第一章


 眠りから覚めたばかりのジュジュの視界はぼんやりとして、思考もぼやけていた。
 「ここはどこ?」と認識できぬまままどろんでいた時、寝ぼけ眼(まなこ)で不意に見た、暖炉の上の肖像画にどきっとして、ジュジュは飛び上がるように体を起こした。
 同時に、ジュジュの体の上で丸まって寝ていたモンモンシューが、床に転げ落ちた。「プギャ」という声が小さく弾ける。
「私、寝てしまったんだわ……」
 改めて回りを見れば、おぼろげな過去の記憶とかすかに一致し、ずっと来たかった場所に戻って来れたと感慨深げになっていた。
 そっと立ち上がれば、腰の痛みもすでに消え、気分は悪くなかった。
 モンモンシューが文句を言いたげに不機嫌な顔でジュジュの目線まで飛んでくる。
「モンモンシュー、ごめんごめん」
 ジュジュに素直に謝られると、モンモンシューの機嫌はすぐに直っていた。
「だけど皆どこに行ったんだろう」
 窓の外を見ればまだ外は明るい。
 寝ていたとはいえ、そんなに時間は経っていない感覚だった。
 屋敷の中はとても静かで、人が居る様子が感じられず、それをいいことに、ジュジュは他の場所へと移動した。
 廊下を出れば、まだ他にも部屋があったが、一つだけドアがないアーチ型の入り口を見つけ、自然と足がそこへ向いた。
 そっと中を覗けば、大きなテーブルが目に付き、部屋の角にはかまどがあった。
「ここは台所だわ」
 ジュジュは中に入り、無造作に置かれていた鍋やフライパンといった調理器具に軽く触れた。
「いろんな物が揃ってる。これなら料理もすぐに始められそう」
 何かできそうな事を見つけると、少し自信を持ったように笑みが浮かんできた。
 ここで料理している自分を想像しながら、辺りを一通り見ていると、裏口に続くドアに気がついた。そっとそのドアを開ければ、眩しい光が突き刺すように入り込み、思わず目を細めた。
 足を一歩踏み出し外へ出ると、冷たい風を頬に感じ、それが清々しく気持ちいい。
 ジュジュの気配に気がついた鳥が囀りながら、バタバタと慌しく飛んでいく。モンモンシューはそれに影響されて、追いかけるように鳥の後を同じように飛んでいってしまった。
「モンモンシュー、あまり遠くにいっちゃダメよ」
 ジュジュの言葉が届いたのかもわからず、モンモンシューの姿はすぐに見えなくなった。
 モンモンシューが飛んで行った空をジュジュは虚しく眺め、そして気にしても仕方がないと辺りを見回した。
 自給自足のための小さな畑。水を得るための井戸。道具をしまいこむ粗野な小屋。自由に放し飼いにされた鶏たちが、あちらこちらに散らばっていた。
 生活感が溢れたその裏庭は素朴で、なんでも揃うお城暮らしに慣れてるジュジュには新鮮なものに感じられた。
 自然の恵みにあやかり、自分の力で暮らすスローライフのように、魅力的に見えていた。
 鶏の近くに寄ったり、物珍しそうに裏庭にあったものをじっくりと見渡し夢中になっていると、後ろから声がした。
「ここで何してるんだ?」
 振り返れば、マスカートが眉を下げ困惑顔でドア付近で立っている。
 自分でもジュジュにどう接していいのか、自信なさげな様子だった。
「あっ、その、ちょっと気になって……」
「歩けるぐらいだから、体の調子はいいみたいだね」
 マスカートがゆっくりとジュジュに近づいてきた。
「は、はい。あの薬のお蔭ですっかり気分はよくなりました。ありがとうございました」
「そっか、それはよかった」
 腕を組み、首を上下に振っては、自分の調合した薬が効いた事にマスカートは素直に得意がった。
「あの、皆さんはどこに?」
「皆、それぞれ狩りにでてるよ。私はこの先の森の奥にある沢に、仕掛けていた罠に引っかかった魚を捕らえてきたんだ」
