第四章


 ジュジュは抱きかかえられても、手に持っていた本でカルマンを叩き、抵抗する。
「痛いじゃないか、ジュジュ」
「下ろして。離して」
 どうにかして逃げなければならない。そう思った時、とっさの機転で、ジュジュは持っていた本を投げた。
「あっ、何をするんだ。しっかり持ってなくっちゃだめだろ」
 カルマンがジュジュを抱いたまま、その本を取りにいくと、夜明けが近づく薄明かりの中、黒い馬が森の中を掛けてこちらに向かってくるのが目に入る。長い髪を風になびかせ、鋭い目をしてカルマンに近づいてきた。
「セイボル!」
 ジュジュは思わずその名を呼ぶ。
「ん、もう。なんで邪魔が入るんだ」
 カルマンは顔を歪ませる。
 セイボルは馬を降り、カルマンを睨みつけた。
「ジュジュから離れろ」
「どうして? 僕たち恋人同士なのに」
「カルマン、お前は異常過ぎる。ジュジュを離すんだ。そしてこの森から去れ」
「嫌だよ。ジュジュは僕のものさ」
 カルマンは木の枝から垂れていた蔦に指を向けると、それがニョロニョロと伸びだし、それを使ってジュジュを巻きつける。蔦は生き物のようにジュジュの体を縛りつけ、そして引っ張り上げた。ジュジュは枝に吊るされてぶら下がった。
「ジュジュに何をするんだ」
「こうやって逃げないように置いておくだけだよ。それより、早くセイボルをやっつけなくっちゃ。黒魔術とやらを見せてもらおうか」
「魔術で戦っても意味がない」
 セイボルは腰の剣を抜いた。
「ふーん、普通に剣で対決か。別にいいけど。僕結構、強いよ」
 カルマンも腰の剣を抜いた。
「お前はどこまでも強気で、自分を買いかぶりすぎる傲慢な奴だ」
「そういうセイボルも、侯爵という地位と魔王という名に溺れて粋がってるだけじゃないか。本当は弱いくせに」
 セイボルが先制の攻撃を仕掛けた。カルマンはそれを瞬時に受け、跳ね除けた。
 ただのハッタリではなく、カルマンの剣の腕は悪くはなかった。
 剣がぶつかり合う鋭い金属製の響きが激しく飛び交う。すれすれのところでお互いの剣を避け、どちらも互角に戦っている。
 ジュジュはセイボルを案じて、ハラハラしてしまう。時々セイボルが何気ないところで、バランスを崩しよろけるからであった。
 セイボルの動きがおかしい。脂汗を掻き、顔をゆがめている。
 それに比べてカルマンは涼しい顔で、疲れてもいなかった。
「セイボルってやっぱり見かけ騙しだね。リーフがなんで鬱陶しがるかわかったような気がする。自分と同じ顔を持ち、名前だけは立派で中身がない男だからイライラするんだろう」
「うるさい」
「だって本当のことじゃないか。剣の腕だって大したことない。こんな初歩的な戦いで、すでに息があがるって余程体力がないよ」
 悔しさが顔に現われ、汗も無駄に流れていく。カルマンの指摘通りだった。
 ジュジュがぶら下がって、悲壮な顔でセイボルを案じている。それを見るとセイボルの精神が高まってくる。
 絶対に負けられない、ジュジュを守らないといけない。自分の命に代えても。
 セイボルの気迫が燃え滾る。突然突進し激しく動き、先ほどと全く違い剣の捌きにキレがでる。
 カルマンもなんとか受けてかわすが、それはやっとの思いで、バランスがくずれて攻撃まで仕掛けられない。遊び気分だったカルマンの目が真剣みを帯び、そこにやられるかもしれない不安がよぎった。
 自分の能力を絶対に否定しないカルマンが、セイボルの剣の捌きに危機を感じた。
「くそっ!」
 カルマンも俊敏な動きで、セイボルに剣を振りかざす。その時セイボルの目が鋭さを増すと共に、その剣を弾き飛ばした。
 カルマンの剣は宙を舞い、離れて地面に刺さった。
 カルマンは咄嗟にそれを取りに行こうと動くが、セイボルの剣がそれよりも先にカルマンの喉元に向けられた。
 カルマンはこの時、敗北を感じ、得意の毒舌で奏でる言葉すら出てこず、喉が上下にゆっくりと一度動いただけだった。
「カルマン、覚悟するんだな。それとも、自ら敗北を認め二度と姿を現すことなく、ここから出て行くと約束するかだ」
 カルマンはぐっと体に力を込め、恐れを持ってセイボルを見つめる。
 その時、セイボルが呻き声を上げ、苦しみだした。セイボルの横腹から染みが黒くじわりとにじみ出し、そしてセイボルは両膝を落として地面に崩れた。
