第二章


「私がここに来たせいで、騒ぎを起こしてしまいましたことを、深くお詫びします」
 ジュジュは丁寧に頭を下げ、目の前の人物を恐れようとも、自分を見失わない礼儀だけは忘れなかった。
 服はありきたりのものだが、ジュジュの優雅な身のこなしと振舞いは、気品高く見え、そこに居たもの全てが知らずと見入っていた。
「何も客人が謝ることはない。失礼をしたのはこちらだ」
 リーフはカルマンを睨み、すべきことを暗黙で強制した。
 カルマンはしぶしぶとジュジュに向いた。
「ジュジュ、ごめん。怖がらせるつもりも、酷いことをするつもりも全くなかったんだ。あれはその、なんというのか、君を喜ばせたかったんだ」
「あれが喜ばせようとする者がすることか」
 どこまでも悪ふざけのような態度に、ムッカは我慢できずにぼやいてしまった。その気持ちはマスカートも同じだった。
「もういいわ。私も何か誤解させる行為をしたのかもしれない。確かに赤いバラをプレゼントされた時は嬉しかった。あの行動がそれの延長線にあったとしたら、私にも非があるのかも」
「ジュジュには全く落ち度はない。全てはカルマンが……」
 マスカートが言いかけるが、前夜に自分達が話し合った事柄が胸に引っかかり、カルマンの取った行動が自分達にも責任があるように思えてしまった。
 自分もせざるを得なかった理由はあるとはいえ、ジュジュに突然抱きついてしまったし、それに影響されて、カルマンが何かを企んだことも否定できない。そんな部分を口に出す事もできず、マスカートは複雑な心境に黙り込んでしまった。
「とにかく、カルマンも反省してるし、済んだことです。この件は忘れましょう」
「ジュジュがそういうのなら、僕は構わないよ」
「馬鹿! どうしてお前はそうシャーシャーとしてるんだよ」
 ムッカに怒られても、カルマンは全くお構いなしだった。
 マスカートも側で見ていたが、自分は色々と思いを巡らせて悩んでいるというのに、良心の呵責にも悩まされないカルマンが恐ろしく思えてしまった。
「いい加減にしないか。客人の前でこれ以上の失態を慎め」
 リーフの一言で、その場はまた凍りついたように冷え冷えとした空気が流れた。
「あ、あの、私、ジュジュといいます」
 先ほどから客人といわれ続けることが我慢ならず、自分をアピールしだした。
 リーフは何気ない様子で、ジュジュを見る。
 「ジュジュ…… そういえばお互いの挨拶はまだだったな。私は……」 といいかけた後、少しの間が入り、気を取り直してから「リーフだ。すでに皆からそう呼ばれてるので、今更名乗っても意味はないが」と付け加えた。
「リーフ、実はお願いがあります」
「なんだ」
「どうかここで私を働かせて下さい。料理は得意ですし、掃除もなんでもします」
「申し出はありがたいが、それは断らせてもらう」
 リーフは迷うことなくすぐ決断する。
 こんなにもすぐに結果が出たことで、ジュジュのショックは大きかった。
 マスカートもムッカもあっけなく簡単に幕が閉じてしまって、唖然としてしまった。
「えっ、どうして? ジュジュの料理は最高だよ。ほんとに彼女はよく働くし、絶対勿体無い」
 問題を起こして、さっきまできつく叱られていたカルマンが軽々しくいうのは、誰しも違和感をヒシヒシ抱えたが、カルマンの言い分には同意しているので、誰も突っ込めなかった。
 寧ろ、そのようにリーフに反発できるのがカルマンだけなので、このまま言い続けて欲しいとも思ってしまう。
 カルマンに腹を立てる事も多いが、その一方で自分の言えない事を代弁してくれる恐れない態度を持ってる事も有難い。
 これがカルマンを心底憎めない要因の一つだった。
「ここは、危険な場所だ。そんなところにお嬢さんを働かせることなどできない。働き口を探しているのなら、この森から出て街で探すといい。それか、早く家に帰ることだ。家族もこんなところに居るとわかったら、心配するはずだ」
「お願いします。危険なのは充分承知です。でも私はここで働きたいんです」
「なぜ、そこまでして、この屋敷に拘る?」
「それは以前、ここに住む人に助けられて、その恩を返したいんです」
「ここに住む人に助けられた? それは誰だ?」
 疑問に満ちたリーフの目つきが細くなる。
 ジュジュは困ってしまった。それが分かれば自分だって苦労はしない。どのように説明しようかと考えているときカルマンがまた口を挟んだ。