「皆さん、大変ですね」
「そんなに狩りを頻繁にしてる訳でもないんだ。いつもは街から色々とお礼が届くんだ。それで生活することの方が多い」
「お礼?」
「私達は、この森でオーガと戦い、ここに迷い込んできた人々を救ったりしてるんだ。何せ。ここは危険な場所だからね。でもオーガの宝があると思って、一攫 千金を求める人達は後を絶たない。そういう人達が来るとオーガは容赦なく攻撃してくるから、それを私達は商売として追い払って助けてやるのさ。その時の報 酬として、お礼が届くという訳」
「えっ、商売?」
「まあね。そこは割り切るしかない。こっちだって命がけでやってることだし、オーガに歯向かうのは、この危険な森で住んでる私達ぐらいしかいないから、いいビジネスさ」
 ジュジュは言葉につまり、黙って聞いていた。
「少し、がっかりさせたようだね。しかし、私達が過去に君を助けたっていうのもそういうことで、全てはビジネスだったんだ。だから誰も真剣に覚えてないのさ。君はここに何を思ってやってきたか知らないけど、早く帰った方がいいぞ」
 マスカートは良いように言えばクールだが、それがどこか冷酷にも感じるような言い方だった。
 どこか自分を追い出したいようにも取れて、ジュジュは困惑する。
「あの、例えそれがビジネスであったとしても、私はあの時助けて貰った事は感謝してますし、その時のお礼をしてなかったと思います。だから、その……」
 ジュジュは自分の目的の強かさもあり、その先が言いにくい。しかし、今追い出されても困る。
 どう切り出していいのかもじもじしながら迷っている時、ムッカ、カルマン、バルジも戻ってきていた。荷物を台所のテーブルに置いた後、開いていた裏口のドアから顔を出し、ジュジュとマスカートが居たことに気がついた様子だった。
「あれ、そんなところで何してるの?」
 カルマンが一番知りたそうに首を突っ込んできた。
「今、このお嬢さんにすぐに帰った方がいいと忠告してるところだ」
「あーあ、マスカートは無理をして心にもない事を」
「カルマン、また一言多いぞ。ここは危険な森だ。こんな森に、こんなか弱いお嬢さんが居ては危ないだろうが」
「まあ、マスカートの言うことも正論だ。俺達は勇者だから、ここにいるけど、このお嬢さんには場違いだ」
「なんだよ、ムッカまでやせ我慢しさ。それに勇者だなんて、虚勢をはりすぎ」
「なんだと、カルマン!」
「よせ、ムッカ。どうしていつもこういがみ合うんだ。受け流すんだ」
 マスカートはそういいつつも、カルマンの言葉にイライラを募らせていた。自分でもどこか引っかかっている様子だった。
「ジュジュ、マスカートもムッカも無理にカッコつけてるだけだ。僕は歓迎するよ。だってここにはお礼にきたんだろ? で、何を持ってきてくれたの?」
 カルマンの露骨な催促に、マスカートもムッカもドン引きだったが、そういうことを実際生業としているだけに、二人は何も言えなかった。
「あの、私、その、もちろんお礼をしたいんですけど、今持ち合わせがなくて、あの、その代わりといってはなんですが、ここで働かせて下さい。なんでもしますから」
 最初からここで一緒に暮らすことを腹案してただけに、ジュジュはすがりつく目で頼み込んだ。
 ここにはかつて自分を助けてくれた人がいる。
 まさかこんなにも人が住んでたとは思わなかったが、あの時の人が誰だったのか確かめるまでは帰れないし、あの時抱いた気持ちも伝えたい。
 「しかしだな、それは私達が決めることではないしな」とマスカートが言うと、ムッカも「リーフに訊かないと」と小さく呟いた。
「とにかく、すぐに追い出すことないじゃない。後でリーフに訊けばいいしさ、僕はここで働いてくれるのは賛成だよ」
