懸賞  Sweetstakes

第三章

8 運がついてきた?

 朝、会社に出かけようと靴を履いているとき、ふと前日の部長の言葉を思い出しブラッキーに一言声をかけた。
「あっそうだ、ブラッキー、今日は残業で遅くなるんだ」
「ふーん。もしかしてほんとはデートちゃうんか。今日はバレンタインデーやし」
「えっ、あっ、そうか。すっかり忘れてた。義理チョコすら買ってない。部長に何かした方がいいかな」
「なんや、ほんまに男気ないねんな。そっちの願い叶えたろか? 彼氏できるようにって」
 私はその願いもいいかなと思ったが、ブラッキーは何かと不幸を呼び込むと思うと、変な男が寄ってきそうな気持ちになって断った。
 ブラッキーは私の心を読んだのか、ちょっと不服そうだったが、それを無視してさっさと家を出た。

 コンビニで適当に部長のためにと義理チョコをもしものためにと買っておいた。適当な値段で小さい箱入りのチョコレートを購入し鞄に入 れて出勤する。そしてもう一つ懸賞で当てたチョコレートの電卓も入ってる。嬉しくなって持ってきてしまった。

 会社に着くなり美咲が絡んできた。美咲の手には小さな紙袋がさげてあり、そこに高いブランド物のチョコレートの名前が書かれていた。これをハンサムの君 の 花川俊介にあげるんだろうなと思いながら、どんな味のチョコレートなんだろうと私の方が食べたくなるほど、その高級チョコレートが気になった。
 ジロジロみていたのが誤解を与えたみたいで、美咲は急にライバル心をむき出しにしてきた。
「そうよ、平恵の思っている通りこれをあげるつもりなの」
「えっ、あ、そうなの。頑張ってね」
 深く考えずに言葉を発してしまった。それが気に入らなかったのか美咲は普段よりもきつい目で私を睨んだような気がした。
 花川俊介の仕事を手伝ってから、少しは親しくなったとはいえ、ここまであからさまに美咲に嫉妬心をもたれるとは思わなかった。
 私も彼に憧れているところは否定しないが、はっきりいって見てるだけで満足。そこのところを判って貰えないのが辛い。これからは花川俊介にあまりか かわらない方が自分のためだと思った。遠くから見て妄想するのだけはちょっと許して欲しい。

 この日は、チョコレートをあげる方も貰う方もそわそわしているような気がした。私だけ、部長の言っていた美味しいものがなんだろうとそればかり考えてふ わふわしていた。
 バレンタインなんてどうでもいい。
 そして仕事が終わると、思わず部長のデスクに駆け寄った。
「部長、準備オッケーです。仕事は何ですか?(美味しいものって何ですか)」
 仕事のことを口では聞きながら、頭では美味しいもののことが知りたくてたまらなかった。一人暮らしだと簡単なものばかりになるので、こういうときでもな いと美味しいものが食べられない。食べ物に気をとられて、この先に待ち構えていたものをこの時知るはずもなかった。
 部長について、会社の廊下を歩いていると、後ろから声がした。振り返ればあのハンサムの君が爽やかに走り寄ってきた。
「おお、花川君。急に無理を言ってすまなかったね。そうそう、こちらが平恵君といって、私の部下だ。彼女にも一緒に来てもらうことにした」
「彼女にはこの間仕事を手伝って貰って存じてます」
 花川俊介は私の顔をみてニコッと笑った。まさかこの人も一緒に行くとは思いもよらなかった。しかし仕事には変わりない。何か言われても口実はある。だけ ど知られたらまた妬まれるのが目に見えてくるようだった。想像しただけの女子たちの目がもうすでに怖い。
「そっか、それなら話は早い。それにしてもその荷物はもしかしてチョコレートかい?」
 花川俊介の両手にはチョコレートが一杯入った紙袋が下げてあった。その大きな紙袋の隣に美咲が持っていた袋もあった。
「花川さんってやっぱりもてますね」
 思わず口から出てしまった。
 花川俊介はどう答えていいのかわからないのか、悩んだ顔になってとりあえず愛想笑いだけ返してくれた。
「いいね、若いって。私なんて義理チョコももらえなかったよ」
 部長の一言で、自分もチョコレートを持っていたことを思い出した。しかも部長のために買った物だと思うと、急いで鞄から出して部長に差し出した。
「部長、すみません、忘れてました。安物の義理チョコですが、どうぞ」
「平恵君、君はいつもさっぱりしてるね。そしたら遠慮なく有難く頂いておくよ」
 部長は複雑な気持ちで苦笑いになりながら受け取った。
 花川俊介が隣で押し殺したような声で笑っている。
 つい慌てて部長に渡したけど、花川俊介にも何か渡さないとまずいだろうか。でももうチョコレート持ってない し、それにあれだけ貰ってたらいいか。だけど、目の前で部長にだけ渡すのもなんか気がひける。
 あれやこれやと考えているとき、チョコレートの電卓のことを思い出した。元はといえば、花川俊介がくれたチョコレートの応募券で当たったもの。これをあ げよう。
 私はチョコレートの電卓を取り出して、花川俊介に差し出した。
 花川俊介はキョトンとしている。
「これ、実は、この間頂いたチョコレートに懸賞の応募券がついていて、出したら当たったんです。花川さんがくれたものだから、よかったらこれ使って下さ い」
「えっ、いいのかい。これは面白い電卓だね。ありがとう。遠慮なく頂くよ」
 ちょっと惜しい気もしたが、意外と花川俊介が気に入ったので、まあいいかとにこやかにそれをあげた。
 食べられないとはいえ、見かけはチョコレートの形にはなっている。これもまた義理チョコになるのかなと考えていた。

