第四章


 バルジはリーフに付きっ切りで看病し、暖炉の火も絶やさずに薪をくべる。
 ジュジュも側に居たいと言ったが、大丈夫だからと、部屋で休めと言われてしまった。マスカート、ムッカも部屋で休むことを勧められ、ラジーもムッカの部屋で一緒に休むことにした。
 モンモンシューだけが、リーフの側に居ることを認められ、リーフの肩辺りに丸くなって寝ていた。
 しかし、結果的にはそれでよかったかもしれない。
 ジュジュは夜が明ける前に銀メタルを手にして屋敷を飛び出し、カルマンの小屋を探す。
 薄暗い方が光がよりはっきりと見え、カルマンの説明した通りの赤い光が現われ、行き先を示してくれた。それは木にかざすだけで簡単に分かるようになっていた。
 ジュジュは順調に進み、やがてこの森の中でも一際幹の太い大きな木がある場所に出てきた。
 その辺りの木に銀メタルをかざしても、方向を示す光は出てこない。ここがカルマンのいう小屋のある場所を意味していると思ったが、どこにも小屋がなく、ジュジュは戸惑ってしまった。
「カルマン、カルマン」
 ジュジュが声を出せば「えっ、ジュジュなの? 来てくれたの?」と明るい声が返って来た。
「カルマン、どこにいるの?」
「僕はここだよ」
 カルマンが大きな木の上から顔を覗かしているが、どうみても不自然に首だけしか見えない。
「この木の上はイリュージョンになってて、実際の姿と異なって見えるの。この木の裏側を見て、そこから入れるようになってるから」
 ジュジュがぐるりと回りこんでも何も代わり映えがなかった。だが、その数秒後に、突然足を引っ掛けるツッパリが木から飛び出し、木の幹にそってぐるぐると螺旋階段のようにそれらが上に向かっていた。
 ジュジュはびっくりしながら、一段一段それを上っていくと、一定の高さが過ぎたところで、いきなり小屋が現われた。
 上まで上りきった時、ドアが開いて、にこやかにカルマンが迎えてくれた。
「ジュジュ、嬉しいよ。ここに来てくれて。僕、ずっと待ってた。ジュジュなら絶対来てくれるって信じてた。さあ中に入って」
「カルマン、ここは一体」
「ふふーん、びっくりした? この小屋は外からは見えないようになってるんだ。早い話がイリュージョンなんだけどね。人の目には木にしか見えないようになってるんだ。木が持つ本来の力が誇張されてるんだ」
「イリュージョン……」
 それはセイボルも言っていた言葉だった。
「そんなことより、早く中に入って」
 ジュジュは恐る恐る小屋の中に足を踏み入れる。コテージのように丸太が組み合わさって出来たその小屋は、天井が高く、とても開放感があった。
 だが、ごちゃごちゃとしたものが所狭しと飾られ、ラジーが言っていたように異様な雰囲気がする。研究室のような、解体所のような、はっきりいえば、不気味だった。そこで一際目立っていたのが、いつかカルマンから貰ったことのある赤いバラの鉢だった。
「カルマン、ここで一体何をしてるの」
「前にも言ったでしょ。僕はマッドサイエンティストだって。ここで色々魔術について勉強してたの」
「魔術?」
「そう、黙ってたけど、僕は赤魔術を操る魔術師さ」
「カルマンが魔術師?」
「でも僕の場合、科学者でもあるから、新しい魔術を開発中なんだ。それでどうしてもある呪文書が必要だったんだ。それはリーフの書斎にあったから、それをこっそり手に入れるために、昨日の騒ぎをラジーに起こしてもらったって訳」
 あまりにもあっけらかんと言うので、ジュジュはなんだか腹が立って、足が震えてくる。それを今は必死に押さえるので精一杯だった。
 ここで怒っても、カルマンには何の効果もない。ジュジュは辛抱強く耐えた。
「それでさ、早速試そうとその本を見たんだけど、ほらこれ見て、全部真っ白。何も書いてないんだ。僕、がっかりだよ」
 ジュジュはその本を手渡され、パラパラと捲ってみた。ジュジュの目にはびっしりとした文字が書き込まれているようにしか見えない。
「これが白紙? えっ、ちゃんと字が見えるけど」
「うそ、ちょっと貸して」
