懸賞  Sweetstakes

第一章

1 

 ──あーついてない。
 これがいつもの私の口癖。
 私、どこにでもいるような普通のOL、名前は平恵。平等にそれなりに恵まれるようにとつけられた。だけどヒラエって、なんかその辺のものを「拾え」って いわれてるようであまり好きじゃない。名前からしてついてない。

 特技──これといって人にさらけ出せるほどの能力なし。
 容姿──これまた普通? 自分ではわからない。人それぞれの好みもある。もしかしたら私でもかわいいと言ってくれる人はいるかも …… と一応言っておこう。太ってもなければ痩せてるとも言えない。ほんとにごく普通のそこら辺にいる女って感じ。だから好きに想像して。できたらかわい くね。
 趣味──昼寝、食べること、ダラダラすること。これは趣味というより本能だった。敢えて言うならちょことイラスト描きに映画鑑賞かな。
 彼氏──いない。付き合ったことはあるけど、この間別れたところ。他に好きな人ができたとか。それはそれなりに辛かったけど、今は面倒くさくなって、ま あいいやって投げやりな感じ。開き直ってるとでも言っておこう。ほんとはたまに悲しくて胸が痛いときもある。

 自分のこと紹介してたらなんか落ち込んできた。だから「ついてない」って口に出してしまう。このままではダメなのはわかっていて も、どこかやる気がなくて、成り行き任せの人生。そろそろ何かをすべきなんだけど。
 宝くじにでも当たればどんなにいいだろう。そしたらマンション買って、海外旅行に行って、エステに行って、きれいになって、彼氏も出来て、ばら色の人生 が送れるのにって夢見ているところ。夢持つだけはただだから。現実はそう上手くはいってくれない。仕事場のデスクに座ってちょっとあることをチェック。

 ──またはずれた。

 ロト6の紙がゴミとなってしまった。丸めてポイっとデスクの側に置いてあるゴミ箱に捨てる。時計に目をやれば5時15分前。あと少しで仕事から解放され る。首を横に振ってはポキポキと鳴らした。
 今夜は何を食べようかと、アパートの近所のコンビニの陳列が頭に浮かぶ。一人暮らしだからついつい夕食はコンビニで細々買ってしまう。自分で作るのも面 倒くさい。
 帰る前の気の抜けた瞬間だったはずが、同僚に声をかけられ突然現実に引き戻された。
「おい、平恵。例のあの書類だけど、あれちゃんとあそこに届けたか。期限今日までだったよな」
「あっ」
 私の驚きで、声をかけた男性社員の顔が引きつった。しまった。忘れてた。私は慌てて書類を引き出しから出した。メモ書きの付箋が表紙についている。
──1月30日 5時までに届ける。ちゃんと書いてあった。それがこの日。真っ青になる私。落ち着け落ち着けといわんばかりに、頭も真っ白になる。

