第三章


「セイボル!」
「やあ、ジュジュ王女様。これはまた会えて光栄だ」
「ここでは王女とは呼ばない約束でしょ」
 ジュジュは辺りを見回し、慌てていた。
「大丈夫だ。この辺りには私達以外誰もいない。しかし、失礼した」
 モンモンシューは様子を見ながら、セイボルに近づく。セイボルはそれを歓迎し、手を差し伸べると、モンモンシューは喜んでセイボルに纏わりついた。
 モンモンシューがセイボルを素直に慕うのも珍しいが、そのセイボルの姿もまたリーフによく似ていて、ジュジュは不思議なものを見ているようだった。
「こいつの名前は何て言うのだ?」
「モンモンシューよ。人にすぐに懐くなんて珍しいのよ」
 セイボルはニコッと笑って、手に隠し持っていた干し肉をジュジュの目の前で掲げた。
「こいつはこの匂いに敏感だったのさ」
 早速それをモンモンシューに与えると、モンモンシューはおいしそうに食べだした。
 食べ終わっても、モンモンシューはセイボルから離れなかった。ただ単に餌をもらえるだけで慕っているようではなかった。
 セイボルも、モンモンシューを腕に乗せ、体を撫ぜたり、首筋を掻いてやったりと楽しそうに付き合っていた。
 どちらもお互いを気に入っている様子が伝わってくる。
「セイボル、ここに居るのはあまりよくないわ」
「それは私を追い出したいってことなのか」
「ううん、そうではないけど、ここはリーフの屋敷に近いから、その……」
「ジュジュは私を心配してくれてるのか」
「だって、あの屋敷に住む人は皆、あなたの事を敵だって思ってるのよ」
「ジュジュはどうなんだい?」
「えっ、私は、その、そうは思ってないわ。だってあなたは皆が言うほど何も悪いことなんてしてない」
「悪いことか……」
 セイボルは、この時、神妙な顔つきになった。
「人はそれぞれ、自分の信念が正しいって思うところがある。何を基準にするかで善悪は変わるのかもしれない。だが、私は世間からしたら、魔王と呼ばれているのは事実だ。ジュジュは私が怖いか?」
「もし、怖ければとっくに逃げてると思うの」
 ジュジュは真面目に言ったつもりだったが、セイボルはくすっと笑った。
「そっか、それは有難い。どうやらジュジュには私は嫌われてないようだ。それなら正直に言おう。私はジュジュには本当の事を知ってもらいたい」
「えっ、本当の事?」
「私は、あの誕生日パーティに集まる男達の中に居た。これがどういう意味だかわかるだろう」
 ジュジュははっとして目を見開いた。セイボルはその様子を気にしながら話を続けた。
「私もジュジュに気に入られたかったって事だ。城の内情を知り、特別な力を持っていたから、こうやってジュジュを探し出すことができたという訳だ」
 セイボルはモンモンシューの体に触れながら、モジモジと少し恥かしそうに語っていた。
「どうしてそれを私に教えてくれるの?」
「屋敷の者達は私が何か企んでいると勘繰っていると思ったので、それならば正直に自分の目的をジュジュに話した方がいいと思った。ジュジュが王女様と知らないから、私が変な企みを持っていると好き勝手に言われるのは嫌なのでね」
 ジュジュは反応に困っていた。
「これで、私がジュジュに会いに来る理由は分かって貰えたと思うが、これからも私と会ってくれないだろうか」
「あの、それは構わないけど……」
「何か言いたいことがあるのなら、はっきりと言って欲しい」
「それじゃ私も、正直に話すわ。私がお城から逃げてきたのは、好きな人を探すためだったの」
 今度はセイボルがハッとした。
「やはりそうだったか。ジュジュにはすでに好きな人がいたのか。それでその人とは会えたのか?」
 ジュジュは首を横に振る。
「実はまだ探し出せないでいるわ。もしかしたらもう会えないかも」
「そんなに好きなのか?」
「なんだか、わからなくなったわ。ずっと憧れを抱いていたけども、そんな状況になったのも、あの城に閉じ込められてたからかもしれない。将来の夫を自分の16歳の誕生日に決めないといけない馬鹿げたしきたりのせいで、私は反抗したかったのかも」
