第二章 それぞれの秘密が絡み合う


 静まり返った暗い森の中に溶け込んで、黒い馬が慎重に歩いている。時折り、背中に乗せているセイボルを気遣い、自分がしている事が正しいのか確認するように首を後ろに回す。
「大丈夫だ、そのまま行ってくれ」
 馬の首を優しく撫ぜるように触れては、セイボル自身も落ち着こうとしていた。
 すっかり日が落ちた森の中では、不安をそそるものがあるが、魔王と称されたセイボルにはそれが自分に相応しい場所だと常に思っていた。
 だが、この時ばかりは、顔が強張りそして体に緊張感が走る。
 何かの間違いであって欲しい。
 そう願いながらも、顔を歪ませていた。
 そして、薄っすらとした明かりが木々の間から漏れている所に出くわすと、セイボルは落胆して馬から下りた。
 その場所に、馬を置き去りにし、自分だけが明りのある方向へとしのび足で向かう。
 暫く行ったその先には、立派な屋敷が薄明かりにぼやっと浮かびあがっていた。
 それは存在感を知らしめ、セイボルを困らす。思わず顔が歪み、セイボルは音を立てずに、その建物の様子を探りに近づいた。
 風がどこからか吹いては、セイボルの長い髪をなびかせる。それがあたかも鬱陶しそうにセイボルは手で押さえ込んだ。
 屋敷との距離が縮まるにつれ、それと比例するように益々体に力が入っていく。
 強張った足で小枝を踏み潰せば、パキッと乾いた音がセイボルをハッとさせた。
 自分でも極度に緊張しているのが突然おかしく感じ、不意に息が漏れるようについ笑ってしまった。
「私としたことが」
 何も恐れる事はないと、再び自分らしさを取り戻し、セイボルは中の様子を探るために用心して壁伝いに歩いた。
 屋敷を回りこんだところで、窓から家の中の光が漏れて、辺りがぼんやりと照らされていた。静かな暗い森と正反対に、屋敷からは明るく談笑している声が聞こえていた。
 セイボルは気配を消しながらそっと窓から覗き込んだ。その時、セイボルの目が大きく見開く。
 そこで見たものは、暖炉の側で4人の男達に囲まれ少女が笑っている姿だった。思わず「チッ」と舌うちをしてしまった。
 それ以上に腹立ち紛れに思わず汚い言葉が出てきそうになったものの、それを腹の中に抑え込んだ。
 落ち着きを取り戻し、再び部屋の中を覗き込めば、小さな生き物が自由に飛びまわっているのが目に入った。
「なんだあれは?」
 セイボルが暫くそれに気を取られていると、バルジの大きな体がムクリと動き、窓の方に近づいてくる。
 セイボルはハッとして、慌てて窓の端の壁に体をへばりつけた。
 それと当時にバルジは何か異変を嗅ぎ取り、窓を開けてみたが、暗くて何も見えず、怪訝な顔だけを暗闇に向けた。
 その側でセイボルは息を殺していた。
「どうした、バルジ?」
 マスカートが訊いた。
「……いや、別になんでもない」
 バルジは何かを感じ取りながらも不確かなため、気のせいで済ますことにした。すぐに窓を閉め、背中を向けた。
 セイボルはその隙にその場を離れ、再び、馬の元へ戻っていった。
 屋敷から離れると、感情を抑えられず、不満たっぷりに大きく溜息を吐いた。
「なぜ、ジュジュ王女がここに居るんだ」
 苛立ちと困惑、そして困り果てたようにセイボルは頭を抱え込んだ。
 馬は心配そうにして、顔を近づけ励まそうとしていた。
 その心遣いに感謝しつつ、優しく撫ぜてやるも、セイボルは本心を吐露する。
「今回ばかりは大丈夫とは言いにくい。大変な事になってしまった。私はどうすればいいんだ」
 また深い溜息が漏れ、セイボルは再び馬の背に跨った。
「仕方がない。とにかく作戦を打たねばならない。よりによってあの連中と係わってしまうとはなんとも厄介なことだ」
 今宵はなす術もなく、屋敷から遠ざかるしかなかった。
 しかし、暫くすると突然気が触れたように笑い出した。
「何を恐れることがあるのだ。私は魔王だ。なんとでもなる。困難なときほどチャンスに変えるときだ」
 開き直ったとでもいうように、セイボルは覚悟を決め、背筋を伸ばして森の奥深くへと入っていく。
 ジュジュ王女を手に入れるためには何でもしてやるという覚悟になり、半分ヤケクソも入っていた。
 セイボルは懐から巾着のような袋を取り出し、その中に手を入れるとパウダーのようなものを一掴みした。
 それを呪文と共に森の中にばら撒くと、キラキラと光を放ちてそれは風に舞っていった。
「多少リスクはあるが、なんとかなるかもしれない」
