Temporary Love2

第一章


 なゆみの滞在している場所は歩いてビーチにいけるほどの恵まれた環境であり、夏は海水浴に来る客が多いため、その辺りはホテルの施設が充実していた。
 氷室はできるだけなゆみの滞在している近くを希望し、運良く必要なものが備え付けられたウィークリーホテルを見つけ、すぐにフロントで交渉を始めた。
 大きな一個建てのビルのホテルではなく個々のアパートの建物が連なって、一つの小さなビレッジを作ってるような施設だった。
 その間なゆみは駐車場に停めた車の側で待っている。
 そしてぼーっと周りを何気なしに見ているとき、駐車場の向こうの道路に面した通りで男女が言い合いをしている姿を見てしまった。
 女性は泣きながらその場を立ち去り、そして男性は暫く呆然と立ちすくんでいた。
 なゆみは見てはいけないものを見てしまったと思いながら、置き去りにされたその男性の様子から目が離せなかった。脇にはスケッチブックのようなものを抱 えていたがそれを 近くにあったゴミ箱に捨て、そして男性も女性とは反対方向へと去っていった。
 なゆみはついお節介ながらも、足が勝手に動き出し、男性が捨てた物を拾いにいった。
 思った通りそれはスケッチブックで、ぱらぱらとめくると、そこには男性が描いたと思われる鉛筆書きのスケッチが現れた。
「なんて上手いの。これを捨てるなんて」
 街の景色が鉛筆だけを使って、まるで写真のように正確に描かれていた。
 ページをめくる度に、それが飛び出して見えるくらい、その繊細な線は神がかりとでも言うべき技術だった。
 パラパラとめくって色んな場所の絵を見ていたが、最後に描かれた絵が出てきたときはっとした。それは女性の顔だった。
 鉛筆で描かれているというのに、肌の白さや柔らかさ、そして髪の色が金髪だということも分かる。
 リアル絵でありなが らはにかんだ笑顔を良く捉えてとてもか わいく描かれている。この絵の本人がとてもかわいいということなのだろう。
 どんな風にこの女性を見つめて描いたのか、描き手の気持ちも溢れるように感じられた。
 そしてその絵が先ほど言い合いをした女性だというのがなゆみには推測できた。さっきの女性も金髪だったからだった。その女性の名前なのか、ページの端に マリア(Maria)という文字が走り書きされていた。
 一通り中を見て、最後にスケッチブックの裏を見ると、そこにもジェイク(Jake)という名前が書かれていた。これが、このスケッチブックを捨てた男の 名前なのだろ う。
「マリアとジェイクか。なんで喧嘩しちゃったんだろう」
 なゆみはどうしようかとスケッチブックを手にして、遠くお互い離れていく二人の後姿を交互に見つめて、おろおろしてしまった。
「おーい、なゆみ、そこで何してんだ。部屋とれたぞ」
 氷室が呼ぶ声でなゆみは未練がましくもその場所を後にした。
「お前、何持ってんだ?」
「あ、これ? スケッチブック。ゴミ箱に捨ててあったから拾っちゃった」
「なんでゴミ漁ってるんだ」 
「なんか捨ててるところ見ちゃって、気になって」
「あまり変なことするなよ。お前は何かと巻き込まれやすい体質なんだから、変なことに首突っ込むなよ。キティちゃんも泣くぞ」
 氷室はポケットからキティのマスコットを取り出して、それをなゆみに見せて脅した。
「大丈夫ですって。拾っただけだから。それに、キティちゃんをそんなことに使わないで下さい。だけどこれ、中身すごいんですよ。ちょっと見て下さいよ」 
 なゆみは氷室にスケッチブックを見せると、氷室もまたその絵に感銘を受けた。
「俺も多少絵は描ける方だが、これはすごいな」
「でしょ、鉛筆でここまで精巧にかけるなんてすごい才能でしょ。私、才能見せ付けられると弱いんです」
「才能見せ付けられると弱いって、それお前の弱点なのか」
「はい、それでころって惚れちゃったりしますから」
「じゃあ、お前の前で俺が図面描きをしたら、お前はどうなるんだ」
「そんな、もう萌えて悶えてしまいますね」
「お前はやっぱり面白いな」
 氷室はなゆみの肩を抱きしめる。
 なゆみは肩を抱きしめた氷室の大きな手を感じていた。
(この大きな手も私の弱点です)
 そっと心の中で呟いて、密かにきゅんと萌えて悶えていた。