「それじゃ、これからどうするつもりだ?」
「まだ当分はこの自由を楽しみたいという気持ちもあるわ。でもその前にやる事も…… あっ、そうだわ、セイボルは魔王だったわね」
「えっ、一応、そうは呼ばれてるが、実際はそんな悪役でも……」
「そうじゃなくて、魔術が使えるってことよ。お願いがあるの」
 いきなりセイボルの手を掴み、ジュジュは瞳を潤わせて懇願すると、セイボルはドキッとしてしまった。
「な、なんだ?」
「モンモンシューを元に戻して欲しいの」
 ジュジュは事の経緯を説明した。
「そうだったのか。しかし、これは私の魔術では無理だ」
 モンモンシューをまじまじと見つめ、セイボルは顔を顰めていた。
「どうして? セイボルは魔王でしょ」
「だから、その名は…… とにかくだ、魔術にも色々ある。私は黒魔術を操る。これは悪い意味で用いられやすいが、実際そういうものではない。黒といって も、黒の色を利用して力を引き出すというのか、私自身が黒の持つ色の波長と相性がいい。人それぞれに自分に合う色を持っており、それに影響されるものだけ 魔術が使える」
「ということは、白、赤、青、緑といった種類があるってこと?」
「色で魔術が区別されるのもおかしいのだが、実際はどれも同じ魔術にはかわりない。しかし、その人物が影響を受けている色を持っていると、特徴がでてく る。特に姿を変える魔術や、呪いを掛ける魔術は、その魔術をかけたものしか元に戻すことができない。モンモンシューはそれにあたる。だが、モンモンシュー に掛けられた魔術はかなり不安定さを感じる。これは意図から外れて偶然このような結果になってしまったようだ」
「どういうこと?」
「元々は、死をもたらそうとしていた悪意があったってことだ。魔術は凶器や毒ではなく、瞬間に死をもたらす事ができない。呪いを掛けて、徐々に弱らせて、 それが死を至らしめる要因を作ることがあっても、剣で刺すように簡単には殺せない。だが、この魔術からは強い刺激を感じる」
「じゃあ、モンモンシューは一歩間違っていたら致命傷を負っていたかもしれなかったのね」
 ジュジュはモンモンシューを力強く抱きしめて、申し訳なく思う。
「ドラゴンも強い力を持っている。その点が魔力を弾き飛ばす要因に繋がったのかもしれない」
「でも一体誰が」
「偶然ドラゴンが居たのでその力を試しただけかもしれないが、その魔術を使った物はその力が及ばず失敗したと思っているだろう。その副作用で小さい姿に なったとは気付いてないかもしれない。しかし、これはとても脅威な魔術だ。ドラゴンは剣で刺すだけでは致命傷を負わす事はできない。だから人々は空を征服 するドラゴンを非常に恐れている。そのドラゴンを一撃で倒す力を備えれば、天空の王国のドラゴンを操る力に頼らなくてもよくなると考え、この魔術を扱うも のは君臨するかもしれない。また、ドラゴンだけじゃなく、人をも簡単に死に至らすことも当然できる。そうなると皆から恐れられ、それこそ魔王と呼ばれるに 相応しい存在になるだろう」
「そんな…… それってセイボルじゃないの?」
「ええっ! やっぱりジュジュは私が悪者だと思ってるのか?」
 無邪気にさらりと言われると、さすがに堪えていた。
「ち、違うの。セイボルはそういう力は持ってないのって訊きたかったの。だって魔王と呼ばれてるし」
「私が魔王と呼ばれるのは、人前で魔術を見せてしまい、人々が勝手にそう噂して、そういうイメージが定着してしまったからだ。私もそれに便乗してそのフリ をしてるだけで、実際は魔王と呼ばれるほどの強い力は持ってない。魔術を使える者には二種類いて、一つは私のようにカミングアウトするもの。もう一つは ずっと隠し通す者。後者の方が本当は賢いのだが、大概は人から一目置かれようと自分の中で秘めていられないものだ。魔術が使えればそれで商売もできるから な」