 カルマンはまた本を手にしてパラパラとページを捲った。でもカルマンにはどうやっても白紙にしか見えない。
「なぜ、ジュジュには見えて、僕には見えないんだ」
「私には魔術がかからないからよ」
「なんだって。ほんとに?」
 ジュジュは頷く。
「そっか、道理であの時、上手くいかなかったんだ」
「あの時?」
「ジュジュにバラの花をプレゼントした時さ。あのバラにはジュジュが僕に夢中になるように魔術を仕掛けていたんだ。だから僕はジュジュに迫ったんだ。言っ ただろう。僕は自信があって、試してみたかったって。なーんだ。それでだったのか。そっか、あの時チビが僕にくっ付いていたのは、チビに魔術が掛かってた んだな。それで離れなかったんだ」
 あの時の奇妙な行動の辻褄が合った。
 それでリーフはあのバラが怪しいと感じて、踏みつけたに違いない。そのお蔭でモンモンシューがカルマンから簡単に離れた。
 ジュジュはリーフに対して誤解していた。やっぱり考えなしには変な行動をする人じゃなかった。
 それなのに最初は怖い人だなんて勝手に思ってしまった事が悔やまれる。
「ねぇねぇ、ジュジュ、僕の助手になって。そして新しい魔術作りに協力して。ジュジュがその本を僕のために読んでくれないかな」
「カルマン、この本のせいで、リーフがナイフで刺されたのを知ってる? とても深い傷なのよ。なんとか一命を取り留めたけど、もし一歩間違えてたら危なかったのよ」
「へぇ、ラジーはそんなに深く刺しちゃったんだ。手加減ぐらいすればよかったのにね」
「カルマン! どうしてそんなに軽々しく言うの? ラジーは言ってたわ、刺すつもりはなくて、勝手に手が動いたって。もしかしたら、それってカルマンの魔術のせいじゃないの?」
「うーん、そうかもしれないな。ある程度補助として、手が動き易くなるようにナイフに呪文掛けといたからね。だけど、刺したのはラジーだ。ラジーが加減をしなかったのが悪い」
「違うわ。一番悪いのは、この計画を立てた人よ。それはカルマンあなたでしょ」
「ジュジュ、そんなに怒らないで。ジュジュとは言い合いしたくない。僕はジュジュが大好きだし、将来結婚したいって思ってるんだ。僕は必ず魔術界のトップ に君臨するんだ。僕の魔術は魔術者たちが誰も立ち向かえないようなすごいものなんだ。僕色々研究して、すごい魔術を開発したんだ。それで後一歩で完成す る。この呪文書の呪文がどうしても必要なんだ。お願い、ジュジュ手伝って」
「いやよ。どんな危険な魔術かもわからないのに、そんなの手伝えない」
 その時ジュジュはハッと気がついた。モンモンシューに矢を放ったのはもしかしたら──
「ジュジュって意外と強情なんだな。もっと素直でかわいい人だと思ってたのに。初めて会ったときからずっと好きだったんだよ。あの時も君を抱きながら、魔術を掛けてたんだけど、道理で効かなかったわけだ」
「ねぇ、私と初めて会った時のあの日、空にドラゴンが飛んでなかった?」
「ああ、飛んでた。この小屋からそれが見えたから、それで試しに矢を放ったんだ。あんなに大きいドラゴンが落ちたらすぐに分かるのに、どこにも居なかったから、当たらなかったみたい。ジュジュもそのドラゴン見えてたんだ」
「その矢で、ドラゴンを殺そうとしたの?」
「うん、そうだよ。でも失敗だった」
 ジュジュはこの時ほどカルマンが憎いと思わずにはいられなかった。リーフが危うく命を落としそうになり、モンモンシューも殺されるところだった。
「カルマン。あなたは間違ってるわ」
「えっ? どうしたのジュジュ、なんか震えてるけど」
 ジュジュは我慢の限界で、カルマンの頬を思いっきりひっぱたいた。
「何するんだよ、ジュジュ。いきなり叩くなんて酷いじゃないか。なんでジュジュに叩かれなくっちゃならないんだよ。ジュジュがそんな酷い女だなんて思わなかった」
 ジュジュは呪文書をカルマンから引ったくり、それを持って小屋を飛び出した。
「あっ、ジュジュ! くそっ」
 ジュジュはカルマンに反省させて、自らみんなに謝らせるつもりでいたのに、感情が高ぶって冷静になれなくなった。
