Temporary Love

第二章

11
「タフク!」
「あっ、ジンジャ!」
 二人が名前を呼び合っている傍で、氷室も「あーあ」と声を出した。
「お前、こんな時間にこんなところで何してんだ」
「えっ、ジンジャも何してるの」
 ジンジャは氷室を一瞥した。
 ジンジャの眼鏡の奥の瞳をぶつけられ、氷室の体は無意識に後ろに逸れていた。
 その逸れた後ろの奥の路地から、明るく照らされた看板がジンジャの視界に入ると、今度はそれに焦点が移ってジンジャは「はっ」と目を大きく見開いた。
 氷室はすぐに感づく。
「何か誤解してるようだが、私たちはそのような関係じゃない」
 だが口に出せばあまりにも陳腐で、わざとらしく聞こえるようなセリフだった。
「そのような関係ってなんだよ」
 ジンジャは意外にも氷室につっかかる。
「ジンジャ、どうしたの。ジンジャが心配するようなことなんてないから。この人、仕事場の上司の氷室さん」
 氷室は紹介を受けて、それらしく堂々と背筋を伸ばした。
「苦手だって言ってた奴じゃないか。どうして、そんな奴と一緒にこんなところに」
 ジンジャは驚きを隠せない。
「いや、だから、その君が誤解しているようなことは何も……」
 氷室はそう言いかけたが、こうなってしまったのは元はと言えばジンジャのせいだった。
 自分は好きなことしておいて、あれこれなゆみを束縛する資格がないと思うと、勝手な振る舞いに腹が立ってきた。
 なぜこんなガキに付き合わねばならぬと苛立ってしまい、いつもの癖がでると、冷めたきつい目つきに変わっていた。
「なんだ、今まで慕っていただけに、自分のものだと思っていたものが、他の男と一緒にいたくらいでプライドが許さないのか。自分のことは棚に上げて、彼女がお前を相手にしなくなったら、独占欲が出てくるってところか。彼女はお前の所有物じゃないぞ」
「氷室さん、なんてことを。そんなんじゃないんです。彼はただ心配してくれてるだけなんですって。だって友達だから」
「友達? 笑わせるな。その友達が他の女と歩いているのを見て、やけくそになって酒を飲んで悪酔いしたのはどこのどなたでしたっけ。お前たち何を中途半端なことやってんだ。俺は巻き込まれるのはごめんだ。好きにやってくれ。俺、もう帰るわ。じゃーな」
 氷室は、背筋を伸ばしてスタスタと夜の街に消えていった。
「ひ、氷室さん」
 何もジンジャの前で言わなくてもいいものを、ここまではっきり暴露されると、なゆみにも都合が悪くなった。
「なんだよ、あいつ。噂どおりの失礼な奴だな」
 ジンジャが怒りを露にするも、なゆみはまともにジンジャの顔が見られなかった。
 ジンジャは気持ちが収まらず、呆れた眼差しをなゆみに向けた。
「タフクもふらふらして酒なんか飲んでる場合じゃないぞ。これから留学だろ。それじゃ向こうへ行ってもやっていけないぞ」
 このときのジンジャの言葉は苛立ち紛れのお説教のように聞こえ、なゆみはカチンときてしまう。
「そんなことジンジャに言われる筋合いはないよ」
 元はと言えば、煮え切らない態度を取ったジンジャが悪い。
 不満が突如湧き上がる。
 何をあんなに自棄になって泣いて、酒を飲んで一人で空回りしていたのだろう。
 なゆみは情けなくなり、振り切るように歩き出した。
「おい、待てよ。タフク、一体何を考えているんだ。いつものお前らしくないぞ」
「ジンジャ、今まで仲良くしてくれてありがとう。ジンジャは本当に優しかった。一緒にいてて楽しかったし、つい甘えちゃったね。私が英会話学校で一緒にいるせいで迷惑とかかけたこともあったんだろうね」
「何を言ってるんだ。あのさ、タフク、一人でなんか勝手に話作って自分の世界に入り込んでるみたいだぞ」
 なゆみははっとした。
 全くその通りだと思った。
「そっか、そうだったのか」
「だから一体どうしたんだ」
「そうだ、ジンジャの言う通りだ。私夢見る夢子ちゃんでした」
「馬鹿野郎! 何ふざけてるんだ。からかうのもいい加減にしろ。お前、酔ってるのか。もういいよ。話が噛み合わないから、また今度な」
 ジンジャはむっとした気持ちとなゆみをその場に置き去りにして、早足で去っていった。
 なゆみはジンジャの後姿を潤った目で見つめた。
 氷室がまず苛立ち、そこから連鎖反応を起こすように伝播して、ジンジャもなゆみも、訳も分からず苛立って、全てが壊れてしまったように思えた。
 ぐっとこみ上げる感情を必死で抑えようと拳に力を入れると、肩に掛けていたリュックについたキティちゃんも宙ぶらりんに、ゆらゆら動いていた。
 視力の良いなゆみなのに、街の灯りがくっきりと見えずにぼやけていた。

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