 車のトランクから荷物を取り出して二人は部屋に入っていった。
 入ればそこはすぐにでも生活できる空間だった。
「うあ、キッチンがある。もうこれは日本のワンルームマンションと同じですね」
「まあ、こっちの方が広々としてるけどな」
 氷室はスーツケースを空いている居間の床の上に置いて、早速中を開けだした。
 その間、なゆみは入り口入ってすぐ左にあったキッチンに立つと棚の中や隅々を確認した。そこには冷蔵庫、電気コンロ、電子レンジ、オーブン、おなべ、食 器も一通りそろって、材料さ え揃えばすぐ に料理ができる状態だった。小さなダイニングテーブルもついて、そこで食事ができるようになっていた。
 部屋の真ん中の居間らしき空間はソファーとコーヒーテーブルとテレビがあり、普通の家の中と変わらなかった。そして奥の端にはベッドがあり、部屋の隅に バス ルームもあった。
 ベッドを見てなゆみは目が覚めるように急にはっとした。
 物珍しく観察していただけが、氷室と密室に二人っきりという現実を突きつけられた。
 いつか氷室に言われた言葉も蘇る。
『いいか、男と二人っきりで密室に篭るということはこういうことだ。調子に乗って気を許すな。肝に命じとけ』
 なゆみはベッドの存在感を非常に感じてしまった。
 固まって突っ立っていると氷室が声を掛けた。
「なゆみ、ちょっとこっちこい」
「えっ」
「どうした?」
「いえ、な、なんでも」
 なゆみは平常心を装い、氷室に近づくと、氷室は照れた笑いを向けて、小さな包装された箱をなゆみの前に差し出した。
 なゆみはその表情に癒されると、先ほどの緊張が一瞬にして解けた。氷室は密室に二人っきりになったことを全然意識していない。
 なゆみは差し出された箱を気軽に受け取った。
「これ何ですか?」
「俺の弟から、お前にって」
「氷室さんの弟?」
「以前年の離れた弟がいるって言ったことあっただろ。その弟にお前のこと話したら、一緒に食べてくれって、餞別代りにチョコレートくれたんだ」
「弟さんが、私のことも考えてくれたんだ。なんか嬉しい。いい弟さんだ」
「ああ、憎たらしいところもあるけど、いい奴だぜ。俺の自慢の弟なんだ。血は半分しか繋がってないんだけどな」
「えっ、半分?」
 氷室は自分の家庭のことをなゆみに話した。なゆみは静かに耳を傾ける。
「そうだったの。氷室さんのお母さん、そんなに若くして亡くなられたなんて。氷室さんも辛かったね」
「なあに、もうずっと前のことさ。母さんにお前のことを紹介できないのは残念だけど、でももし生きていたとしたら、きっとお前のこと気に入ってくれるって はっきりとそう思えるよ」
「ありがとう」
「日本に帰ってきたらすぐ弟紹介する。あいつもお前のこと話したら会いたがってた」
「氷室さんの弟さんってどんな人なんだろう。氷室さんに似てる?」
「見かけは俺とはまた違ったタイプだけど、ひねくれてる性格はそっくりだ」
「じゃあそれは氷室家の特徴なんですね」
「ああ、弟もそんなこと言ってたよ。とにかくそれ食べようか。折角の弟の厚意だから」
「うん」
 なゆみはソファーに座ると、氷室も隣に腰掛けた。
 二人は笑顔を見せ合いながら、楽しい気分を満喫していた。
 しかし、包装紙から出てきたものを見て、氷室は氷ついてしまった。
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