 そうあれは今日のお昼のこと。届けに行こうと引き出しを開けたときだった。急な用事が入って、というよりそれは喜びに近かった。会社一ハンサムと異名を 持つ人のお手伝い。ついフラフラと受けてしまった。美しさに見とれながら側で仕事したのが悪かった。頭の中でその人を勝手に動かして妄想してたら現実逃避 行。自分の仕事のことすっかり忘れるくらいのめり込んじゃってた。終わっても暫く足が地に付いてないほどふわふわのいい気分。そこからぼうっとして今にい たる。夢に溺れた悲しきOL。
 私の顔が急に強張る。体の中からみなぎるパワーを出し切って、変身とスイッチ入れた。
「この近くの会社でしたよね。まだ間に合います。私今から行ってきます」
 コートを手にとり、寒空の下、全力速球で走る。気分は戦士、エイヤーと駆け抜ける。ヒールは低いが、走るには不向きな靴だった。ビルに挟まれた灰色のオ フィス街はお勤め帰りの人たちで溢れている。それを避 けるために機敏 に動こうと試みるが、バランス崩して躓いて、ドデーンと派手にこ けてしまった。痛い。ストッキングが破れ膝小僧から血が出ている。周りの視線も刺さって痛い。
「あーやっぱりついてない」
 気を取り直してまた我武者羅に走る。腕時計を見ればもう5時を過ぎていた。目的のビルにたどり着き、慌ててエレベータのボタンを押す。ハアハアと息が あがっていた。苦しい。しかもストッキング伝線しては、膝から血が垂れている。見苦しい。
 一つ一つ階があがる。階の数字を示すボタンのライトが移動する。のろいと、いらいらしてじっと睨みつけていた。
 目的の階についたとき、焦りと緊張で体が干からびてしまい、ミイラの気分だった。ゼイゼイ息をしながらその会社の受付に猪のごとく突進した。
「遅くなって申し訳ございません。今日は書類を届けに参りました。まだ大丈夫でしょうか」
 乱れまくった私の姿に受付の女性は引きつった笑顔で体が引いていた。自分がどれほど恐ろしい姿だったか想像できた。
「少々お待ち下さい」と受付は電話を掛けている。もう気が気でならない。時計はとうの昔に5時を回っていた。
 受付の女性が電話を切ると申し訳なさそうに私の顔を見る。
「申し訳ございませんが、係りのものが申しますには、遅すぎるということで、あのその」
 受付の人が対処に困っている。これはまさしく拒否のサイン。
 がーんと私の顎が落ちる。顔に縦線が何本も入るよう。いや、自分でペンで描きたくなった。偉いことになってしまった。この書類を受け取って貰えないとい うことは、私の責任で何もかも水の泡。ぞーっとする感情が背筋を走 り、頭に雷が落ちた気分だった。真っ黒こげこげ、燃え尽きた。その場でフラーっと灰の塊が崩れるようにしゃがみこむ。受付の人が心配して立ち上がると、は ずみで受付に置いてあった置物が私の 目 の前に落下してきた。
 その時私は咄嗟に受け取った。
「あっ、危ない。これまで壊れたらえらいことになる」
 立ち上がり、私は置物をそっと受付のデスクに置いてやった。その置物はふてぶてしい太目の黒猫の姿をしている。ちょうど手のひらにすっぽり収まるサイズ だった。お腹に「幸運」という漢字が書いてある。──変な猫…… と思ったが口には出さず、それよりもその漢字の意味にすがりたい気持ちになった。
 ──お願いどうか助けて。こうなれば神頼み。何でも拝めと、心の中で強く念じる。
「お願いします。遅れたことは謝ります。どうかもう一度、取り次いで頂けませんか。お願いします」
 土下座したい気分だった。受付の人は私に同情してもう一度電話をかけようとしてくれた。
「君、大丈夫かね。足を怪我しているようだが」
 誰かが後ろで私に声をかける。振り向くと同時に受付の人が反応した。
「お疲れ様です、社長」
 この人がこの会社の社長。私はあたふたして背筋がピーンと伸びた。どっしりとした体つき、高そうなスーツ、ぶっとい薬指には金の指輪が光ってる。貫禄バ リバリのオーラーが漂っていた。私には目を細 めるほどまぶしく見えた。
「その制服はあそこの会社の社員さんだね。そう言えば仕事を頼んでいたね。これがその書類かい?」
「あの、すみません、今日までと期日がありながら、こんな時間になってしまって」
 社長は書類の封筒を手にして中を覗いた。軽く驚きを交えながら、納得するように何度も首を縦に振ってはうんうんと唸っていた。
「なかなかいい出来じゃないか。ちょっと時間には遅れたかもしれないが、今回は受け取らせて貰うよ。その姿をみたら必死でここまできてくれたのがよくわか る。それに免じよう」
「ありがとうございます」
 もう泣きそうだった。社長はその後仕事があるからとオフィスの中に消えていった。ずっと社長の後ろ姿を涙目でみては手を合わせ、私は拝んでいた。ベンベ ンとBGMに三味線の音が聞こえてきたようだった。
「あの、そこまでしなくても」
 受付の人に突っ込まれる。
「よかったですね。私もほっとしました。足、怪我してるようですが、これをお使い下さい」
 受付の人から絆創膏を貰った。またその優しさが嬉しくて私のまつ毛がじわっと濡れ出した。鼻水もつーっとでてきた。受付の人にお礼を言って、そしてそこ にあった黒猫の置物にも一 応お礼を言っておいた。ご利益があったのはそれのお陰かもしれないと思ったからだった。
 なんとか乗り越えた。その日は初めて違う言葉を私は口にする。

 ──なんてついてるの!

 足は膝小僧が少々痛むが体は軽やかだった。会社の帰りふわふわっと浮くように歩いて、コンビニでエビフライ弁当を選び、ちょっと奮発してチョコケーキも 買ってみ た。体も甘いもの注入 してスィートな気分を全身で味わいたくなった。
「さてと、テレビでも観ながらささやかな晩餐とでも行こうか」
 8畳くらいのワンルームマンション。小さいが一人で住むにはいいお城。
「いただきま── 」
 といいかけたとき、ドアベルが鳴った。訪ねてくるような友達などいない。ドアの覗き穴からみれば、宅急便なのか箱を抱えて男が立っていた。どちら様かと 一 応聞いてみた。
「お届け物です」
 実家からかもしれない。ドアを開けて「ご苦労さま」と言って荷物を受け取る。宅急便の男の人が一言言って逃げるように去っていった。
「幸運を祈ります」
 ──えっ? なんか変な人。
 箱を部屋に持ち込む。両手で持てるくらいの大きさ。なんか重い。揺らせばがさがさ音を立てている。明るいところでよく見れば、黒猫のシンボル絵が描か れている。その下に会社 の名前──。
「黒猫トマト? えっ? ヤマトじゃなくて? どっかのパクリな宅急便会社?」
 送り状を見れば、差出人の住所が書かれていない。ただ名前があった。
「運子猫? えっ、ウンコネコ? 読めばウンコみたいな響きじゃないの」
 誰かのいたずらか、不審物か。急に不安が押し寄せたと同時に箱から声がした。
「何がウンコネコじゃ、早く開けろ!」
「えっ、何、箱がしゃべった。気持ち悪い」
 あまりにも怖くなって箱を投げてしまった。ガタゴトと鈍く床に落ちる。
「アホか、俺を殺す気か。しゃーない自力で出るわ」
 箱の中からバリバリと引っ掻く音がする。逃げようと玄関に向かって靴を履いた。ドアに手をかけたが、箱の中身が気になり振り返る。
 ──怖いけど、見たい。見たいけど、怖い。何が入ってるんだろう。
 逃げる準備をしながら、私は箱の様子をじっと伺っていた。
 そして箱が破られてそれが出てきた──。

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