第四章

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「目が、目が」
 先ほどから目を抑えカルマンがのた打ち回っている。
「カルマン、この先、お前の目は見えることがないだろう」
 リーフはジュジュにウインクをして、それを伝えている。それが嘘だとジュジュはよく知っている。
「ええ、僕は一生目が見えないの?」
「ああ、そうだ。今までの報いだ」
「そんなの嫌だ。どうか治して、助けて。僕なんでもいう事聞くから、お願いします」
 リーフは泣きじゃくっていた。それは子供のように、甘えるように、許して欲しいと乞う泣き方だった。
「どうだ、人の苦しみが分かったか。自分だけがそれでいいなんて思えば、困った時に誰も助けてくれる奴はいないぞ」
「ごめんなさい。もうしません」
「それに、ジュジュはお前に酷いことをされても、人食い植物からお前を必死に助けたんだぞ」
「あーん、ジュジュ、ごめんなさい」
「その思いを抱いて、これからずっとそのままで暮らすんだ。お前には明るい光すら必要ない。その暗闇に閉ざして何も見ずに一生を過ごせ」
「嫌だ、こんなの嫌だよ。嫌だよ。うわぁーん」
 カルマンの鳴き声は森中に響いた。
「カルマン、嫌な気持ちを押し付けられるって辛いでしょ。私だってあなたにファーストキスを奪われて辛かった。無理やりがどんなにひどいことか分かる?」
「うん、うん、分かる。ごめんなさい。ジュジュ、ごめんなさい。僕心入れ替えるから。もう変な事しないから」
「だったら、今から屋敷に戻って、みんなに謝るんだ。そしてみんなが許してくれるのなら、その目を治してやってもいい」
 リーフが言うと、カルマンはリーフにすがって、何度も頷いた。
「いいか、普通の謝罪では許してくれないんだぞ。わかってるな」
「分かった。一生懸命謝る。そしてもう二度と傲慢になって馬鹿なことをしないって誓う」
 リーフとジュジュはお互いを見つめ合い、効果があったことを確かめ合った。
 セイボルが乗っていた馬をリーフは呼び寄せた。その馬はよく見れば、ジュジュがいつも世話をしていた黒い馬だった。
 「屋敷までコイツを乗せていくんだ」と馬に言った後、そしてカルマンにも「セイボル、即ち、お前達が知ってるリーフは大丈夫だと伝えておけ。バルジならすぐに理解するはずだ」と言った。
 ジュジュはその言葉を聞いて安心するとともに、全ての事を話してもらえることに期待した。
 カルマンは馬に乗り、屋敷に戻っていく。それを見送るとリーフはジュジュと向き合った。
「ジュジュ、そろそろ全ての事が聞きたいだろう。全部話してやろう。着いて来なさい」
 白髪交じりの年老いたリーフは、颯爽と歩き出す。その後姿はセイボルと雰囲気が似ていた。顔も、セイボルとよく似ている。ただそれが年をとっているかという違いがあるだけだった。
「ここは人が踏み入れないように、辺りに魔術がしかけられている。このあたりは危険な植物が多くて、普通の人間が入り込めば命を失う危険がある。でもジュジュにはその魔術が効かないから、簡単に入り込んでしまった。心あたりがあるだろう」
「は、はい」
 リーフはあの時の事を話している。自分が森で事故にあった時のことだった。
「さて、何から話したらいいのだろうな。まずは私とセイボルの関係だが、祖父と孫ということだ」
 道理で顔が似ててもおかしくなかった。
「では、そのセイボルが居る場所に連れて行ってやろう」
 ジュジュはその時体に力を込めた。
 セイボル、そして自分がリーフと思っていた人物も彼だった。どっちも同じ人物。なんだかその事実が信じられなかった。
 リーフに連れられて歩いている途中で、沼地に出くわした。その沼地の周りは白い花が咲き誇っていた。多分この沼に落ちたに違いない。ジュジュはじっくり眺めていた。
 落ちた時は底なし沼だと思ったが、周辺にただぬかるみがあるだけで、先の方は水が豊富にあった。