「セイボル!」
 ジュジュは体をくねらせて、蔦に絡まりながら暴れていた。
 一体何が起こったのか。ジュジュはカルマンに叫ぶ。
「カルマン、卑怯よ。魔術を使ったんでしょ」
「えっ、僕、使ってないけど?」
 カルマンも目の前で腹を押さえ込んでうずくまるセイボルに虚を突かれて暫く見ていたが、ふと邪悪な笑みが出てきた。
「セイボル、もしかしてお前は」
 カルマンがセイボルの髪を引っ張り上げた。その髪はすっぽりと取れてしまう。
「やっぱり」
 ジュジュは目を見開き、自分が何を見ているのかわからなかった。長い髪がなくなれば、それはリーフになってしまう。
 頭が働かないでいると、カルマンが代わりに答えを言った。
「リーフ!」
 ジュジュはこの時、傷口から流れる血を見て、その事実を認めた。
「どうして、どうして、リーフがセイボルのフリをするの?」
 セイボルは、痛みよりも、嘘がばれてしまったことで顔を歪ませた。腹を押さえながら剣を杖にして立ち上がる。
「違う。私はセイボルだ。セイボルがリーフのフリをしていたんだ」
 ジュジュはその事実に声を失った。セイボルと会っていた時も、リーフと会っていた時も、どちらも同じ人物。
 あまりの衝撃でジュジュは何も言えなくなった。これにはカルマンも驚いてポカーンとする。
「一体、どうなってんだよ。僕たちがリーフと思っていた人物はセイボルだったって事? なんでそんなややこしいことをわざわざ」
 セイボルはジュジュを悲しげに見つめ、言葉にできない思いに瞳を揺らしていた。
「でも、どっちでもいいや。とにかく軍配は僕にあったってことだ」
 カルマンが自分の剣を拾い、それをセイボルに向けた。
「これで形勢が逆転したね」
「やめて、カルマン! セイボルに手を出さないで。お願い」
 ジュジュが叫んだ。
「でもセイボルは僕をやっつけようとして、ここから追い出すつもりだったんだよ。そんなの簡単に許せないよ。でもジュジュが僕と素直に結婚するなら考えてもいいよ」
「ジュジュ、カルマンのいう事を聞くんじゃない」
「黙れ、セイボル! お前こそ詐欺師じゃないか。僕たちを騙して、ほくそ笑んでたくせに。お前こそ、この森から出て行くべきだ」
 カルマンはセイボルを蹴り上げた。
「やめて、分かった。カルマンの言う通りにするから」
 ジュジュは泣き叫ぶ。ぶらぶらと体がゆれて、それが惨めで情けなく、もう全てがいやになってヤケクソになっていた。
「ジュジュ……」
 セイボルは自分の犯した罪に悔しさを募らせ、ジュジュに申し訳なく自分を呪った。腹の切り傷も焼けるように痛く、気が遠のいていく。セイボルは力果てるように地面に倒れこんだ。
「セイボル! セイボル!」
 ジュジュは狂ったように名前を何度も呼ぶ。
「カルマン、お願い、セイボルを助けて」
「えっ、手遅れじゃないの? もうこのままでいいじゃない」
 動かなくなったセイボルにジュジュは真っ青になり、叫び続ける。
「誰か、助けて! セイボルを助けて!」
 その時、シュッと風が一陣通り抜けた。
 カルマンがいきなり声をあげ、何かに驚いた。
「オ、オーガ!」
 突然目の前に姿を現した者は、厳つい体をし、目をぎょろりと向け、牙を持った怪物だった。
 それはカルマンを睨みつけ、咆哮する。その声は地響きがするくらい、体の中にまで振動する。
 カルマンは剣だけを前に構えるが、恐怖のあまり怯んで後ずさりする。
 オーガはセイボルに視線をやると、そこに近づき、セイボルを見つめる。
「いや、セイボルを食べないで」
 ジュジュの叫びも虚しく、オーガはセイボルを肩に担いで、素早い動きで去っていった。
「嘘、オーガって人を食べるの?」
「カルマン、お願い、セイボルを助けて。あのままじゃ、本当にオーガに食べられちゃう」
「もういいんじゃないの。これで証拠隠滅。セイボルもリーフも姿が消えて、全ての真相は闇の中のミステリーってことで」
「何を言ってるの」
「やっぱり僕ってついてるんだ。これって魔術界の頂点に立てというサインだ」
「何が、魔術界の頂点に立つだ!」
 突然怒りの声が雷を落としたように聞こえ、カルマンはびくっとした。
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