Temporary Love

第五章 ショッキング


 食事をした後、なゆみとジンジャは手を繋いで、ショッピングエリアや街の中を歩き回ってデートの続きを楽しんでいた。
 お互い口には出さなかったものの、心の隅に氷室のことがそれぞれ気にかかってどこか話が弾まない。
「歩いてばかりじゃちょっと疲れちまったな。どっか座ろうか」
 ジンジャがなゆみを気遣った覗き込みがちに見た瞳が、不安げだった。
 ビルとビルの間、木々も植えられて、オブジェなどがところどころにアートとして置かれている憩いの空間を歩いていた。
 そこに設置されていたベンチがちょうど空いており、ジンジャとなゆみは腰掛けた。
 夏の暑い日ざしは側に植えられた木で遮られて、木陰ができていた。
 くっきりと地面に落とした濃い影とやかましく鳴くセミが夏らしい。
 ハンカチでなゆみは額の汗をぬぐった。
 その隣でジンジャがベンチの背にもたれ空を見上げている。
 ギラギラとした太陽の光に目を細め、考え事をしているようだった。
「あーあ、もっと早くタフクとこうしていたかった」
「どうしたの急に?」
「ん? なんかさ、タフクがもうすぐ居なくなるの寂しいなって思っただけさ」
「ジンジャ、無理しなくていいんだよ。一年ってやっぱり長いしさ……」
「何言ってんだよ。俺は待つって言っただろ。俺を信用しろよ」
「ジンジャ……」
「なあ、初めて会ったときのこと覚えてるか」
「うん。もちろん」
「ラウンジで坂井がタフクのこと俺に紹介したんだっけ。あのとき、タフクは元気だったよな。俺の名前が伊勢っていうだけで、いきなり”ジンジャだ!”なん て言うんだから」
「そしてジンジャが、それを言うなら伊勢神宮の”ジングー”だろって突っ込んでくれたんだよね。それからすぐに仲良くなったんだっけ」
「そうそう、なんかノリがよくて、俺も赤福もち、お多福もちそしてタフクってとんとん拍子に名前つけちまった」
「そしてその日、クラスで私とジンジャがペアになってそのままのノリで積極的に発言したから授業も益々盛り上がっちゃったよね」
「ああ、あんな馬鹿騒ぎしたクラスなんて始めてだったし、タフクとも初めて会った気がしなかったから、どんどん調子に乗っちまった。それにタフクの笑顔がすごくかわいくてさ。釣られて俺も笑ったよ」
「そんな風に思っていてくれてたんだ。なんか恥ずかしい。でもあの時、私もジンジャの笑顔がすごく素敵でドキッてしちゃったんだ。それから私追い掛け回しちゃったね。恥ずかしくもなく”好き好き”とか軽く言っちゃったりもした」
「俺のことを見てくれているって思ったら、男としてなんか嬉しかった。だけどある日、タフクは入ったばかりのデイブに付きまとってた時期があっただろ」
「えっ、イギリスから来た先生のこと? 付きまとってた風に見えてたなんて、ただ英語話したかっただけなんだけど」
「デイブも日本に慣れてなかったからタフクに頼っていた感じだったんだ。俺を放ってさ、二人っきりで話し込んでてさ、その時だよ、初めてヤキモチ妬いたの」
「えっ? 嘘」
「ほ・ん・と。でもさ、自分の気持ちに気がついてもあの時は何もできなかった。ただ、タフクがずっと俺のこと見ててくれるといいなって思うしかできなかった」
「ジンジャ」
「だけど、タフクがアルバイト始めた頃からギクシャクしてしまったよな。氷室が突然降って沸いてくるしさ、なんかタイミング悪かったんだ。俺も不安定な時期だったからどうしようもなかったし、あの時タフクが俺のこと嫌っちまったと思った」
「あの時、私の方が嫌われたって思った」
「だからほんとにあの時俺が悪かったんだって」
「違う。ジンジャは何も悪くないよ。悪いのは私だった。私勘違いしてたこと一杯あったもん」
 なゆみは恥ずかしすぎて、その勘違いもジンジャにうまく説明できない。
 もじもじと下を向いていた。
「もう済んでしまったことだし、どっちが悪いかだなんてどうでもいいよ。ただその時期にタフクが……」
 そこまで言いかけたが、ジンジャはその先を言うのを躊躇った。
 その時期に氷室がなゆみに急接近していることを薄々感じ取っていたために、なゆみが氷室のことをどう思っているのか聞こうか聞くまいか暫し逡巡してしまう。
「私が何?」
「いや、なんでもない」
 結局聞かないことにした。
 聞いたところで不安材料になっても嫌だった。
 それよりもジンジャはなゆみを繋ぎとめておきたいと、手を伸ばしてなゆみの肩を抱き寄せた。
 なゆみは「あっ」と声を漏らし、ぐいっと引き寄せられるままにジンジャの肩に体を持たせかける。
「暑いけどさ、ちょっと我慢しろ」
 そう言って、ジンジャは空いているもう片方の手を使い、なゆみのあごを指先で下から持ち上げた。
 大胆にも覆いかぶさるようになゆみにキスをする。
 なゆみは頭の中が真っ白で何も考えられず、体は硬直しジンジャにされるがままになっていた。
 なゆみには息が止まるくらいの衝撃的な長いキスに感じた。
「さて、体が熱くなったところであそこに行こうか」
「えっ? ど、どこへ?」
「カキ氷食べに」
 ジンジャは笑っていた。
 そしてすくっと立つと、なゆみに手を差し伸べた。
 なゆみはその手を取ると、恐ろしい速さで引っぱりあげられ、よろっとしてジンジャに倒れ掛かってしまう。
 ジンジャはつかさずぎゅっとなゆみを抱きしめた。
「ほら、釣れた!」
「ジンジャ、一体どうしたの?」
「お前はすぐにふらふらする癖があるからな。俺の意思表示さ。しっかり捕まえたってこと」
 なゆみは突然のジンジャの大胆さに戸惑ってしまった。
 まるで手綱を付けられたペットのように、無理に繋ぎとめられている気分だった。
 縄に括り付けるとは言われたが、自分はそんなにふらふらしているんだろうか。
 勘違いして泣き腫らし、自棄酒食らって酔っ払い、声を掛けられて宗教に引っかかり、考えたらその通りだったと簡単に納得してしまう。
 その全てのことに氷室が関わっていることにも気がつく。
 ジンジャとくっついたこの時、なゆみは本当にこれでいいのかと心揺れ動いている自分を感じていた。
 ジンジャがここまで自分を好きでいてくれた事を知れば知るほど、心は苦しくなっていく。
「ほら、もたもたするな」
 ジンジャに手を繋がれて引っ張られると、なゆみは足をもつれさせながら歩いていった。
 自分は一体どうしたいのかまだ答えが見つからずに、迷っているような歩き方だった。
 その日は夕方まで一緒に過ごし、月曜日は英会話学校が休みなので、火曜日の仕事が終わった後にラウンジで会う約束をしてから駅でジンジャと別れた。
 なゆみは電車の中でドア側に立ち、窓に映りこんだ自分を見ては無意識に唇を押さえてしまった。
 唇だけが熱を帯びていたような気がした。
inserted by FC2 system