第三章


 木漏れ日が、ジュジュの周りで光と影を幻想的に映し出して揺れていた。
 全てがキラキラと輝く中で、ジュジュの瞳がセイボルを捉えている。心地よい恋の芽生えがドキドキと気持ちを高めていく。
 魔王と呼ばれるのなら、魔王を演じて強引にジュジュを引き寄せ抱きしめたくもなるが、そこまで出来ないのがセイボルだった。
 見つめあい、自分の思いを言葉で説明するだけでいっぱいいっぱいになっていた。
 このまま本能的にジュジュを抱きしめて、ロマンティックに自分の恋に突っ走りたいと、頭の中で色々と妄想はできるけど、はっきりいって恥かしかった。
 セイボルには強引さがない。自分でももどかしいくらいに、ジュジュを抱きしめて触れたいと腕が微かに震えていた。
 折角いい雰囲気になってお互い見つめあっているのに、セイボルはそこで息がきれたように、にこっと笑うだけで終わってしまった。ジュジュもそれに合わせて同じような笑いを返していた。
 極度な緊張が解かれると、なぜか最後でヘラヘラと意味もない笑いが出てくる。
 二人の笑い声は、風に吹かれて煌めいている木漏れ日と一緒にハモってるようだった。
「ジュジュの前に居ると、どうやら私は緊張してしまうようだ」
「えっ、魔王なのに?」
「だから、その名は…… もしかしてわざと言ってるのか」
 ジュジュはいたずらっぽく、クスッと笑い、
「セイボルのような真面目な人をからかうのは、ちょっとおもしろいかもしれないわ」
 肩をすくめておどけていた。
「それは困るな。でもそれでジュジュに気にいられるのなら、仕方ないか。願わくはそれでいつかは私の事、真剣に考えてもらえると嬉しいのだが……」
 ジュジュの反応を気にしていたその時、カラスが頭上の木の枝に止まった。それを見てセイボルは息を一吹きした。
「残念だが、そろそろ行かねばならない。リーフの屋敷が賑わい始めたみたいだ。私がここに居ることが知られるまえに姿を消すことにする。ジュジュまた近いうちに」
 セイボルは長い髪を風になびかせて、素早く森の中を駆けて行った。
 それを見ている時、ジュジュの頭上に、カラスが掠めて飛んできた。ジュジュは咄嗟に身をすくめ、モンモンシューが文句を言うようにカラスを追いかけた。
「モンモンシュー、やめなさい」
 モンモンシューは不満たっぷりにカラスを一瞥して、ジュジュの元に戻っていった。カラスは枝に止まり、「アー」と一声出していた。
 それに気を取られている間、ジュジュがもう一度森の中を振り返った時は、セイボルはすでに姿を消していた。

 どれくらいセイボルと過ごしていたのだろうか。
 屋敷に戻る道を歩きながら、ジュジュはぼんやりとセイボルの事を考えていた。はにかみながら笑い、自分に告白してきた事を思い出すとくすっと笑いが漏れてしまう。
 魔王と呼ばれながらも、それらしからぬ穏やかな性格がジュジュの印象に残っていた。
 皆が言うほど、セイボルは悪い人には全く見えない。なぜそんな風に思われてしまうのかジュジュには不思議だった。
 屋敷の敷地内に近づくと、ジュジュは警戒心を強めた。屋敷を飛び出したことがばれないようにこっそりと裏口に回る。その途中でリーフの書斎の窓をチラリと見れば、カーテンを通して黒い人影が動いているのが見えた。
 モンモンシューがまた窓に近づいてしまった。その影に気がついたのか、リーフが窓に近づきカーテンを少し引いて外を覗く。
 モンモンシューを呼び戻す暇もなく、ジュジュは姿を見られてはまずいと慌てて、その場から走り去った。
 カーテンの隙間からリーフはその様子をしっかり見ていた。そしてまだ窓の前にモンモンシューが首を傾げて上下に揺れて飛んでいる。
 リーフは追い払うように手でシッシと指図した。
 モンモンシューは眉間に皺をよせるように、リーフを見ている。どうやら顔がよく似ているリーフとセイボルの区別がついてないようだった。
「モンモンシューったら」
 後ろを振り返り、まだ戻ってこないモンモンシューにジュジュはハラハラしていた。
 しかし、裏口から屋敷に入った時、屋敷の中で男女が言い合っている声を聞き、モンモンシューの事など忘れてしまった。
 すぐに声のする部屋へと駆けつければ、広間で見慣れない美しい女性が、涙を流しながらマスカートに訴えている姿がそこにあった。マスカートは複雑な表情でそれを見ては、時折奥歯をかみ締めて、苛立ったように体が震えている。
 離れた場所でハラハラして見ているムッカが、ジュジュに気がつくと、そっと近寄って耳打ちしてきた。
「森の中でさ、ばったりとマスカートの元カノにでくわしたのさ。マスカートの噂を街で聞いた元カノがマスカートに会いにやってきたってことなんだ。それで今揉めてる」
「マスカートは嬉しくないの?」
「いくら惚れて、忘れられなくても、一度は捨てられてるんだぜ。そんな女がノコノコとやってきて『よりを戻しましょ』なんて言われても、男としては素直に 受け入れられるものじゃない。折角失恋の傷も癒えてきてたとこだったのに、マスカートもどうしていいのかわからないのさ」
 ジュジュはムッカと一緒に黙って様子を見ていた。
「だから、私が悪かったっていってるじゃないの。あの場合どうしようもなかったのよ」
 まるで劇をみているような勢いで、女性が派手に涙を流して訴えている。
「どうしようもなかったって、そんな風には見えなかった。君は突然私の前から姿を消して、私が再び君を見かけた時には、別の男と楽しそうに腕を組んで歩いていたではないか」