「それじゃ、モンモンシューに魔術を使った人を探すのは難しそうね。だって、そんな恐ろしい魔術を使うんですもの。きっと隠してるに決まってるわ。なんだか怖い」
「ジュジュは大丈夫だ。ジュジュはドラゴンを操つる力を持ち、天空の国の王女様だ。ロイヤルファミリーは魔術を跳ね除ける力を持っている」
「えっ」
「魔術を使えるものがいるのなら、その魔術を跳ね除ける者もいる。この世は必ず一対になる者が存在しているということだ」
「そんな事知らなかったわ。それじゃ私には魔術は掛からないの?」
「ああ、そうだ」
「でもなぜあなたは知ってるの?」
「そ、それは、その、初めて会った時にちょっと試してみたというのか」
「みんながオーガに気を取られているときに、私を呼び寄せた、あの時ね」
 セイボルは気まずくなり、笑って誤魔化すしかなかった。
 ジュジュも一緒になって笑っていた。
 素直に笑うセイボルの笑顔を見ていると、ふとリーフの事を考えてしまう。リーフも笑えば、セイボルと同じような顔をするに違いない。
「ねぇ、セイボルはリーフの事をどう思っているの?」
「えっ、急に訊かれても……」
 笑っていたセイボルの表情が一瞬にして曇った。
「どうしようもないと思ってる。今はお互いを避けて当たり障りのないようにするだけで精一杯だ。私はそれ以上何も言えない。そういうジュジュはリーフと一緒に暮らしてどう思っているんだ?」
「お屋敷に置いてもらってるけど、殆ど顔を合わす事はないわ。でも、会えば緊張するのは確か。だけど、セイボルとほんとによく似ているから、不思議な気持ちになるわ」
「もしかして、リーフが冷たいからと言って、私もそうだと思われてるのか」
「ううん、そんな事はないわ。顔は似ていても中身が違うもの。だけどリーフのあの姿は本当のリーフではないと思う」
「えっ?」
「セイボルの存在のせいで無理に作ってるとしか思えないの。心の中の心配事やわだかまりを取り除いたら、セイボルのようにとても穏やかに笑う人だと私は思う」
「私のせいか…… それは参ったな」
「誤解しないで、セイボルを責めてるわけではないわ。でもリーフをこのまま放っておけないのも確かだわ」
「いや、あれは放っておいた方がいい! ジュジュ、リーフなんか放っておいて、私の屋敷にこないか」
「でも、今はこの森を離れられないの。モンモンシューに魔術をかけた人を探さないといけないから」
「それは私ももちろん手伝う。何もジュジュがあの屋敷で使用人のように働く必要はない」
「それは大丈夫よ。働く事は苦にはならないわ。ここで生活すると、出来なかったことが自由に出来てとても楽しいの」
 セイボルは少し考え込んだ。
「そうか、分かった。それなら私も応援するしかないな。それじゃ、時々ジュジュに会いに来よう。もちろん、こっそりとだが」
「セイボルはいい人ね」
「それは好きな人を目の前にしてるからだ」
「えっ?」
「もし、私が魔術をジュジュにかけられるのなら、遠慮なく私に惚れる魔術を掛けたことだろう。でも私の魔術はジュジュの前ではなんの役にも立たない。だったら、私という人物をジュジュに分かってもらいたい。要するにジュジュに好かれたいってことだ」
 物腰柔らかく、それでいて飾らずに本心を言うセイボルに、ジュジュは正直ながら乙女心が疼いた。
 自分で追いかける恋に憧れて、一途に思い続けてきたが、素直に告白されるのもドキドキするものがあった。
 セイボルは紳士的で、見かけもかっこいい。魔王というちょっと悪ぶれた肩書きもある。一生懸命に自分の恋をなんとかしようと、無我夢中で迫ってくる真剣な瞳が熱くも感じられる。
 まだまだ恋に憧れるジュジュにとっては、この雰囲気に飲み込まれそうにドギマギして、心くすぐられる。
 しかし、慣れてない分、どう応えてよいのかわからない。
 思いを込めて見つめられ、鼓動が胸を響かせる。
 目が逸らせずセイボルを見上げる体に力が入るが、足元はふわふわと覚束なくなっていた。
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