 ジュジュはなんだか眠気を感じてうとうととまどろんでいた。
 モンモンシューも体を丸めてジュジュに抱かれてすでに休みの体制に入って目を閉じているところをみると、リラックスしているようだった。
 そんな夢の入り口の一歩手前の安らいでいるときに、男達の声がぼんやりと耳に入ってくる。
「ここに連れてきたものの、この後どうするんだよ、マスカート」
「それは私の責任ではないぞ、ムッカ。全てはカルマンが独自に判断したことだ」
 二人はカルマンを見つめた。
「なんだよ、皆だって結局は良い顔して持てなしてたじゃないか」
「当たり前だろ。俺達はここでは英雄だぜ。変なところ見せられないじゃないか」
 同意を求めるようにムッカはマスカートに視線を向けた。
「それに彼女は私達の罠にかかって怪我してしまったしな。放って置けない事は確かだった」
 マスカートも仕方がなかったと言いたげに、腕を組んで思考を張り巡らすフリをした。
「結局はムッカもマスカートも偽善だな。自分の名声のために正義ぶってるだけなんだよな」
「なんだとカルマン」
「おい、ムッカ、やめろ。怒れば、それを認めてることになるんだぞ。まあ、私達はどうしても、いいように思われたいという気持ちは確かにあるから、多少の無理はしているのは否定できない。だが、それはカルマンも同じ穴の狢(ムジナ)ということだ」
「さすが、マスカートだな。結局は僕に跳ね返ってきたか。まあ、僕も確かに同類だ。しかし、あの子には何か引っかかる。もしかしたら、後でお礼をたんまりともらえるかも」
「なんだよ、カルマンは、見返りを期待したということか。それにしてもお前は一言多い。その減らず口なんとかならないのか。一々気に触るぜ」
「そういうムッカもすぐに喧嘩腰になるじゃないか。おあいこ、おあいこ」
「だけどだ、この子は結構かわいいじゃないか。たまにはいいんじゃないか。こういうお客さんを迎えても」
「おいおい、マスカート。女には懲りたんじゃなかったのか?」
「余計なお世話だ、ムッカ。お前も一言多いぞ」
「でもさ、この子、こんな危ない森に一人で乗り込んできたんだから、余程僕達に会いたかったってことじゃないのかな。僕達、割とこの辺では有名人だしね」
 マスカート、ムッカ、カルマンの三人はすでに眠りこけていたジュジュの寝顔を見ていた。
 無防備にすやすやと眠っているジュジュを見ていると、知らずと口許が上向き、男ばかりが住む屋敷に花が咲いたように明るくするものがあった。
「暫くはこの子のしたいようにさせればいい」
 ぼそっと最後にバルジが呟いた。
 意外にもバルジが口を挟んできたことに三人は顔を見合わせ驚いていたが、「そうだな」となぜか寛容にその提案を受け入れていた。
 そこには、心の奥でここに居て欲しいという願望が知らずとあったのかもしれない。
 そんな話がされてるのも知らずに、ジュジュは静かに寝息を立てていた。
 頬が薄っすらとピンクに染まったジュジュの寝顔は無防備で、それを見つめていると、ささくれていた男達の心に、淡い安らぎを沁み込ませていくようだった。
 そんな気持ちを抱いて見つめていた自分達に気がつき、そこに居た男達はそれぞれハッとして目をそらし、わざとらしく自分のやるべき事を無理に見つけて散らばった。
 誰しも女に惑わされることが、自分にそぐわないとでもいいたげに虚勢を無理に張ろうとしていた。
 だがそれも束の間、結局はジュジュが気になり、誰しも隠れるようにこっそりとつい見てしまうのだった。
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