 一番最悪な方法を取ってしまい、カルマンを怒らせてしまった。
 ジュジュは急いで木からおり、森の中を走る。
 カルマンも後から血相を変えて追ってきた。
「ジュジュ、待て! その本を返せ」
 カルマンが魔術を使ってもジュジュには一切効かないが、森の中で追いかけられることに魔術は関係なかった。足元が覚束ず、木の根っこに時々引っかかってしまう。
 注意して走っていたら、速度が落ちて簡単にカルマンに追いつかれてしまった。手を掴まれ、逃げ場を失う。
「ジュジュ、その本を返せ」
「いやよ。渡さないわ。どうせ読むことができないのなら必要ないでしょ」
「ジュジュは分かってないな。僕はジュジュを思い通りに操れるかもしれないのに」
「私に魔術は効かないわ」
「ううん、僕の魔術は普通の魔術とは違う。科学の力が混じってるんだ。純粋な魔術じゃなければ、魔術に抗体がある人間にもきっと使えるはずだ。因みに、今試してみようか?」
「嫌よ。もし失敗して副作用があったらどうするのよ」
「副作用? 考えた事もなかった」
「あなたが、あの日矢を放ったドラゴンは、その副作用で小さくなったわ」
「えっ、小さくなった? 小さく? えっ、もしかしてチビがあの時のドラゴン? あれは僕が小さくしたのか」
「モンモンシューを元の体に戻して」
「ちょっと、待って、チビがあの時のドラゴンなら、ジュジュはどうしてドラゴンと一緒に居られるんだ。ドラゴンと一緒に居られるのは、天空の国のロイヤルファミリーだけだ。まさか、ジュジュは王女様なのか」
「そんなのどうでもいいでしょ」
「どうでもいいことある! すごいよ、ジュジュ。僕達は運命だったんだ。いずれ魔術界のトップになる僕。いずれ天空の国の女王になるジュジュ。こんな最高の組み合わせなんてないじゃないか。僕たち最強のカップルじゃないか」
 どこまでも夢見心地に、自分が悪いことをしている自覚もなく、常に独りよがりで周りの事を考えないカルマン。
 この時もジュジュが嫌がってる気持ちなど全く無視して、自分がジュジュと結婚できると信じている。何を言っても通じないそのご都合主義にジュジュはカルマンが恐ろしく思える。
「私はあなたの事など全然好きじゃないわ。いい加減にして」
「ジュジュは僕の事好きになるよ。絶対好きにしてみせる」
「魔術なんか使っても、絶対に掛からないんだから」
「そんな手はもう使わない。ジュジュが僕に惚れるには、僕の魅力を分かってもらえばいいだけさ」
「一体何をするつも……」
 カルマンはジュジュを引き寄せ力強くぎゅっと抱きしめる。不意をつかれてジュジュはびっくりし、その後、心の準備もないまま、カルマンはいきなりキスをしてきた。
 頭を強く押し付けられ、カルマンはジュジュの唇を離さず深く濃厚にキスをする。
 ジュジュは口許を強く押さえつけられ、声も出せずに、されるがままになっていた。
 必死に抵抗するも、好きな人のために守ってきたファーストキスを簡単に奪われたことがショックで、最後には力が果てた。
 涙だけがしきりにでてしまい、悲しくて仕方がない。
 やがて無理に抵抗しなくなったジュジュに気がつき、カルマンはキスを中断してにやりと笑みを向ける。
「ねっ、言ったとおりだろ。ジュジュは僕に参ってしまったのさ」
「違う、違うわ。あなたなんか、あなたなんか……」
 ショックが強すぎて、震えながらジュジュは取り乱して泣いていた。無駄な抵抗とわかっても、ジュジュはカルマンから離れようと暴れるが、体に力が入らなかった。
 水にあげられてやがて大人しくなっていく魚のように、ジュジュの動きが静まった。
「これで、ジュジュは僕のものだ」
 どんなに嫌がっても、自分のいい様にしか考えられないカルマンの異常さが、この時ジュジュを恐怖に陥れた。
「さあ、ジュジュ小屋に戻ろう。そして契りを結ぶんだ。そして僕達は夫婦になる」
 ジュジュはカルマンに軽く抱きかかえられた。
 カルマンの意味していることが、後からわかった時、顔を青ざめた。 
inserted by FC2 system