 カルマンは口は悪いが、素直にジュジュの味方になっていた。
 マスカートとムッカは顔を見合わせながらも、ジュジュがここに居たい意志を聞いた事に、特別に強く反対する気持ちは起こらなかった。
 どちらも弱みを見せたくない意地を張る程度の事で、気に食わないフリをして自分の立場をただ主張していただけだった。
 素直にジュジュを受け入れられない、捻くれた部分を持っていると二人はわかってながらも、自分を男らしいと大きく見せたいプライドが邪魔をしていた。
 そしてそうしなければならない事情もあった。
 カルマンは二人のその弱みをわかっているからこそ、態と憎まれ口を叩き、その反応を見ることで一人で悦に浸っている。
 一番年下だからこそ、無邪気なこともあるが、生意気な口を聞くことで軽くあしらわれない様に予防線をはっていた。
 要するに、この中で一番頭の切れるずる賢さを持ち合わせているのかもしれない。
 バルジは巻き込まれたくないのか、全く気にしないのか、口を出さないが、体が一番大きいこともあり、そこに立ってるだけで存在感だけはあった。
 誰もが一目を置き、バルジのしたいように尊重する。
 バルジは何も言わず岩のようにただ突っ立っていたが、裏を返せばジュジュがここに居ることに反対してないと誰もがそう捉えていた。
 ちょうど意見が半分に分かれたようになった。
「あとはリーフがどう思うかだ。ここはリーフの屋敷だから、リーフが帰れと言ったらその時はそれに従ってもらうことになるだろう」
 マスカートが、肩をすくめながら歯切れ悪く言った。
 ジュジュはリーフの名前を聞いて、暖炉の上に掛けてあった肖像画を頭に思い浮かべていた。
 ここに居る4人も否定ははっきりとできないが、もしかしたらリーフが自分を助けてくれたかもしれない淡い期待を胸に抱いていた。
 気に入られずに追い出されたら、それはそれで受け止めるしかない。せめてその前に点数を稼がないとと、ジュジュは奮闘する。
「わかりました。私が役に立つかどうか、とりあえずは私の働きを見て下さい。今から皆さんの食事を作ります」
 ジュジュは袖をまくり、力んだ。
 台所に入れば、テーブルには皆が持って帰ってきた、この日採れた食材が置かれているのが目に入った。棚や隅々には貯蔵されたスパイスや小麦粉、そして保存食もある。それを見つめ何が作れるか頭の中でイメージする。
 ひらめきと共に、てきぱきと動き出し、部屋の隅に置かれていた薪や小枝を手に取り、手際よくかまどに入れ込み、側にあった火打ち石を手に取った。
 火を熾(おこ)すことはかなり大変な作業とわかっていたので、ジュジュは緊張するも、意外とその火打ち石が使いやすく、火はすぐに小枝に燃え移った。
「あら……」
 簡単に出来たことで首をかしげながらも、火が熾(おこ)ったことに満足して深く考えなかった。
 後ろでカルマンが、クスッと笑い、残りの三人は圧倒されてジュジュのやることを黙って見ている。
「あの、バターはありますか?」
 それを聞いてバルジが動き、黙ってジュジュの手伝いをしだした。
 ジュジュが言った物以外に、役に立ちそうな香辛料やハーブも取り出していた。
「ありがとうございます。すごい、色々揃ってるんですね」
 バルジは何も言わなかったが、暫く側にいてはジュジュが必要としているものを手渡ししていた。
 お蔭でより一層スムーズに事が運び、初めての場所でもジュジュは不自由なく料理をすることができた。
「この台所、なんでも揃っていて料理のし甲斐があります」
「そうさ、これらは皆街からお礼として届いたのさ。ちょっとこの時期は、街の人達が忙しくて、商売あがったりだけど」
 マスカートが言った。
