Temporary Love

第二章


 この日のクラスも、なゆみの知っているいつものお馴染みのメンバーが集まった。
 一クラスの定員は10名だが、この日はきっちりと詰まる。
 定員も多いが、その分授業時間も90分とたっぷりだった。
 なゆみはジンジャと坂井に挟まれて、サイドテーブル付きのパイプ椅子に腰掛けている。
 教室でそれらがホワイトボードを前にして輪のように囲んでいた。
 この日、ジンジャの反対側には、なゆみとは全くタイプの違う、おしとやかな女性が座っていた。
 女性の目から見てもかわいらしく、乙女だった。
 ユカリとだけ名前が分かっていたが、誰とでも話すなゆみなのにその女性とだけは全く個人的に話すことができなかった。
 あまりにも上品なので、自分が避けられているような気さえした。
 何回か同じクラスを取ったことがあっても、挨拶はするがどうしてもそれ以上親しくなれそうになかった。
 なゆみはいつもの調子で楽しく授業を盛り上げる。
 ユカリは客観的に一歩引いている様子だった。
 何気になゆみがジンジャに振り向いた時、ユカリと親しく喋っているのを見てしまい心臓がキュッと縮んで、ちくりと痛みを感じて しまう。
 それを気にしないようにしてたが、余計に無理が入って子どもっぽくはしゃぐようになってしまった。
 もうこの時点で隠れて自己嫌悪。
 クラスが終わった時にもう一度様子を窺えば、ジンジャは声を発することもなく目でユカリとコンタクトを取っていた。
 それは前から親しくしている様子にも取れ、なゆみにばれないようにしているようにも見えた。
 そして先にユカリがクラスから出て行くが、心なしか彼女の口元が微笑んでいる。
 なゆみは喉からぐっとこみ上げるものを、押し下げるように息を飲み込んでいた。
「どうした、疲れたか?」
 ジンジャがなゆみの視線に気が付いて、声を掛けた。
 なゆみは気を取り直して、いつもらしく振る舞う。
「今日も楽しかったね。今度はいつのクラス取ってるの?」
「今後の予定は未定かな」
「ジンジャ、また電話していいかな」
「うん、いいよ」
 あっさりと許可を貰ったが、なゆみは素直に喜べなかった。
 そうしているうちにジンジャは先に教室から出て行った。
 それがユカリを追いかけて行ったように見え、なゆみは一瞬ショックを感じて体が動かない。
「じゃ、帰るか」
 坂井が筆記用具を鞄に直しこみ立ち上がり、それではっとしてなゆみも椅子から立ち上がって慌てて坂井の後を付いていく。
 部屋を出たところで、ユカリが受付で次の予約を入れているところを目にした。
 それが済むとさっさと出て行ったが、ジンジャは受付付近でその様子を見ていたようだった。
 胸騒ぎを感じたなゆみは、体が急に縛られてジンジャの側に近寄りがたくなってしまう。
 落ち着こうと何度も息を吸っては吐くが、動揺は収まらなかった。
 その間、ジンジャが坂井と何か話している。
 その後ジンジャは、おもむろになゆみに視線を移した。
 なゆみは無理に笑顔を作ってジンジャに近寄るも、どこか歓迎しない焦りを見たように思った。
「俺、今日用事あるから、先に帰るな。じゃーな、タフク」
「えっ?」
 驚いている間にジンジャはさっさといってしまい、碌に挨拶もできなかった。
 用事ってなんだろう。
 授業を一緒に取った後、ジンジャが先に一人だけ帰ることなど今までなかった。
 なゆみは受付で次の予約を取ろうと順番に並んだ。
 その間、泣きそうな程に瞳は潤んでいた。
 ジンジャはユカリと付き合ってる。
 そしてこの後会うんだ。
 はっきりとそういう気がしていた。