 暫くその動作を繰り返し、セイボルは森の奥深くへと消えていった。

 セイボルが何かを企んでいるとも知らずに、屋敷では無邪気に、皆がジュジュと話し込んでいた。
 コロコロと笑うジュジュは、穢れを全く知らない純粋さが笑顔に溢れ、男達を和ませていた。
 すでにジュジュの料理の腕前を知っているし、自分達が見てきた女性とは一味違う魅力を本能で感じ、ジュジュがそこにいるだけで、普段とは違う空気が確実に男四人に影響を与えていた。
 マスカート、ムッカ、カルマンは女性と接する事はそう難しくないが、無口で人と接することを苦手とするバルジが、ジュジュに慣れることは珍しかった。
 そこにはモンモンシューがジュジュを信頼しきっているものを見たからに違いない。
 動物が信頼を置く人間ならば、信用置けるものがある。バルジならそう感じるはずである。
 そしてバルジがジュジュを信頼すれば、自然と残りの三人もジュジュになんの疑いも持たず、益々印象がよくなっていく。
 ジュジュはすっかりこの四人の男の心を捉えていた。
「ねぇ、ジュジュ、本当にここに居たいのかい?」
 マスカートが態度を軟化させ、優しく問う。
「おいおい、マスカート、なんだかジュジュにここに居て欲しいみたいに聞こえるぜ」
 ムッカが茶化す。
「いや、私はその、確認をだな……」
「何もそんなに難しく考えなくてもいいじゃないか。僕はもちろん賛成だよ」
 カルマンが陽気に答えた。
「それじゃ、俺も賛成! あれだけ料理が上手いんだ。こっちから頼みたいくらいだ」
 ムッカは恥も外聞も無く、清々しく受け入れ、二カッと歯を見せて笑った。
「あっ、ありがとうございます」
 ジュジュは嬉しくて素直に礼を言うと、マスカートはその流れに便乗しやすくなった。
「まあ、反対する理由が見つからないな。ジュジュがいてくれれば、私達はやっぱり助かるしさ……」
「マスカート、もっとはっきりと、居て欲しいって言えばいいのに。そこが煮え切らないから女に振られ……」
「あっ、カルマン、止めろ」
 毒舌のカルマンの口をムッカは慌てて塞ぎ、カルマンがモゴモゴと抵抗している。その側でマスカートは耳をピクッとさせては、肩を震わし、聞かなかったことにしようとしていた。
 ムッカとカルマンはもみ合い、ジュジュは絡み合ってる二人とマスカートを交互に見てはハラハラしていた。
「と、とにかくだ、賛成ってことなんだ。なあ、バルジ」
 ムッカは事を穏便に済まそうと、助けを乞うようにバルジに同意を求めた。
「ああ、それでいい」
 バルジが低い声でぼそりと答える。そして歓迎の意味を込め、自分の腕を伸ばし、手のひらを宙に掲げてモンモンシューに向けた。
 モンモンシューはすぐさまバルジの元に飛んで行き、遠慮なくバルジの手に止まって頭をこすりつけ愛想を振りまいた。
 モンモンシューのその動作にバルジは目を細めて喜び、ジュジュにも優しく微笑みを向けた。
 ジュジュは肩の力が抜けたようにほっとして、難関が一つ過ぎ去ったことを実感した。
「もう、ムッカ、いい加減にやめてよ」
 押さえられていたムッカの手をやっとの思いで払い、カルマンは不快な表情で口を何度も拭っていた。
「お前が、変なこと口走るからだろうが」
 ムッカはカルマンに肘鉄を食らわせ、牽制する。
 二人が不満たっぷりにまだ何かを言い合っているとき、マスカートはコホンと喉を鳴らして注目を集めた。
「二人とも、もういい。私は大丈夫だ。とにかくだ、私達は全て賛成だが、それよりもリーフがなんていうかだ」
「そういえば、リーフっていつ帰って来るの?」
 カルマンが訊いたが、誰も知っているものは居なかった。
「だけど、一体どこへ行ったんだ?」
 疑問がムッカの口から漏れた。
 皆、暫く考えるも、結局は首を傾げるか、横に振るかの動作をするだけだった。
「あの、リーフってどういう方なんですか?」
 ジュジュは暖炉の上に飾られている肖像画を見つめながら質問する。
 そこにある肖像画のリーフは精悍な顔つきで、キリリとした表情だった。隙がないかしこまった表情は肖像画用に態と作っているのだろうが、極端に目元が厳しく見える。
 その肖像画だけでは、一概にどういう人物か読み取れないが、屋敷の主だけあり、知性的で威厳は溢れていた。
 少し怖いようにも見えるが、笑えばまた違った印象にもなるだけに、その肖像画だけでイメージを固めたくなかった。
 自分を助けてくれたかもしれない人物。あやふやな記憶と、そうであって欲しい期待。複雑な感情が交差しては、ジュジュは不安な眼差しで見つめていた。
