第一章
8
日本女性の平均的な背の高さのミナや紀子には、丈がちょうどよくロングに見えても、なゆみには中途半端な丈の長さとなっていた。
髪もボーイッシュでスカートを穿くとマッチしていない。
自分でも似合わないと自覚しているのか、ぎこちなさそうに歩いている。
周りはサイズが小さかったかもなどと慰めているが、似合ってないとは誰一人言わなかった。
笑顔は見せているが、何度も裾を引っ張り、丈の短いのを気にしているしぐさは、氷室にはおかしかった。
「斉藤、お前スカート似合わないな」
それを言っちゃおしまいよ、みんなは氷室に凍りついた視線を投げたが、なゆみははっきりといわれてふっきれたのか「はい、その通りです」と笑い飛ばしていた。
その行為はなゆみの株を上げた。
ミナと紀子は何かを確かめ合うかのように顔を見合わせ、それを好意的に受け入れる。
それがきっかけで、二人はなゆみを受け入れ始めた。
氷室の否定的な言葉にも負けないなゆみの笑顔が、その場の雰囲気を明るくし、その日はスタートした。
なゆみはあっという間にみんなの中に打ち解けていた。
氷室ですら、無意識に目がなゆみを追ってしまう。
失敗を恐れずに立ち向かう姿勢、常に笑顔で気持ち良く接する態度、何があっても気にしない元気さ、無視しようにもできずに、嫌がおうでも目に入ってしまうのだった。
仏頂面で捻くれている氷室の口元もまた、なゆみの笑顔を見ると自然と上向きになっていた。
しかし、自分が笑っている事に気が付くと、氷室はすぐに姿勢を正す。
たかが一人の小娘のせいで、自分が笑うのはあり得ないと、ぐっと体に力を込める。
素直に感情を出すことが悪い事のように罪悪感を覚えるから始末に悪く、自分でも気分の変化の差に常に相容れない隔たりを感じてならなかった。
この感覚はなんなんだ。
氷室は激しい心の溝に、がくっと足を取られて転んで、びっくりするような気分だった。
それが何なのか、そこまで考えられず、これはまだ序の口に過ぎなかった。
昼からはアルバイトの美穂が加わった。
美穂は純貴と、こそこそと秘密の会話を離れたところから視線を投げ掛けて、やり取りしている。
氷室はうっとうしいと思いながらも、表面上は何も知らぬふりをする。
ミナと紀子も薄々感じているのか、美穂の態度が鼻についていた。
本人を目の前にしては全く問題にしてないふりをしているが、時々二人が顔を合わせて文句を態度で表してる様子だった。
美穂の本業はコンパニオンであり、仕事がまちまちなので、予定がないときはここへ働きに来ていた。
コンパニオンというだけで、顔もスタイルもよく、ゴージャスな雰囲気がオーラとなって現れている。
立ってるだけで華やかになるのは店にとっても宣伝になっ
た。
そう思っているのは採用した純貴だけかもしれないが。
だが、立ち仕事が多い中、美穂は常に座る仕事を優先にしていた。
特に純貴が居るときは横柄になり、我がもの顔だった。
ミナと紀子は何も言わずひたすら我慢しては、ピリピリとした電気を溜め込んでいた。
何も知らないのはなゆみで、相変わらず元気よく自分の道まっしぐらで接客していた。
そんな時、あるべきところにあるはずのファイルがなく、美穂はすぐに手に入れられない苛立ちで不機嫌になる。
そこになゆみがそのファイルを持ってきたのは、タイミングが悪かった。
「ちょっと、どうしてあなたがそれを持ってるの。新人の癖にまだこの仕事は早いわよ」
「すみません。ちょっと見よう見真似でやってしまいました」
素直になゆみは謝っていた。
それを鼻で馬鹿にするようにそのファイルを美穂はひったくる。
なゆみはバツが悪いような表情を一瞬見せたが、再度軽く頭を下げた。
「何も分からないもので、よかったらまた注意してくださいね。美穂さんはきれいだし、仕事もできるからすごく憧れちゃいます」
美穂はふんとしたものの、それ以上ねちねちなゆみに攻撃しなかった。
氷室は、なゆみが長いものに上手く巻かれて行くイメージを頭に描きながら、その様子を見ていた。
自分が過去に上司から注意を受けた時、間違ってないと主張ばかりしてきたことと比べる。
実際、氷室の方が合理的で結果的に正しかったが、会社では上司に従うのはルールだった。
まして食って掛かるように反抗することは、ビジネスマナーにも反してご法度だった。
なゆみの取った行動は氷室には脱帽だった。
なゆみを見れば見るほど、氷室は気になっていく。
そこには過去の自分の悪い部分も、ありありと見えて、素直になれなかった心の中の凝り固まったものが一緒に露呈する。
ぐっとこらえ、時々居た堪れなくなりながらも、それでもなゆみの行動に心揺さぶられてしまう。
激しい動揺。
心が無理に洗われていく戸惑い。
長く閉ざしていた心はそれを素直に受け入れられないために、氷室は心の中で激しく起こる食い違いに葛藤していた。
そんな時に接客して商品を渡していたなゆみのあの白い手を見てしまい、朝に触れた事を思い出す。
突然ドキッとしたあの焦り。
自分が自分らしくなくて、遠のいていく。
自分だけが動揺し、なんだかそれに腹を立てるような悔しさが現れ、氷室は腹いせになゆみの手をギュッと掴みたくなってしまった。
本当にその理由だけだろうか。
すでに氷室はなゆみに振り回されつつあった。
まだそれに気が付かず、氷室はいつもの自分に戻ろうと必死に無関心を装っていた。