Temporary Love

第三章 チェンジング


 日曜の朝、目覚ましがなり、なゆみは無理やりベッドから身を起こした。
 休みの日くらいゆっくり寝てもよさそうなのだが、日曜日はそれなりに自らやりたいことのある日だっ た。
 しかし、今回はなんだか気が進まない。
 だるく眠たい目をしょぼしょぼとして、立ち上がった。
 前夜、何度もベッドで寝返りをうっては眠れなかった。
 お陰で眠たくて、気を許せばまたベッドに戻ってしまいそうだった。
 このまままだ寝ていようかと根性がくじけそうになっていたが、英語のレッスンの予約を入れているから、無駄にはできなかった。
 日曜日は英会話学校で過ごすというのがなゆみの過ごし方だった。
 普段なら楽しいことなのだが、前日のジンジャとのギクシャクがやる気を起こさせない。
 さぼりたい気持ち半分、無駄にできない気持ち半分、後は自分の強い意志にかかっていた。
 大きな欠伸が出た後、ぼーっとする頭を何度も振っては、身を奮い起こしていた。
 無理やり動いて身支度し、何とか足を外に向けて家を出ることができた。
 そうなると引き戻す事は考えられず、なんとか嫌な気持ちに打ち勝った。
 だが、氷室とジンジャを怒らせ、一体何が起こったんだろうと、前日のことを振り返りながらレッスンに向かえば、足取りは重かった。
 ジンジャは来ているだろうか。
 会えば何事もなかったように、普通に話せるだろうか。
 淡い期待を持ちつつ、会ったところでどうしていいかも分からず、謝ったところで、ジンジャが怒った理由がよくわからない。
 普段は楽しい場所であったはずなのに、ビクビクしながら、英会話学校の入り口をくぐった。

 日曜日はまた違った顔ぶれがあり、平日に来れない人が集まってくる。
 なゆみは辺りを見回した。
 いつも一緒になるはずのジンジャの姿はそこになかった。
 もしかしたら午後から来るのかもしれないと、やっぱりまだ淡く望みを持っていた。
 会いたいのに会うのが怖い。
 来て欲しいけど、来ないような気がする。
 ジンジャのことを思うと、やる気が失せてすっかり意気消沈していた。
 朝一番のレッスンを取った後、なゆみはいつもラウンジで暫く過ごす。
 そこはリクエストを入れると好きな映画を流してくれるし、コンピューターも自由に使えて、ゲームもできる。
 ボードゲームもあり、生徒たちが気軽に遊べるようにもなっていた。
 レッスンのない先生が、必ず座っていて、気軽に話しかけることもでき、レッスンを取らなくても充分に英語が話せる空間が作られていた。
 なゆみは日曜日はそれを充分に活用していた。
 だがこの日は、気分が進まず、クラスが終わるとあっさりと帰ることにした。
 先生が「もう帰るの?」と不思議がっている。
 手を振ってバイバイと挨拶して、逃げるように学校を出て行った。
 どこかでジンジャに会うことを恐れている。
 考え事をしていると、次第に気分が沈んで、猫背になっていた。
 迷いと不安と苛立ちが混ぜ合わさった心のもやもやは、脳をすっぽりと包み込み、ずしっと重くなる。
 自然と頭も垂れて下を向いて歩いていた。
 まるで背中に「弱った状態」とでも張り紙でも貼っているような分かりやすさ。
 その態度が 「隙あり」だったのかもしれない。
 そんな時に見知らぬ人に声を掛けられた。
「あの、ちょっといいですか」
 声のする方向を振り返ると、そこには学生っぽい男性と、金髪の外国人男性が立っていた。
 なゆみはなんだろうと、足が止まってしまい二人を見つめた。
 英語に興味を持っているために、隣の外国人が妙に気になった。
「学生さんですか?」
 物腰柔らかく、はにかんだ笑顔を添えて、様子を伺いながら積極的に質問してきた。
「いえ、その、短大卒業したとこですが、これから留学する予定の者です」
「あっ、そうですか。どちらへ行かれるんですか」
「カリフォルニア」
「ああそうですか。実はこの彼もカリフォルニアから来た人なんですよ」
「えっ、そうなんですか」
 共通の興味のある話題が出てくるとなゆみの好奇心の針が突然揺れた。
 自分の興味あることに触れられると反応しやすい体質だった。
 その男性は英語でなゆみと何を話しているか外国人に説明しだした。
 話の筋が分かると目を大きく見開いて非常に嬉しそうに感嘆した。
 なゆみに英語で話しかけると、なゆみも負けずと英語で返した。
 こういうのを待ってましたと言わんばかりに、自分も話せるんだと無意識にアピールしていた。
「英語、うまいですね」
 側で聞いていた男性は感心してなゆみを褒めた。
「いえ、あなた程では」
 謙遜しているが、褒められてすっかりいい気になってしまう。
 そしてあっという間に疑うこともせず心全開していた。
「あっ、そうだ自己紹介まだでした。僕は柳瀬武と申します。こっちがジョン・キンドル」
 自己紹介されて、なゆみもつい自分の名前を名乗ってしまった。
 ジョンが手を差出したことで、なゆみは握手を交わした。
「なゆみさんですか。かわいらしいお名前だ」
 すっかり二人のペースにのせられ、なゆみは去るタイミングを逃してしまった。
 それともそのように仕向けられたのだろうか。
 なゆみは蜘蛛の巣に引っかかったように二人から逃れられなかった。
「実はですね、今いろんな人にC教のことについて布教をしているところなんです。このジョンもわざわざアメリカから宣教師として来てるんですよ」
 ジョンがにっこりとなゆみに笑顔を見せる。
 がっしりとした体格。ブルーの目に癖のついた金髪。
 日本ではちやほやされそうな典型的なアメリカ人だった。
 ジョンがなゆみと色々と話がしたいと英語で言い出した。
 なゆみは英語だったので、何も考えず軽くOKと返事をしてしまう。
 すると柳瀬は嬉しそうに「いいんですか。よかったね、ジョン」と言った。
 何か裏がありそうで、なゆみはなんだか急に怖気ついてきたが、もう後には引けなくなっていた。
「ジョンから、カリフォルニアのことについても聞かれるといいですよ。ちょうど僕たちの事務所が向こうのあのビルにあるんです。お茶も出しますし、どうぞ遠慮なく来てください」
 ジョンも「プリーズ、プリーズ」と薦める。
 二人から優しく誘われると、断るのが悪く思えてしまい、ほんの少しの時間だけならと、そのときは軽い気持ちで受けてしまった。
 ちょっと寄ってすぐに帰ればいいと言い聞かせながら、二人の後をついていった。
 だがそれは簡単に終わることは許されず、なゆみはこの後とんでもない世界へと連れられていくことになってしまった。
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