 そしてこの後、部長の車に乗り、お得意先の接待へと向かった。そこは料亭の個室になっていて落ち着いた雰囲気がした。
 テーブルの上には普段食べられない料理がすでに豪勢に並んでいる。花川俊介が側に居たけど、私は目の前の豪華な料理の方に目を輝かせていた。
「平恵君、頼む、それとなく我が社の宣伝をしてくれ。今日は機嫌取りでお呼びしたんだ」
 部長が側で耳打ちする。これが仕事内容かと、おいしそうな食事を目の前におあずけをくらった気分で泣きそうになった。早く食べたい。
 目の前にはデンと冷たそうな顔をした、強面のおじさんが座っていた。その隣には秘書らしききれいな女性が居る。こちらも頭が切れそうで優秀にみえたが、 愛想笑いもしそうになかった。この状況でどうやって宣伝をしていいのか判らず、頭を悩ませた。
 部長が目の前の強面のおじさんにビールを注ごうと瓶を持とうとすると、女性秘書が先にとり、部長のグラスに注ごうとした。
 部長は申し訳なさそうにグラスを持ってその好意に甘えようとしたので思わず私が声を出してしまった。
「ああ! ダメです、部長!」
 全ての視線を一度に受けてしまった。だけどこれだけははっきりさせたかった。
「部長、お酒は飲めません。車の運転があるでしょ」
 この後駅まで送ってもらわねばならない。そんなときに飲酒運転されたらたまったもんじゃない。自分の命も危ない。ブラッキーが係わってるだけに、一回 の懸賞で当たっただけで交通事故ってことになったら恐ろしい。ブラッキーのことだから可能性は充分にある。
「平恵君、ここは付き合いだ」
 部長が焦りながら小声でいうと、私も、あっ、と我に返った。もしかして失礼に値する? ひゃーどうしよう。それでも飲んでもらっては困る。こっちだって 命に係わる。私も必死だった。
「それじゃ飲めない部長の代わりに私が代表して頂きます」
 私はグラスを手にして、差し出した。
 部長も花川俊介も唖然として見ていたが、目の前の強面のおじさんだけは大声で笑い出した。
「君、面白いね。しかもきっちりと物事を判っておる。なんかその潔さとさっぱり感が気に入った」
 そして辺りは急に和みだし、私も調子に乗って会社のアピールをこの時ぞとばかりにしだした。
 こうなったら波に乗るというのか、楽しい会話になってきた。花川俊介もチャンスだと、用意していた書類を見せて語り出した。ことはすべてスムー ズに進み私はやっと箸をとって目の前の料理にありつけることができた。
 途中で話はどうなったかわからなかったが、料理だけはしっかりと食べていた。
 そしてこの日の残業は無事終了。

 車の中で部長に思いっきり褒められ、そして花川俊介にも絶賛された。
「そんなことないです。今日はこんな美味しい料理が食べられて私はとてもついてました。部長ありがとうございました」
 部長も花川俊介もなぜか割れんばかりの声で笑っていたが、とにかく役に立って、美味しいものが食べられたのは私には一石二鳥だった。

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