Temporary Love

第一章


 氷室は同じビルにある居酒屋で純貴と酒を交わす。
 会社を出れば二人は友達同士だった。
 忙しく調理する店員の姿をカウンター越しに見ながら、二人はジョッキを握って生ビールをぐっと飲んでいた。
 氷室の息がふーと漏れる。
 ビールを飲んで満足した気持ちではなく、どこかやるせなく不意に漏れた嘆きごとのように聞こえた。
「コトヤン、最近益々ふてぶてしくなったね。どうしてもっと楽しくしないんだ。俺みたいに気に入った子がいたら、声かけてみたらいいじゃないか。コトヤンは高校生のときは女の子に良くモテては俺よりプレイボーイだったろ」
「そっか? 忘れた」
「お前、大人になって性格変わったな。あれだけ野心に溢れていたのに、なんだこの差は?」
「だからそういうのを大人になったって言うのさ。もうガキじゃあるまいし、粋がってみても虚しいだけさ」
 氷室はまたビールを飲んだ。
 純貴は料理をつまみながら、聞いているようで聞いていなかった。
「ところで、あの新しく入った子。元気で気持ちいいけど、なんか女っ気ないな。高校生みたいでガキっぽい」
 女を品定めする癖のある純貴が言いそうなことだった。
 氷室も適当に聞いていた。
「まあ仕事はちゃんとしてくれそうだから、いいんじゃないか。どうせ8月一杯までだろ。あっという間に去っていくよ。そしていずれは俺たちの記憶からも消去される」
「まあ、そうだな。それにしても本店はもう少し色っぽいの入れないと、正社員の上野原と敷川は味気ないな。その点、アルバイトの美穂はなかなかだぞ」
「それが昨日の相手か」
「さあ、なんのことですか」
 わざとらしくとぼけているが、ばれているのは本人も自覚していた。
 そしてビールを一飲みして、その話は終わりだとリセットしたかのように見えた。
「コトヤンはずっと俺と一緒に働いてくれるのか。コトヤンが居てくれたら俺も心強いからな。なんせ頭はずば抜けて切れるし、器用だから店を任していても安心できる」
「お前もちょっとは仕事しろよ。いつかは社長だろ。しっかりしないと従業員ついてこないぞ」
「だから言っただろ、コトヤンがいるから安心できるって。お前みたいな優秀な社員を破格で雇えるのはほんとラッキーだった」
「何言ってんだ。こんな仕事誰だってできるし、誰がやっても同じさ。優秀社員が必要な程の会社かよ」
 馬鹿げたことのように言ってみたが、よく考えれば純貴の会社だった。
 馬鹿にしたと誤解されてはないかと、氷室は焦りながらジョッキに残った生ビールを一気に飲み干した。
「そうだよな。大した仕事じゃないよな」
 純貴は自虐したように呟いた。
 この話もまたこれ以上しては行けないとそれで終わった。
 二人は暫く思い出話をしては、学生時代の頃に戻っていく。
 若かりし頃の氷室。
 まだ世間など知らず、若さゆえに好きなことができて、思うように何でも実現できると信じていたあの頃。
 自分も認めるほど青二才だっ た。
 情熱を持った自分を回顧しているとき、ふとなゆみのことを思い出す。
 あの子はまだ20歳になったばかりだと言っていた。
 好きなことに一生懸命になり、その目標のために前向きでひたすら頑張っている。
 くじけないで笑顔を常に見せることができるのも、彼女の夢や希望がはじけてくよくよしている暇などないのだろう。
 あの笑顔だけは光を浴びているような気にさせられる。
 氷室はなゆみの笑顔を思い出しながら、空になったジョッキを見つめていた。
「もう一杯飲んでみようかな」
 氷室はなんだかぐっと飲み干したい気分に駆られていた。
 そして二杯目のビールを飲んだあとは、はじけたような息が喉の奥が突付かれたように出てきた。
 久々に味わうように、少し気分がよくなり、ビールが美味しいと思った瞬間だった。

 純貴のおごりだということで金を心配することもなく、すっかりほろ酔い気分に氷室はリラックスしていた。
 会社では専務だが、昔からの友達という立場は変わらない。
 女癖は悪いが、気前のいいところやあっさりとしたところは純貴の長所であり、氷室もそういう部分は好きだった。
 腹も満たされたとき、純貴に携帯電話がかかってくる。
 それがお開きのサインとなり、純貴はこの後用事ができたと笑っていた。
 それは浮気相手に違いなかった。
 そんなことはどうでもいいと、氷室は何も聞かないで礼を言って別れた。
 地下街から上に行こうとエスカレーターに乗って一階についた時、また英語交じりの会話が聞こえてくる。
 前方にはちょうど外へ出ようとしていた何人かのグループがドア付近に居て、そこになゆみも混じっていた。
 あの大きなかばんですぐに分かった。
 まだこのビルにいるということは、仕事の後、英会話学校へ行って英語を勉強していたのだろう。
 氷室は後ろを付けた訳ではないが、駅へ向かう方向が同じだったので、気づかれないようになゆみの後ろを離れて歩いていた。
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