 その色は青く、また緑にも見え、それは美しかった。
「ここは夕日が差し込むと、黄金のようにもなってな、回りの花にも色が反射して、あたり一面、まばゆい金色に光る。それを見たものが、誇張して金があると かいうから、街から一攫千金を夢見て入る輩が耐えない。森の中に入るのは別に構わないが、舐めきってる人間が入れば、簡単に命を落としてしまう事もある。 それを避けるために、この辺りはオーガの森という名前をつけて、来るものを寄せ付けないようにしたんだ。まだこれは私が若かったころの話だがな」
 ジュジュは静かに説明を聞いていた。
「だが、その噂もある時期が来ると、嘘だと思う奴が現われ、実際オーガを見た事がないだけに、真実味を帯びなくなった。そこで、私が自らオーガのフリをし て、この森に来るものを驚かし、魔術も使って怯えさせた。それは功を奏して成功したことにはしたのだが、ここには本物のオーガがいるという噂はさらに広 まった。そんな時に、ある者がここを目指してやってきた。そいつは赤ちゃんを抱え、必死に逃げてきた様子だった。オーガの森と噂を聞いて、ここが自分の住 むべき場所だと判断したんだろう。私はそいつと会ったとき、びっくりした。なんとそれは正真正銘のオーガだったからだ」
 ジュジュも固唾を飲んで聞いていた。
「そのオーガはこの森の嘘に気がつき絶望した。ここにくれば仲間がいて助けてもらえると思ったのだろう。しかし、ここに居たのはあの屋敷に住む私だけだっ た。切羽詰ったオーガは恥を偲んで私の助けを乞うた。オーガは凶暴で攻撃性が強いという習性だったが、そのオーガは違った。そのオーガが抱えていた子供も 全くオーガの特徴がなかった。実はそのオーガは人間の娘と恋に落ちて子供を授かった奴だった」
「人間と恋に落ちた?」
「今、そんな事がありえるかと思っただろうけど、その人間の娘は目が見えなかったんだ。村でも爪弾きにされ、一人で暮らしているときに、そのオーガと知り 合い。心の目でオーガと恋に落ちたってことだ。もちろん、娘も相手がオーガだとは知っていたらしい。それでも他の人間よりも親切で優しくしてくれるオーガ は娘にとってはかけがえのないパートナーになったという訳だ。だが、そんな幸せも続かなかった。娘のお腹が大きくなってきて、村人は誰がその父親か気にな り始めた。それで相手がオーガと分かった時、事件が起こった。娘は悪魔の使いとまで呼ばれ、村人に殺されそうになった。それをオーガが必死に守り、一緒に 住める土地を求めて旅をし、その途中で子供が生まれ、そして、娘は旅の疲労の中で出産したために体力が持たずに命を落としたそうだ。なんとしてでも子供だ けは守りたい。それでオーガは必死にここへ辿り着き、私と出会ったのさ」
 ジュジュは昔話を聞いているような気持ちで夢中になってしまった。
 そしてリーフが立ち止まった先に、そのオーガが現われ、ジュジュはなぜだか涙した。
 潤んだ瞳に映ったそのオーガは人間よりも穏やかで優しいものに見えた。そしてとても親しみが湧いた。このオーガもどこかで見たような気になった。
 オーガはジュジュに軽く頭を下げて挨拶をし、そしてその先にある家へと案内した。それは小高い丘の一部分として斜面に飲み込まれたようになっていた。木に囲まれ苔で覆われ、そこに家があるようには見えないくらい、森と同化していた。
「まあ、私も、このオーガも年を取って、昔ほど活発には動けなくなった。だから、この森のことは、セイボルとこのオーガの息子に世代交代した。どちらにもオーガの衣装を与えてオーガに扮し、ここに入り込む輩を脅して追い払ったんだ」
「オーガの息子……」
「その子もすっかり成長し、大人になった。すでに気がついているかもしれないが、それがバルジだ」
「あっ……」