「どういう人っていっても、説明しにくいものがある。人前に出ることを苦手としてるのか、実際顔を合わす事は少ないし、いつも書斎で静かに本を読んでいるような人だから、真面目で誠実な人なのは確かだ」
 マスカートは独り言のように呟いた。
「確かに真面目な人ではあるけど、誠実? ちょっとそれは言いすぎなような。あれはずる賢いっていう類いじゃないのか」
「おい、カルマン。本人が居ないからっていって悪口は言うなよ。お前の選ぶ言葉は人を不快にさせる」
「ちょっと待ってよムッカ。僕はいつも真実に基づいて言葉を選んでるよ。本当の事がなんで不快なんだよ」
「真実は時には傷付けるものなのさ」
 やるせなくマスカートが言った。
 マスカートが言うからこそ、それは皆を納得させた。
 暫く沈黙が続いた後で、バルジが口を開いた。
「リーフは信用の置ける奴だ。じゃなければ、私はここには居ない。皆それぞれ生きていたら事情はある。誰もがどこかで何かを抱え、それを隠す事もある。私だってそうだ。リーフは細かい事は気にしない。気難しい部分はあるかもしれないが、決して悪い奴ではない」
 バルジは泰然と構えた岩のごとく、ジュジュを見つめる。
 そこにはバルジがリーフを信頼しきっている姿が読み取れた。
「きっと立派な方なんでしょうね」
「まあ、立派って言えば立派だろうな。僕たちにボロは見せない」
「カルマンがいうと、どうしても悪く聞こえるのはなぜなんだ」
 マスカートは肩をすくめてあきれ返っていた。
「まあ、いいじゃないか。リーフは周りの事に干渉するような人じゃないし、俺達が全て賛成なんだから、リーフだってジュジュを気に入るさ。ジュジュも怖がらずに構えているといい」
「ムッカの言う通りさ。なんとかなるんじゃないの」
 カルマンが軽いノリでヘラヘラとした笑いを添えていった。
「それじゃ、ジュジュも疲れたことだろう。部屋に案内しよう」
 マスカートが自分の役目だというように、そこは仕切っていた。
 カルマンもムッカもこの時、タイミングよくあくびが出ては、それぞれ自分の部屋に向かいだした。
 バルジもモンモンシューをジュジュに返し、去っていった。
 四人の男達の部屋は全て二階にあったが、ジュジュは一階の一番離れに位置する場所へ連れて行かれた。誰も近寄らない、この屋敷の中で忘れられたような一角だった。
 モンモンシューは辺りを見回し、時々好き勝手に飛んでは二人を追いかけていた。
 手にしたランプをジュジュに向け、マスカートが振り向く。
「私達は二階で寝泊りしているが、ジュジュは一階の使用人部屋を使ってもらうことにするけど、いいかい?」
「もちろん構いません。部屋を貸していただけるだけでもありがたいです」
「使用人部屋と言っても、それは昔に使われていただけで、ジュジュが使用人という意味ではないんだ。一番邪魔の来ない位置で日当たりもいい。男達が一緒にいる階にいるよりは、誰にも邪魔されず気持ちも安らぐかと思ってね」
 マスカートは気を遣っているつもりだった。
 時々、女に振られたことで暴走はするが、普段のマスカートは紳士的で頼れる存在に思え、心強く感じた。ふいに微笑む笑顔もジュジュに安らぎを与えてくれ、大人な対応が心地よかった。
 またそれは、以前に助けてくれた時に感じた気持ちと重なるものがあった。そんな夢見心地になりながら、マスカートの背中を見つめ案内されるままについていく。
 屋敷の一番端にある使用人部屋は普段誰も寄り付かないのか、寂れたような雰囲気があった。
 その付近の廊下の壁に掲げてたランプにも光がともっておらず、薄暗さが少し不安になる。
 マスカートは硬く緊張したジュジュの気配を読み取り、すぐに廊下のランプに火を灯し、辺りを明るくした。
「光があればそんなに悪くはないだろ」
 暖かみのある光とマスカートの気遣いで、ジュジュの顔は自然に綻んだ。
 その様子にマスカートも満足し、部屋のドアを開け、手に持っていたランプの光を部屋の奥に向けてジュジュと共に一緒に中に入って行った。
「あまり使ってない部屋だから、掃除は行き届いてないかもしれないけど、今日は我慢して……」
 そこまで言いかけると、突然ランプの明りが消えた。いや、故意にマスカートが消してしまった。
 そしてマスカートは、強い力でジュジュを自分に引き寄せた。
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