「そんなの、僕たち4人に決まってるじゃないか。この森には色んな人が迷い込んでくるし、確かに僕たちはジュジュを助けた」
 カルマンが言い切った後、マスカート、ムッカ、バルジもびっくりしたが、ジュジュも当然驚いた。
「カルマン、それは本当か?」
「ああ、皆ははっきりとは覚えてないかもしれないが、僕は確かにジュジュを見た事がある。ジュジュに会った時、初めて見た気がしなかったんだ」
「見た事がある?」
 リーフは眉根を寄せ、訝しげになる。
 マスカートとムッカは、あやふやな事柄を堂々と言い切るカルマンの態度に潔さを覚えながら、ハラハラして見ていた。
 バルジだけは牽制するようにカルマンを見つめていた。
 ジュジュは、カルマンが言い切ったことで自分の目的が間違ってなかったことを確信し、改めて四人の男達を見ていた。
 ──この四人が助けてくれた。私はこの中の誰かを好きになった……
 そう思った時、何がなんでもここに残って、その一人を見つけなければならない。それはここまで来てしまった意地も入っていた。
 すっかりカルマンのはったりを信じてしまう。
 暫くの沈黙の後、再びジュジュに視線を戻したリーフの表情は、困惑しきっていた。
「そうか、ジュジュはこの屋敷に住む者に助けられたというのか。その恩義は気持ちだけで充分だ。この者達は見返りなど何一つ望まず、助けたい思いからそのような行動を取ったに過ぎなかったはずだ。そうだろ、みんな」
 リーフがそういえば「はい」という選択しか残っていない。例え、露骨にその見返りを期待してやっていたとしても。
 誰もが建前として反論できなかった。
「もうそれで事は済んだ。その気持ちだけで充分だ。後はここから去ることだけだ。朝食はまだだろうから、何か食べてから行くといい。マスカート、ムッカ、 カルマン、安全にこの森から出られるように案内したまえ。バルジは屋敷の周辺のガードを怠るな。私は、疲れたから一休みさせてもらう。それではジュジュ、 お会いできて光栄だった」
 事務的に淡々と命令し、リーフは広間から去っていく。その後姿を、なす術もなくジュジュは悲しく見ていた。
 人情味もなく、冷淡で、つかみどころが無い。
 それがジュジュが抱いたリーフの印象だった。
 もう少し話のわかる人だと少しは期待していた部分もあったが、バラの花を踏み潰した通りに、容赦はしないその性格にやるせなさを感じていた。リーフだけは自分を助けた人物ではないと断言できるほど、彼に失望していた。
 もし一つでもリーフの事を褒めろと言われたら、唯一、その精悍な顔立ちと凛とした姿勢の威厳だといえる。
 しかし、それは見掛けだけのことであって、取っ付きにくければ魅力にも感じない部分だった。
「僕はジュジュに居て欲しいのにな。怖がらせたお詫びだってしたいし、ジュジュにはたっぷりとこの僕の魅力を見て欲しいしさ」
「カルマン、とりあえず、お前は黙っとけ!」
 ムッカが口を押さえ込み、カルマンはそれを抵抗し、二人は小競り合いを始めた 
「ジュジュ、こんな結果になって残念だけど、リーフが決めた事は絶対だから」
「わかってるわ、マスカート。だけどリーフって、どこか気難しそうね」
「んー、なんていうのか、極力人と会う事をさけ、世捨て人みたいなところがあるからね。また気まぐれで、ふらっと何も言わずに行動したりするから、私達も 何を考えているのかわからないんだ。ただ、悪い人ではないんだ。男同士だと、気を遣わないから却ってそういう方が気が楽さ」
「私、嫌われたのかな」
「そんな事ないさ。ジュジュに対しては好意的だったと思う」
「えっ、あの態度で?」
「リーフは、嫌いな奴にはトコトン嫌な態度を見せて、容赦しないよ。ジュジュを拒んだのは、何か心配しての事なんだと思う。嫌いだからって事じゃなかったよ、あれは」
 マスカートはなんとか慰めようとしていた。みんなにも手伝ってもらおうとムッカとカルマンに視線を向ければ、まだ二人はしつこく小競り合いをしていた。
「お前ら、いい加減にしろ」
 マスカートは間に入り、そして落ち込んでいるジュジュを示唆すれば、二人はやっと事態を把握して大人しくなり、今後どうすべきなのか話し合いだした。
「そういえば、チビはどこに行った?」
 バルジが訊いた。ジュジュが居なくなるという事は、モンモンシューもいなくなる。一人だけ屋敷に残らなければならないバルジはモンモンシューに挨拶したかった。
「朝の散歩に出ているわ。そろそろお腹を空かして戻ってくる頃かも。そういえば、皆さんも朝食まだでしたね。何か作ります」
