第三章
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支店での仕事は、本店と比べて動き回る範囲が少なく、業務については楽に思えてしまった。
仕事に慣れて緊張感が解けたのが一番大きい。
時々、客足がひっきりなしに続くこともあるが、そういうときほど時間が経つのも早かった。
だがなゆみは寂しかった。
そんな気持ちを持っていても、なぜそう思うのか原因を考えることまではしなかった。
季節は早くも梅雨になる頃だった。
この職場に雇われてから、あっという間に月日が経っていく。
氷室とは移動以来、顔も合わすことが全くなくなり、時々電話で話すことがあっても、仕事の連絡や商品の確認などビジネス範囲内でのことだった。
たまに氷室は「頑張ってるか」と遠慮がちに様子を気にしてくれるが、なゆみは「はい」としか答えを返せない。
声を聞いているうちはまだいいが、その後、電話を切れば、虚しさが広がる。
この先もずっとこのまま時間が流れて、会えないままで終わるのだろうか。
そんなことを思っていると、チャンスが舞い降りた。
「斉藤、悪いが、この商品を本店に届けてくれないか」
川野に言付けを頼まれ、なゆみは久しぶりに本店に行けることを喜んだ。
「はい」
返事が弾んでいた。
暫く見ないだけで、本店はすでに違う場所に見えてしまった。
知らない人がまた数人増えている。
その中で、氷室と話をしている新しいアルバイトの女の子を見てしまった。
あのポジションにはいつも自分がいたのにと思うと、なんだか胸がきゅんと締め付けられてしまった。
「お疲れ様です」
「あっ、サイトちゃん。久しぶり」
ミナが喜んでくれる。
あまりよく知らない新しいアルバイトの人たちは、なゆみが現れても無視だった。
氷室をちらりと見ると、目が合った。
氷室はあごを一振りするように、ぞんざいな挨拶をしてくれた。
それでも嬉しく、なゆみはにっこりと微笑んだ。
言付かった商品をミナに渡すと、それであっさりと用事は済んでしまった。
氷室はアルバイトの女の子と話をしているところで、声を掛けられる状態じゃなかった。
未練が残るが、すぐさま本店を後にした。
ほんの一瞬だけでも、氷室を見た時胸がドキッとしたものの、今は胸騒ぎでチクッとしていた。
傍にいた女の子がとても美人で、氷室と並んでいると釣り合って見えたのがショックだった。
なゆみは複雑な感情をかかえると、見なければよかったかもと、浮足立っていた。
「氷室さん?」
アルバイトの女の子に声を掛けられて、氷室ははっとした。
なゆみの後姿を目で追っていて意識ここにあらずの状態だった。
気を取り直すが、急にやる気を失うと何を話していたかすっかり忘れていた。
もう用はないと、アルバイトの女の子を放っておいて、デスクに戻り座り込む。
その直後に誰からも話しかけて欲しくないオーラを体から出していた。
仕事をする気にもなれない。
しかしそんなときに限って用事が急に入り、氷室はかなり離れた支店に呼び出されてしまった。
「今日は残業か」
折角会えたというのに、こうも中途半端になゆみの顔を見ただけでは、よけいに気持ちがくすぶって不完全燃焼だった。
その日、なゆみは仕事が終わるといつものように英会話学校へ向かった。
ジンジャを見なくなってから随分と経っていたため、会う事がないと決め付けていたので少しは気が楽になっていた。
授業が始まる前、ラウンジで一人ぼっーと座っていると、後ろから頭をこつんと軽く叩かれた。
なゆみが振り返ったとき、そこにはジンジャが立っていた。
「よっ、タフク。久しぶりだな」
「ジンジャ!」
「お前仕事辞めたのか? 時々見にいったけど居なかったぜ」
「えっ、来てくれてたの?」
「ああ、あいつはいたけど、失礼な奴だからタフクは居ますかなんて聞けなかった」
なゆみは勤務先が変わった事情を告げた。
その時、顔は驚いたままだった。
「なんだ、場所が変わっただけか。それにしてもなんだよその顔。お化けでもみるような感じだぞ」
「えっ、いやだ。だって久しぶりなんだもん。びっくりしちゃった。ジンジャはこれから授業とってるの?」
「ん? いや、今日は取ってない。タフクを探しに来たんだ」
「えっ」
「俺さ、就職内定もらったんだ」
「うわぁ、おめでとう」
「ありがと。ずっと苦しかったよ。でもタフクにはちゃんといいたかったんだ。それと謝りたかった」
メガネを通してジンジャの大きな瞳が潤いを増したように見えた。
後悔を告げているような罪悪感がその中に潜んでいるようだった。
「謝るって、別にジンジャは何もしてないよ」
「俺さ……」
ジンジャが何か言いかけたが、それは授業の始まりを知らせに来た先生に邪魔をされた。
「授業始まるな。そしたらまた今度ゆっくりな。今日は会えただけでもよかったよ。ほら、遅れるぞ、早く行ってこいよ」
「うん……」
なゆみは動揺したまま、ジンジャと別れを告げた。
ジンジャは何を言いかけたのだろうか。
教室に入る前に、なゆみが一度後ろを振り返えれば、ジンジャはずっとなゆみを見ていた。
ニコッと微笑んで手を振っている。
以前と変わらない優しいジンジャがそこに居た。