Temporary Love

第四章

10
「タフク、何してんだ」
 なゆみは皿に添えられていたケッパーをフォークでつついていたが、つるっと逃げられて、それを追いかけるように何度も刺していた。
 それはどこからともなく湧き上がるもやもやと戦っているような気分だった。
「へへへ、食べ方がわからないや」
「でも、やっぱりおいしいな。なあ、タフクは料理できるのか」
「うん、多少できるよ。ずっと鍵っ子だったし、日曜、祝日も両親は仕事だったからさ、小学生のときから食べることは自分でやってた。見よう見まねで一度食べたものは自分で想像して作ったりする」
「へぇ、じゃあ、こういうのも作れるか」
「うーん、材料さえ手に入れば、よく似たものは作れるかも。だけど普段こういう素材はスーパーに売ってないから作ろうにも作れないかも」
「でも、料理は得意ってことか。いいじゃん、それ」
「えっ?」
「いや、タフクはおっちょこちょいなところがあるから、料理なんてできないと思ってた」
「いやだ、そんな風に思ってたの? ジンジャは私のこと一体どう思ってるの?」
「明るくて、楽しくて、おしゃべりで、面白くて、気配りができて、素直で素朴でかわいくて……」
 なゆみは恥ずかしげに照れていた。
「そして、突っ走りすぎて、ドジで、鈍感で、ふらふらして、時々迷子になって、何するか分からないときもある」
「ちょっと、酷い」
「そうかな、これって、タフクのいいところも悪いところもどっちも知ってるってことだよ。そうじゃなかったら俺タフクのこと好きにならなかった」
「ジンジャ……」
 ジンジャの言葉にドキッとさせられ、なゆみは咄嗟に俯いてしまった。
 ちょうどそこに、メインディッシュが静かに二人の前に運ばれてきた。

 氷室のテーブルもコース料理を食べながら、氷室と幸江を中心とした会話が語られていた。
「コトヤさんの好きな食べ物はなんですか」
「トンカツ」
 なゆみも好きだと言っていたもの。
 これが一番最初に浮かんだ。
 子供の受け答えのように、単語一つしか返さないので、幸江は次の会話に困っていた。
 当然この時も、氷室の父親は足を蹴っていた。
 幸江の父親が、気を遣いなんとか助け舟を出そうとした。
「コトヤ君はどんな女性のタイプがお好きかね」
「そうですね、明るくて、楽しくて、おしゃべりで、面白くて、気配りができて、素直で素朴でかわいい子です」
「まあそれはうちの幸江にぴったりですわ。オホホホホホホ」
 幸江はにこっと氷室に微笑んだ。
(全然違うじゃないか。その子はあそこにいるんだよ!)
「コトヤくんは幸江のことを気遣ってそのようなことをおっしゃって下さったんですね」
 幸江の父親の言葉など聴く耳持たずに、やはりなゆみを見ていた。
 つまらない会話はその席に座ってる限り終わることはなかった。
 だらだらと時間が流れていく。
 どれだけの時間が経ったかも分からなかったが、コースはデザートを残すだけとなっていた。
 もうすぐ開放されると思っていた時、なゆみ達が席から立ち上がった。
 氷室は当然それを目で追った。
 そしてジンジャと目が合うと、バチッと音がなるくらいお互いの視線がぶつかり合った。
 なゆみは後ろを振り向かず、むしろ見てはいけないとぎこちなくそこを去って行く。
 ジンジャは見せ付けるようになゆみの手を握っていた。
 思わず氷室は感情を抑えきれずテーブルを叩いて立ち上がってしまう。
「コトヤ! 突然どうしたんだ」
 氷室ははっとして、なんとか取り繕ってにこっとすると「すみません。ちょっとお手洗いに」と言ってそそくさ席を離れた。
「いや、どうもすみません。息子はとても緊張するとちょっとアレでして」
 氷室の父親はひたすら汗を拭きながら謝っていた。