「そうだよな、なんでも天空の王女の誕生日パーティがあるからって、殆どの男達はそっちに行くし、貢物も一緒に持っていくから、俺達に配分されないんだよな。いい迷惑だぜ」
 気に入らなさそうに喋るムッカの話に反応して、ジュジュの手元が止まった。
「自分が選ばれると思っていくんだろうけどさ、そんなの絶対無理だよね。それに王女がデブでブスだったらどうするんだろうね。どうせ、甘やかされて我侭し 放題のきつい性格なんじゃないの。僕はそういう権力をふるって好き放題にされるのは嫌いだ。僕は自分の力で天下を取りたい」
「おいおい、カルマンみたいなひ弱な奴が、偉そうな口叩いてるぜ。やれるものならやってみろよ。お前がそうなったら、俺は何でも言うことを聞く奴隷にでもなってやるよ」
 この時とばかりに、ムッカは鼻で笑ってバカにした。
「その言葉忘れるなよ」
「けっ、コイツ、本当に本気にしやがった。その前に俺がお前よりも出世してるってもんだ」
「何、いってんだよ。ムッカはかっこつけるだけで、空威張りしているだけの癖に」
「何!」
「ムッカ、もしもの夢の話だ。好きなように言わせておけ。カルマンは夢見るお子様さ。所詮叶わぬ夢さ。好きに夢想させてやれ」
「マスカートも女に振られて自信喪失したから、自分を強く見せたくてここに来てるじゃないか。ここに居れば街の人から一目置かれるからね。それで振られた 女に振ったことを後悔させてやりたくて、手っ取り早く名声を得たいってだけだもんね。結局は根本的な夢見がちな部分は僕と変わらないと思うよ」
 痛いところを突かれ、マスカートはムッカに注意をした以上、自ら攻撃できずに切歯扼腕していた。
「本当にお前はかわいくない奴だ」
 感情を必死に抑え我慢していた。
「あ、あの、皆さん、食事ができるまでゆっくりしていて下さい」
 ジュジュは自分の話題も出たことで、少し動揺していたが、天空の王女が目の前に居ることを知らない男達は、自分達が煩がられたと思い、仕方なく台所を後にした。
 バルジだけその場に残っている。
「あの、バルジも休んで下さい」
「台所、慣れてないだろ。わからない事があるかもしれない」
「そ、そうですね。お気遣いありがとうございます」
 口数の少ないバルジが声を発しただけで威圧され、ジュジュは素直にその好意を受け入れた。大きな厳つい体ではあるが、黙々と手伝ってくれるのは楽だった。
 それにしても、自分の話題がここで出てくるとは思わず、ジュジュは冷や汗をかき、ふっと息をはいて、額を軽く拭っていた。
 もし自分が王女とばれたとき、良い印象をもたれなさそうに感じてしまい、少し焦ってしまった。
 その時バルジがじっと見つめていたので、ジュジュは何かを勘繰られてしまったのかとはっとした。
「無理をしなくていい」
 無駄な事は喋らないが、一言一言が優しく感じた。
 バルジだけは他の皆とは違う何かを感じ、ジュジュは感謝の気持ちをこめた笑顔を向けた。
 自分らしさをそのままに、慌てずどっしりと構えるバルジのその態度もまた、助けてくれた人の落ち着きとオーバーラップする。
 もしかしたら、何も言わないバルジがあの時に助けてくれた人なのかもと、またその可能性を考えながら、ジュジュはバルジの手伝いを受け、時々そっとその様子を伺いながら料理をするのだった。
 しかし、全く愛想もなく、無表情なバルジを見ていると、気に入られるのも難しそうに感じていた。、
 バルジだけじゃなく、マスカート、ムッカ、カルマン、この屋敷に暮らす男達はそれぞれ癖がありすぎる。
 そこにまだ面識のないリーフもいるし、本当にこの中から探し出せるのか、なんだか訳がわからなくなってきていた。
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