「バルジは見かけは人間と全く変わらない。だから私の屋敷に置き、そして教育させた。セイボルとは兄弟のように仲良く育った。私に魔術の役職がついてか ら、私は屋敷を留守することが多くなってしまい、セイボルも侯爵という地位を亡き父親から継承し、自分の屋敷を守っていかなければならなくなった。そこで バルジが、 森を守ることがもっと簡単にできるように屋敷を守る人材を集めた。本当に森にオーガがいるという前提で、自分達もオーガに扮して逆に商売にしようと吹き込 んだ。あの男達が森の勇者として人々を救っているようにしてるが、実際は自分たちで脅かして、お礼をせしめているだけだ。まあその方が退屈しないでいいだ ろうし、真実からも遠ざけられるから、実際のところいいアイデアだった」
 ジュジュは驚いていた。
「私はあの若い男達の前に出るのがいやで、私の代わりをセイボルにさせた。たまたま、私の若い時の肖像画がセイボルに似ていたので、皆も主がセイボルだと すぐに信じた。私はこっちに戻ってくる時は、このオーガの家に滞在している。だが時々マーカスとの約束があって、そっちに戻らなければならないことがあ る。その時は秘密の抜け道を利用してセイボルと交代し、そして決して人にわからないようにマーカスと会っていたというわけだ」
 ジュジュはようやく、あの屋敷の秘密を知り、いろんなことが氷解した。商売の部分を隠してたから、後ろめたくて罪悪感も感じていたのだろう。思い出せば皆の言動から思い当たる事がいくつかあった。
 セイボルの存在があり、リーフと仲が悪いと思わせたのも、セイボルがあの屋敷に出入りしていた事を知る者が街にいて、存在を隠しきれず、だから二人が出 会わないことがおかしくならないように予防線を張っていた。嫌っている者同士なら避けあうのが当然だ。ただ顔が同じになるが、それは尤もらしい嘘で固め、 そして魔術があれば同じ顔をしてても誤魔化すのは容易い。
 セイボルはリーフとなって役柄を演じていたから、わざと冷たいフリをしていた。時々優しさがのぞいたのは、セイボルとしての地の部分が出てたからだった。
 ジュジュが、セイボルとリーフを混同したのも、自分では気付かなかったが、本能の部分で同じ人物だと思っていた。モンモンシューはすでに同一人物だと分かっていたから、リーフに扮してた時もセイボルとして接していたに違いない。
 それに気がつかなかったから、モンモンシューはジュジュに失望していた。
「これで知るべき事の事実はまず一段落ついただろう。さあ、中に入ってセイボルに会うがいい」
 オーガが家のドアを開けると、温かな空気が肌に触れた。最初に台所とダイニングルームが一緒になった広々とした空間が広がり、とても居心地のよい雰囲気がした。
 そこを抜けて奥へ入れば暖炉があり、そして同じようにその前にソファーが設置されていた。セイボルはその暖炉の前で横たわって寝ていた。
 すでにオーガから応急処置をされ、様子は安定してそうだった。
 暖炉の火が突然パチッと爆ぜ、ジュジュが振り向くと、そこにも肖像画がかけてあった。それは儚さを添えた美しさがある女性の絵だった。プロが描いた絵ではなく、抽象的な感じがする。それでも温かでジュジュはその絵が気に入った。
「その絵か。それはオーガが描いた絵じゃ。中々いい味がでてるだろ」
 リーフの説明だけで、誰を描いたかすぐに分かった。
 そしてふと、自分がここに来たことがあるのではないかと思う。
 その時リーフはニコッと笑みを向けた。
「話によると、ジュジュは昔この森で助けてくれた人を探しにきたそうだな」
「はい、そうです」
「そして、その助けられた者が好きになったらしいな」
 これにはジュジュははっきり返事が出来ず、モジモジしていた。
「その助けた奴というのは誰だかわかったのか?」
 少しだけ意地悪っぽくにやついた笑みが、リーフの口許に現われている。
 マーカスがジュジュに助けられた話を洩らしたあの時、この目の前のリーフがマーカスにそのことを話していた。ジュジュはここで誰に助けられたか聞きたくないような気になった。
