第一章
3
開店と同時に店にはあっという間に客が取り囲む。
毎日来る常連もいて、そういう客はプレミアがつきそうな、今は手に入る事がないテレフォンカードや、市場に出回らないレアな非売品などを漁りに来る。
そういう価値がついて、お金になりそうなものも客は売りに来るので、目玉商品の一つとして取り扱っていた。
趣味の収集、お宝探し、オークションの転売など、様々な目的を持って客が来る。
氷室はうっとうしいといつも思いながら、そういう客たちを見て一日のスタートを切る。
即お金が欲しいと人は色々な物を売りに来て、それが売れるとならば店は買い取り、その種類も様々。
ありとあらゆるものが並べられていた。
慣れているものはどこに何があるかすぐに分かるが、初めての者には戸惑うことばかり。
初めてここに来たなゆみはどうしているのだろうと、氷室はちらりと様子を伺った。
店には制服を導入してるが、なゆみは入ったばかりでまだ支給されていない。
一人だけ浮いた格好で、緊張した面持ちで立っていた。
古株の上野原ミナがリーダーシップを取っている。
この店の女の子の中では一番の年上で25歳。
少しきついところもある性格だが、専務が採用した女の子よりかはよっぽど仕事ができ常識はあった。
なゆみのような粗野な女の子は、なかなかミナとは合わないんじゃないだろうかと氷室は分析していた。
なゆみは初めてで何も分からないというのに、意気込みだけはしっかりとしている。
素直になんでも「はい、はい」と元気よく返事をしては、言うことをしっかり聞いていた。
だが顔は不安げに強張っているところを見ると、相当無理をしているのが読み取れた。
それでも負けないで一途に働こうとしている姿が、氷室は嫌いではなかっ
た。
昼に社長がひょっこり顔を見せた。
その辺に居る親父とあまり変わらない風貌で、どこかネズミっぽい。
社長らしからぬ、ふんぞり返った態度はなく、たよりなさそうではあるが、ちょこちょことして常に何かを探しているような態度は商売するには長けていた。
あまりうるさく言わないところも、氷室にはやり易く楽だった。
あまり物事にこだわらないから、なゆみのようなタイプを気軽に雇ったのだろう。
これが専務だったら、絶対になゆみは断られていただけに、なゆみ自身運が良かったのかもしれない。
運が良かった? この店で働くことが?
なんだかその言葉が頭に浮かぶと変に自分の中の溝がくっきりし、違和感を抱いてしまった。
そのなゆみだが、面接を受けた知ってる顔が来たことで、礼儀を正して、元気に挨拶を交わしていた。
「おー斉藤さん、早速頑張ってるかね。制服明日には来るからね」
「はい、ありがとうございます」
深々と頭を下げている。
たかが4ヶ月なのに、そこまで律儀にならなくてもと氷室はコンピューターを前にしてキーボードをいい加減に叩く。
水たまりのような汚い水の中で、一人元気に泳ぐ無垢なクリオネを見ているようだった。
そういう自分は一体何に例えられるのか。
魚にもなりきれない、ただ漂う藻に思えてならなかった。
「氷室君、ちょっと」
そんな時、社長に呼ばれ、氷室はおもむろに立ち上がり、社長と一緒に控え室に入った。
「今度入った、斉藤なゆみ、宜しく頼むね。あの子8月一杯までなんだけど、9月から留学するんだって。話してたら、英語に対する情熱にうたれてね、どうせ一日ですぐ辞める子もいるから、期限付きで雇ってもたまにはいいかなって思ったんだ。なかなかいい子でしょ」
「は、はあ」
「話はそれだけだから、後はまたよろしく頼むわ」
簡単に話をして、社長はまた店を後にした。
相変わらず店はたくさんの客が囲っている。
冷やかしの客が多いのもこの店の特徴。
何か安いものが入ってないか見に来たくなるのも、いつもたくさんの商品が立ち代り入れ替わるから、好奇心をくすぐられる人間の性というものだった。
斉藤なゆみは朝の元気から、少しトーンダウンしているように見受けられる。
それでも客に声を掛けられ、接客を試みるが、初めての事で商品を把握してないから、ちんぷんかんぷんになっていた。
ちょうど周りの従業員たちは、それぞれの接客をして誰も助けを求められないらしい。
そして、切羽詰まって氷室のところへやってきた。
普段から女子従業員とは必要以上の会話をしない氷室は、誰の目にも話しかけにくい雰囲気のバリアーを張っているのが目で見える。
なゆみも朝、シャッターの前で初めて出会った印象ですぐにそれが見えたのだろう。
かなりおどおどして氷室に声を掛けた。
「お忙しいところすみません。あのお客様が飛行機のチケットの話をしていて、その……」
「で、行く先はどこなんだ?」
初めてで何も分かる訳がなく、自分でももっと優しくしてやれと思っているが、氷室はついいつもの調子になっていた。
「あっ、すみません。まだ何も詳しいこと訊いてなかったです」
なゆみは失敗して申し訳ないと縮みあがったように見えた。
氷室はコンピューターデスクからすくっと立ち上がり、客の所へといく。
そして接客用の作った声で、物腰柔らかく対応し始めた。
その対応のギャップの温度差が激しく、なゆみの目には自分が役立たずと思われているように思えた。
特にこの格安航空券販売に関してはややこしく、なゆみは泣きそうな顔になりながら、氷室の後ろでその様子を見ていた。
全てが終わり、なゆみは氷室に深々と頭を下げてお礼を言う。
言葉少なく、氷室はまたデスクに戻り自分の仕事に取り掛かっていた。
なゆみはすっかりしょげたのか、少し猫背で前かがみになっていた。
それでも客に呼ばれるとまた元気な声で返事をして、ハキハキと答える。
そして笑顔は忘れなかった。
そういえば、どんなときでも必ず笑顔を見せている。
氷室は、なかなか根性のある奴かもしれないと、少しなゆみを見ていた。