「だから何度も言ってるじゃない。あれはどうしようもなかったって」
「その後、私を邪険に扱い、肘鉄でも食らわすように嫌な顔を向けたではないか。あれのどこがどうしようもない姿だったんだ?」
「私は両親に言われるままに、あの男の側に居なければならなかったの。あんな男の事好きでもなんでもなかったわ。だけどそうする事しかできなかったの」
「それならどうして私に相談してくれなかったんだ。一言相談してくれれば、君と一緒に他の街へ逃げる事だってもちろん考えただろうし、私も君の両親を説得できたかもしれない」
「そんなの無理よ。両親を捨てることなどできないし、お金のないあなたの言葉にもあの時の私の両親は耳を傾ける事もなかったわ」
「ほら、結局はお金だ。君もお金が目当てだったんだろ」
「酷いわ! あの男と手を切って、今はこうやってあなたに会いに、こんな危ない森の中にまで危険を承知でやってきたのよ。ねぇ、マスカート、私の気持ちも分かって」
「それじゃなぜ今はその男と手が切れたんだ」
「気がついたのよ。無理に好きでもない男と一緒にいる虚しさに。そして私はどんどん心が病んでいったわ。それで私の両親は心配しだしたの。そこでやっと間 違いだったって気がついてくれたの。私の好きなようにしたらいいって。そしたらあなたの思いが私の中で爆発したわ。そんな時にあなたがこの森にいるって聞 いて、気がついたら森の中を駆けていたわ」
「そんなの信じられるか」
 マスカートは小さく呟き、瞳が揺れていた。ふと目を逸らした先でジュジュが視界に入った。元カノとの話し合いに夢中になりすぎて気がつかなかった。
 ジュジュのマスカートを見る目が、心配そうに不安に揺れていた。思わず「ジュジュ……」とマスカートの口からその名が漏れる。
 女はそれに敏感に反応した。
 突然敵意を持って、女はジュジュに振り返り睨みだした。マスカートが穏便によりを戻さない原因がジュジュにあると女性独特の敏感なセンサーが働く。
 ジュジュの前に向かって、女は突然歩き出した。
「ドルー、ジュジュに何をするつもりだ」
 マスカートが慌てて追いかけるが、間に合わず、ドルーと呼ばれた元カノはジュジュと対峙した。
 ジュジュはドルーの迫力に身を怯ませていると、ドルーは突然にこやかに微笑んだ。
「この屋敷に可愛い使用人がいるなんて思わなかったわ。突然の事で驚かしちゃったわね。ごめんなさい」
「いえ、その、あの」
「ジュジュは使用人ではない。ただここで一緒に協力して住んでるだけだ」
 マスカートが間に入り、ジュジュを守るしぐさをとった。
「ジュジュというのね。私は、ドルー、宜しく。ねぇ、あなたは女性だから分かるわよね、女心が」
「えっ、それは」
「誰だって間違いってあると思うの。それに気がついて、素直に謝って許してもらいたいって女なら思うでしょ」
「もちろん、それは誰でも思うと思います。それに素直に間違いを認めて謝るのは勇気がいる事だと思います」
「それじゃ、マスカートはその謝罪をどうすべきだと思う?」
「えっ、それは私が言えることでは……」
「でもあなただったら、私のように謝罪して、相手にどうされたい?」
「それは、自分が悪いと認めて相手に謝ったら、やっぱり許して欲しいです」
 ジュジュは俯き加減になりながら、マスカートをチラリと見た。
 ジュジュの言葉はマスカートの耳にストレートに届き、マスカートの高ぶっていた気持ちが静まっていく。
 ムッカはそれを側で見ていて、全く関係ないジュジュを巻き込むドルーに違和感を持った。
 その後、マスカートは落ち着いてドルーと再び話し合いを始めた。長ソファーの上で二人はお互い両端に座り、取りとめもなく話していた。
 ジュジュとムッカは気を利かせて席を外し、二人は台所で、食事の下ごしらえをしながら雑談していた。
 マスカートが寄りを戻すのか、ムッカは気になってジュジュに意見を求めていたが、ジュジュには答えようがなかった。
 誤魔化すようにジャガイモの皮むきに集中しているフリをした。
「だけどさ、あのドルーって女は、俺はなんか頂けないな」
「でも、マスカートが夢中になるのがわかるわ。あんなに美しい人だもの」
「そうかい、俺は刺があるような冷たいものを感じたけどな。でもまさか、シナリオ通りにこんな事になるとは思わなかった」
「えっ、どういう事?」
「だからさ、マスカートがここに来た理由が、振られた彼女を見返したかったってことだろ。ここで勇者の名声を手にして有名になって、別れたことを後悔させてやるなんて言ってたくらいだ。それが本当になってるんだからびっくりしたんだ」
「時々、落ち込んでは、自分の世界に入り込んで大変だったもんね」
「皮肉なもんだな。やっと失恋から立ち直りかけてたのに、元カノが現れるんだから」
 ムッカは意味ありげにジュジュを見た。
 ジュジュは皮が向けたジャガイモを水を張った桶にポトンと沈めていた。
「マスカート、許してあげるのかしら」
「俺はよりは戻さない方がいいと思う。今度は女の方が辛い思いをすべきだ。俺なら当て付けてしまいそうだ…… そうだ! 俺にいい考えがある。ジュジュも協力して」
「えっ、何を?」
 ムッカは剥きかけのジャガイモを放って、台所から走って去っていった。
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