「多分……」
 はぐらかしたくなる。
「あの時、オーガがジュジュを見つけた。オーガはなんとかジュジュをあの危険地域から追い出したかった。ところが、ジュジュはそれに反してどんどんと行っ てはいけない方向へ進み、結局は裏目に出てしまいあんな事故が起こってしまった。オーガはなんとかしたいと、助けを求めにこの家に居た者を呼び出した。そ れがセイボルだ」
「えっ?」
「もしかして、私かと思ったか? あの日は、マーカスと会う約束をしていて、私は屋敷にいてセイボルがここで暇つぶししてたんだ」
 ジュジュは思わずセイボルに振り返った。
 寝ていると思っていたセイボルは、すでに起きていて静かに横たわっていた。トレードマークになっていた長髪はなくなっているが、髪が短くなってもそれはもうリーフでもなかった。そこには少し恥かしげにはにかんでるセイボルがいた。
 ジュジュはセイボルに近づく。セイボルは益々照れたような、苦笑いになったような顔をして、モジモジしている。
「やあ、ジュジュ」
「セイボル……」
 ジュジュの目から涙があふれ出る。そして無我夢中でセイボルに抱きついた。
 セイボルは痛みでうっと呻くも必死で我慢していた。
 リーフはそれを見て、愉快に笑ってはオーガを引っ張って外に出て行った。静かにドアが閉まる音が聞こえる。
「ジュジュ、嘘ついて騙してすまなかった。本当の事を言いたかったけど、それができなかった」
「セイボルがリーフを演じてたなんて、なんだか二人の間で悩んでたことが私も恥かしくなるわ」
「ジュジュはセイボルとリーフのどっちがよかったんだ」
「どっちも同じ人なのにどうして気になるの?」
「私はセイボルとしてジュジュに好かれたかったんだ。私が演じたリーフはイリュージョンに過ぎない」
「それじゃ、もしどっちも好きになってしまったって言ったら、セイボルは怒るの?」
「えっ、それは」
「だから、セイボルはセイボルで優しく、そして時にはリーフのように荒々しく大胆になって欲しいわ」
 ジュジュの言葉はセイボルに火をつけた。無理に起き上がり、そしてジュジュの唇を奪うようにしてキスをする。
 ジュジュはそれに自然に応えた。
 キスを終えた後、ジュジュはセイボルに言う。
「なんでもっと早くキスを奪っててくれなかったの? そのせいでファーストキスはカルマンに奪われちゃった」
「えっ、あいつジュジュにキスをしたのか。許せない。イタタタタタ」
 興奮して傷口に力をいれてしまった。
「セイボル、大丈夫」
「大丈夫じゃない。でも一つだけ大丈夫なことがある」
「えっ?」
「ジュジュのファーストキスは昔に私がすでに奪ってた」
 ジュジュは何の事かわからずキョトンとしていた。
 事故後、ジュジュをソファーに寝かして様子を見ていたあの日、セイボルはエボニーから貰ったスケッチ画そっくりの女の子の出現ですでに心奪われ、そして寝ていることをいいことに、ジュジュにキスをしてしまった。
 スケッチ画は今にも飛び出してきそうに、ジュジュが生き生きとかかれ、それがとても魅力的だった。
 そんな絵を毎日見ているうち、実際に本物が現われた時はセイボルは驚いた。絵で見たとおりの女の子が目の前で眠っていると思うと、気がついたらキスをしていた。
 セイボルはそれからジュジュに夢中になり、ジュジュの誕生日パーティでは是非とも自分が選ばれなければならなかった。
 だからこそ意気込んで、気合を入れていた。
 セイボルは正直に全てを話し、自分の姉のエボニーも一役買っていたことを伝えた。
「そうだったの。エボニーまで」
「ジュジュ、エボニーの事許してやって欲しい」
「もちろんよ。エボニーは私のお姉さんになるかもしれないんですもの」
「ジュジュ」
 二人はクスクスと笑いあい。そして手を取り合って固く握り合っていた。
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