 もしかしたら、自分の作る食事でリーフは考え直してくれるかもしれない。そういう気持ちもあり、最後のチャンスだと思ってジュジュは少し持ち直した。
 ジュジュはやる気を持って台所に向かうと、バルジもついていった。
「ジュジュはここに居たいと、強く願ってるんだろうな。自分を助けた人物がここに居るってはっきりとわかったんだから」
 カルマンはジュジュの後姿を見て呟いた。
「ちょっと待った。その話だが、誰もがあやふやではっきりしないのに、あそこでよくもまあ、堂々と嘘がつけたもんだな」
 マスカートは尊敬半分、軽蔑半分の眼差しで見つめた。
「まあね、ジュジュのこの屋敷に残りたい理由が、それだろ。協力しなくっちゃ。それに、僕がその助けた人物になってもいい」
「おい、捏造してどうするんだよ」
 ムッカは突っ込んだ。
「ジュジュがこの屋敷にいられないのなら、僕が助けた人物だっていうべきだ。そうすればジュジュだってすっきりするだろうし、きっと僕を好きになってくれる」
「なんでカルマンを好きになるんだよ。あんなことしといて。ほんとよくいうぜ。この減らず口め」
 ムッカはカルマンの頬を引っ張った。
「もうやめてよ、ムッカ。気に入らないんだったら、自分がその役を買ってでたらどうなんだ? ムッカだってジュジュを気に入ってるんだろ。気に入ってるく せに、一番その気持ちを隠して、かっこつけてるんだから性質(たち)が悪いよ。悔しかったら自分の気持ちに正直になって、頭を働かせればいいじゃないか」
「だからといって、嘘をついてまで、気を引く気になどなれない!」
「今更何を言うんだ。チンピラだった頃は、無駄に虚勢はって、子分どもに大ほらこいてたくせに。その嘘がばれてグループから追放されたこと、今更忘れたのか?」
 痛いところを突かれ、ムッカは息が詰まって、呼吸困難を起こしそうだった。
「もういい、よせ、カルマン。ムッカだって昔の事は反省してるから、今は恥を知ってるんだ。お前のように悪びれることなく嘘なんてつけないんだ。お前のやり方は、卑怯そのものだ」
「違うよ。僕は先の事を常に見て、どういう行動を取ればいいか賢く振舞ってるだけだ。例えそこに嘘が混ざろうと、長い目で見たらそれも目的のために必要なことさ。誰だって多少の嘘はつくだろう?」
 正当化されていわれると、尤もらしく聞こえるから、埒があかない。カルマンはいつものらりくらりと反論して、論点をすり替えてしまう。
 機転に富んだ、頭の回転は誰よりも速く、着眼点も人とは違う。そういうところは、どうしても打ち負かすことはできなかった。
 結局、マスカートとムッカはやり込められて黙ってしまった。
 カルマンはその様子に口許を上げ、満足すると共に意地の悪い笑みを浮かべた。
「いいにおいがしてきたね。ジュジュは何を作ってるんだろう。ちょっと見てこようっと」
 カルマンは言い合いをしたことも疾うに忘れ、あっけらかんとして、行ってしまった。その切り替えの早さにも二人は敵わなかった。
 カルマンが居なくなった後、ムッカはマスカートには本音をたれた。
「なあ、なんとかしてジュジュをこの屋敷に居させてやれないだろうか。折角知り合って、このままお別れはやっぱり寂しいぜ」
「ムッカはやっぱりジュジュに惚れたのか」
「正直わかんねぇ。だけど、ジュジュみたいな女の子は滅多に居ないというのはわかるんだ。あどけなく、無邪気だけど、その裏で気品があるというのか、凛と して宝石のような輝きを持ってる。ああいう雰囲気を持つ子は中々いない。これを逃したら勿体無いっていう気持ちが急に現れたんだ」
「うん。その気持ちは私もわかる。顔だってかわいいし、見ていて癒されるものがある。特に、こんなオーガが住むような森の中で、男だけで暮らしていると、ジュジュが存在するだけで心安らぐものがある。過去の失恋もついでに癒されそうだ」
「なんとかならないだろうか」
「リーフが縦に首を振らない限り、絶対無理だからな」
「そうだよな」
 どうする事もできず、二人は溜息を吐いた。
 再び息を吸えば、ジュジュが準備する料理の匂いが、二人の鼻腔をくすぐった。二人は顔を見合わせると、その後は息をぴったり合わせて台所へ小走りに駆けて行った。
 そして、その匂いはリーフが居る書斎にまで香っていた。
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