Temporary Love

第二章


「お客様、大変失礼しました。それではその購入された商品はどちらでお使いになられようとされましたか」
 氷室は丁寧に腰を少し屈め、自分の大きな体を小さく見せようとしてることで、礼儀をわきまえている態度を見せていた。
 客は氷室を前にして少し落ち着きを払い、デパートの名前を告げた。
「でしたらこちらと交換させて頂きますね。こちらでしたら、ちゃんとそのデパートで使えます。それとよろしければこれサービスでお付けします。 その店の特別割引券のクーポンですので、さらに安くお買い求めできると思います。大変すみませんでした。まだ慣れない新人ですのでどうか許してやって下さい」
「まあ、そういうことやったら仕方ないな。まあこれから気をつけや、ねぇちゃん」
 客の気持ちが収まるも、なゆみは呆然としていた。
 氷室は優しくなゆみの背中に触れながら、自らの頭を丁寧に下げた。
 なゆみははっとして、慌ててペコリと頭を下げた。
 うるさい客は機嫌よく去っていき、そして氷室も何も言わず自分のデスクに戻った。
 暫く放心状態で、なゆみは突っ立ったままだった。
 しかし我に返った時、慌てるように氷室の元へ行った。
「氷室さん、先ほどは申し訳ございませんでした。そして助けて頂いてありがとうございます」
 深々と頭を下げるなゆみの顔も見ず、氷室は手元を休めることなく淡々とデーターを打ち込んでいた。
 コンピューター画面を見ながら、静かに言った。
「あの人は何かといちゃもんを付けてくるんだ。それにこういう失敗はよくあることだ。だけど一度間違えれば、それに懲りて二度と失敗することないだろ。これからはきっちりと確かめる癖がつく。勉強になっただろ」
「はい」
 なゆみはしょぼんとした声で返事をすると、氷室は顔を上げた。
「もういい、気にするな。それ以上失敗にくよくよして次またミスされたら困るからな。さあ、俺の仕事の邪魔してる暇があったらさっさと働け」
「は、はい。すみません」
 なゆみは再びショーケースの前に立つ。
 一通りを見ていたミナと紀子が、慰めるように近づいて気遣っていた。
 なゆみは少し涙目になりながらも、一生懸命笑おうとしていた。
 またお客が来て、気を取り直し精一杯に接客し、商品の説明をする。
 それが売れ、客からお金を受け取ってそれをレジに入れる時に氷室を一瞥した。
 今まで気が付かなかったが、デスクに向かっている氷室の背中はとても大きくがっしりとしていた。
 肩幅も広く背広がぴったりと氷室の体に馴染んでいた。
 冷血漢だと思っていたが、その背中の大きさのごとく、とても頼りになるほど頼もしかった。
 助けてくれた時の氷室は別人のように優しく大人な人だった。
 なゆみは感謝の意をもって、氷室の背中を見つめ、再び作業に戻った。
 落ち込んでいた気分がその背中を見ると癒されたが、朝の態度と比べるとどうもしっくりこなかった。
 気分を害する程失礼なことを言ったり、時には優しく助けてくれたりと、氷室の極端な両面のギャップになゆみは戸惑っていた。

 指先だけは器用にキーボードを打ちながら、氷室は考え事をしている。
 淡々と作業をしているように見えるが、心は落ち着いていなかった。
 朝にデリカシーのないことをなゆみに言ってしまったばかりに、負い目を感じていたとは言え、こんな形で借りを返すようなとってつけたシチュエーションが気に食わない。
 なゆみはすぐに自分の非を認めて詫びてきたが、それを逆手にとって恩着せがましくなってなかっただろうか。
 本来ならば、なゆみを傷つけたときに謝らねばならなかったものを、それをしなかったことを非常に悔やんでいた。
 時間が経てば経つほど、それは難しくなり、タイミングがずれた今は蒸し返したくもなく、氷室はこのまま謝ることがないと確信がもてるほどだった。
 そんな理不尽な自分と比べて、仕事では割り切って礼儀をわきまえるなゆみに恥ずかしかった。
 本当は失礼で意地悪な氷室を許せないと思っているだろうに。
 氷室はなゆみにどう接して良いのか戸惑っていた。
 
 二人は仕事中すれ違うと、どこかぎこちない。
 どちらも様子を探って、相手の出方にびくびくしてしまう。
 それをどちらも悟られるのを隠そうと表面的に演技をするが、さらにそれが奥深いことまで勘ぐらせる原因となり神経をすり減らせる。
 閉店時間が近づく頃は二人とも、気疲れてやつれていた。
「終わった」
 シャッターが閉まったとき、純貴が叫んだ。
 これから飲みに行くぞと、知らせの汽笛を鳴らしたみたいだった。
 女性陣は控え室に入って着替えを始める。
 そして氷室は、どしっとだらしなく椅子に座りこんだ。
「どうした、コトヤン。なんか異常に疲れてそうだね」
「いや、そうでもないよ」
 ここで疲れたなどと言ってしまえば、また控え室に筒抜けてなゆみの耳に入ってしまう。
 なゆみに変な勘ぐりをされては困ると、氷室は首を左右に倒してコキッと音を鳴らせ、あたかも飲みに行く前の準備体操とでもいうようなフリをした。
「明日は休みだ。今日は思いっきり飲んでくれよ」
「純貴はそういうところは気前がいいな」
「一応愛される専務を目指してますからね」
 機嫌のいい純貴の気持ちを損ねるのは避けたかったので口に出しては言わなかったが、一部の女性社員にはそりゃ愛されてるだろうと氷室は心の中で突っ込ん でいた。
 暫くして女性従業員が控え室から出てくると、氷室はすぐさまなゆみに視線を合わせていた。
 なゆみの相変わらずの大きなリュックサックも当然視界に入る。
 しかしいつもと違う雰囲気があった。
 そこにキティちゃんのマスコットがついてることに気がついた。
 前日まではなかったはずだと、氷室はそのマスコットを見ていた。
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