 会計でなゆみが勘定を払っている。
 その後ろを目立たないように氷室がコソコソと歩いて外に出て行った。
 なゆみは気がついていない。
 レストランの外で待っていたジンジャも目に入ったが、無視を決め込んでそのまま素知らぬ顔で素通りしようとした。
 だが、ジンジャは呼び止めた。
「氷室さん、でしたね」
 声を掛けられ立ち止まり、余計なことをしやがってと顔を歪めたが、振り返ったときは背筋を伸ばして上から目線で受け答えした。
「えっと、君は確かジンジャ君だね」
「伊勢達也です」
「伊勢君、俺になんの用だ」
「いえ、別に用はないんですけど、挨拶だけしておこうと思っただけです」
「そっか。わざわざありがとう」
「いえ、例には及ばずです。ところで、今日はお見合いですか」
「君には関係ないことだ」
「そうですけど、とにかくいい結果になるといいですね。それから、俺達付き合い始めました。あの時、散々意味も分からない失礼なことを言われましたけど、 俺、ずっと前からタフクが好きでした。ただ、身辺に色々あって、なかなか行動に移せなかっただけでした。でももうこれからは本当に俺の”所有物”となりま したから。それだけいいたかったんです」
「そっか、あの時はすまなかったな。よく状況がわからなくて、おままごとしているようなお前たちに、イライラして言ってしまった」
「本当にそれだけですか」
「どういう意味だ」
 二人は暫し無言で睨み合っていた。
「ジンジャ、お待たせ」
 なゆみが店から出てくると、目の前に氷室が居ることに驚いて、財布をしまおうとしていたリュックを落としてしまった。
 一緒についていたキティのマスコットも跳ね上がっていた。
「よぉ、斉藤。なんだこんなおしゃれな店に来るときもその鞄か」
 なゆみは慌ててリュックを拾い、ペコリと挨拶を兼ねた礼をする。
 ジンジャはなゆみの肩を優しく包み込み、歩くことを促した。
 それが氷室に嫉妬をけしかけた。
「伊勢君、所有物になったからといって斉藤に支払いさせるんだな」
「何っ!」
「ジンジャ、止めて。氷室さん、今日はジンジャの就職のお祝いで私が誘ったんです。そんな言い方やめて下さい。まるで意地悪なガキ大将みたい。それじゃ失礼します。行こうジンジャ」
 なゆみはジンジャと手を繋ぎ、引っ張っていった。
 氷室はまたやってしまったと、自己嫌悪に陥る。
 好きな女性を取られて腹いせ紛れに暴言を吐いてしまった。
 さらになゆみが握っている手を見て、いつか自分が握っていたことを思い出し、やるせなくなってしまう。
 結局はいつもの情けない自分に戻ってしまっていた。

「ジンジャ、ごめんね。折角のおいしい食事だったのに」
 伏し目がちになゆみはしょんぼりとしていた。
「何言ってるんだ。謝るのは俺の方だ。俺が奴にちょっかい出してしまったから。でも、なんか少しひっかかることがあったんだ」
「どうしたの?」
「あいつ、なんだか……」
「何?」
「いや、なんでもない。それより、本当にありがとう。すごくおいしかったよ。今度は俺が美味しいところ連れて行ってやる」
「うん、ジンジャが就職してからでいいよ」
「それじゃタフクはアメリカじゃないか」
「だから、それまで一杯貯めておいてね。帰ってきたら毎日連れてって」
「毎日は無理だろ」
 ジンジャはなゆみの冗談で落ち着いていった。
 しかし氷室のことがまだ頭から離れないでいる。
 ジンジャが言いたかったことは、どこかで氷室はなゆみに好意をもっているんじゃないかと感じていたことだった。
 それはチケットを買ったときに会話を交わしてから感じた、ジンジャの勘のようなものだった。
 気のせいだと思いながら、ジンジャはなゆみの手を強く握ってしまった。
「ジンジャ、痛い」
「タフクの手は柔らかいからつい思いっきり握りたくなった」
 なゆみはにこっとしていたが、その裏でなゆみもまた氷室のことが気にかかり、宗教から助けてくれた時の事を思い出していた。
 危険を顧みずに自分のためだけに必死で立ち向かってくれた。
 手を繋いで、フィアンセのフリまでしてくれて。
 人の前では本心隠して、捻くれて憎まれ口をすぐに叩いて素直じゃないけど、いつだって困ったときは力になってくれて、時折見せる優しい心遣いと笑顔があった。
 あの時の心を開いて素直になっていた氷室が幻だったように、この日見た氷室は、以前の冷たいままの姿だった。
 なゆみはやるせなく、ぐっと体に力が入ってしまった。
 なゆみもまたジンジャの手を強く握り返してしまう。
「おい、仕返しか?」
 なゆみはただ笑っていた。
 笑うことでしか自分の感情を誤魔化せなかった。
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