 予約が済むと、後ろを見れば坂井がなゆみを待っていた。
「それじゃ途中まで一緒に帰ろうか」
 坂井は他の生徒や先生が寄ってこないように、早々と先頭を歩きなゆみを外に連れ出す。
 なゆみは黙って坂井の後をついて行くが、ビルのドアを開けたとたん、冷たい風が頬をなでると、一層口元が硬くなってしまった。
「どうした、急に元気がなくなったな」
「うん、お腹空いたから」
「そっか、じゃあ飯でも食べていくか?」
「えっ、でも遅いからいいよ」
「たまにはいいじゃん」
「でもこの時間に食べたら太るもん。だけどありがと。坂井さんはいつも優しいね」
 やんわりと断られ、坂井はこれ以上強気に誘えなくなった。
「なあ、今度どこか遊びに行こうか」
「うん、そうだね。どこがいいかジンジャにも相談しなきゃね」
 また坂井は自分の思うように話が進まず、口を一文字に結んだ。
 そんな様子も知らないままに、なゆみは自分勝手に歩いていた。
「あのさ、キティは猫というより、トラだね、しかも風船の……」
「えっ? トラ? 風船?」
「うん、風船のトラさん」
「それをいうなら”フーテンの寅さん”じゃないの? でもなんで?」
「そうなんだけど、ほら、風船のように誰かがしっかりと掴んでないとどこへ飛んで行くか分からないって言うことさ。それにキティは引き止めようとする掴み所もないよ」
「やだ、今日の坂井さんなんか変」
「それを言うなら、キティもだろ」
 二人はお互い返答に困って暫く無言で歩いていた。
 坂井は静かになゆみを見つめた。
 なゆみが視線を感じ、坂井と目を合わせると坂井は寂しく笑う。
「あと4ヶ月で留学だな。アメリカに行ったら気をつけろよ。ふらふらするんじゃないぞ」
「そんなこと分かってる。ありがと」
「だよな。さてと俺も就職活動頑張るか。そしてかっこいい社会人になるぜ」
「うん、坂井さんならきっとなれる。そして出世して大金持ち〜」
「ハハハハハ、そうなったらその時キティは俺のことどう思う?」
「うーん、きっとすごいなって素直に思うよ」
「そっか。じゃあ、俺がいつか社長くらいになって超大金持ちになってたらどうする?」
「別にどうもしないよ。そのときは坂井さんきっと私のこと忘れてると思うし。私はそれでも構わないから」
「ハハハ、俺はそんなもんか」
 自虐するような笑いが溢れる。
 坂井はもうそれ以上何も言わなかった。
 二人は駅でそれぞれの乗り場に向かうために別れ、なゆみが去った後も坂井はその後姿を暫く見ていた。
 だがなゆみは一度も振り向きもせず人ごみに消えていった。
 ジンジャがいたら必ず一度振り返るのを坂井は知っていただけに、やるせないため息を吐いて踵を返した。

 自分のことで精一杯のなゆみは、坂井の気持ちなど気づくことなどなかった。
 ジンジャがユカリと付き合ってる。
 頭の中がそれで一杯になり、ショックで落ち込んでいた。
 坂井がこの日、なゆみに失恋したのと同様に、なゆみもジンジャに失恋してしまった。
 それでも、ジンジャを思う気持ちはすぐには収まらない。
 辛いときこそ笑わないとと意地を持っていても、このときは口元が緩むと泣き出しそうだった。
 堪えに堪えて電車に揺られる。
 家に帰った時、自分の部屋の机の引き出しから封印していたキティのマスコットをまた取り出した。
「なんのために封印したんだろう。ねぇ、キティちゃん。やっぱり私は、無理ができない」
 キティを身に着けなくなった理由、それは子どもっぽいところを排除したいためだった。
 少しでも大人びて女っぽくなりたい。
 そんな気持ちを込めて子どもっぽい要素を捨てるために、キティのものを身に着けなくなっていた。
 だけど、キティのマスコットを持たなくても、なゆみの中身はなゆみのままだった。
 それなら無理をしなくてもいい。
 自然に好きなものは好きでいいじゃないか。
 そういう開き直りが出てくる。
 失恋しても、とことん好きな気持ちはもっててもいい。
 そう自分を慰めながら、キティを両手で握り締め、自分の部屋で泣きはらしてしまった。
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