Temporary Love2

第一章


 なゆみは車から降りると、氷室に手を振り別れを告げた。
 次の日また会えるというのに、夜はセンチメンタルに人恋しくさせ、その目はもう氷室を恋しくてた まらないと寂しさが充満して潤っている。  
 車が見えなくなるまで手を振ると、先ほど車の中で氷室と激しいキスをした唇を押さえる。自分が大胆になっていくことに氷室をこれほど好きになっている気 持ちを感じていた。まだ胸の中で自分の欲求がくすぶっている。
 自分から氷室のぬくもりを求めたいと思っていることが信じられなかった。
 そう思うことがいけない事のようで、急激な心と体の変化になゆみは戸惑いながらも、胸の熱い気持ちは暫く収まりそうもなかった。
 ぼーっとして、家の中に入っていく。
「ハロー、ナユミ」
「ハーイ、バーバラ、ハウ アー ユー?」
「(あの人に会ったかい?)」
「(うん、会えた。バーバラが学校のこと教えてくれたんだね。ありがとう)」
「(なかなかのキュートボーイだね。彼氏なんだろ)」
「(うん)」
 なゆみはつい照れてしまう。
「(なんで泊まってこなかったの? 久しぶりに会えたのに。なゆみが家を空けても、気にしないからね。フフフ)」
「(やだ、バーバラったら)」
 バーバラは男女の関係にはオープンだった。他のホストファミリーだとこうはいかない。バーバラと一緒に暮らせることも自由なアメリカ生活を思いっきり楽 しめることを助長してくれるものだった。
 なゆみは自分の部屋に行くと、通路でフランス人のアンとすれ違う。
「ハーイ、アン」
「アロー、ナユミ」
 アンの英語はものすごいフランス語訛りでHの発音が消えることがある。なゆみも人のことは言えない日本語訛りの英語なので、Rの舌巻きの発音が苦手だっ た。
 それでもネイティブの英語よりは外国人同士の英語の方が知ってる単語の範囲も同じで分かりやすかった。
「(今週の金曜の夕方6時からモリーの家でパーティがあるけど、なゆみも行く? 私もフィリップから誘われたんだけど、なゆみも一緒に連れて来ればって 言っ てた)」
「(私、モリーとは面識ないけど、それ、私の友達も連れて行っていいかな)」
「(誰が来てもいいと思うよ。モリーの家は広いし、外国人留学生を数人ホームステイさせて、それで色んな外国人の溜まり場になってるし、ホストファミリー 揃って 大歓迎してくれるからいいんじゃない? 結構大きなパーティだって)
「(それじゃ行く。誘ってくれてありがとう)」
 時々同じ学校へ通っている生徒達からパーティの誘いがある。全く知らない人が主催していても、誰かが常に情報を伝えてそれは広がっていく。
 主催者と面識はなくとも、モリーのようにパーティを常に開くようなところでは、ESLの学生の間では知らずと名前が有名になっている。
 モリーはアメリカ人の大学生だが、家族ぐるみで留学生の下宿を商売でやっていることもあり、留学生の間では知る人ぞ知る存在だった。
 そこはパーティ好きで、時々留学生を派手に呼ぶことがある。留学生達にとってもそれは名物になるくらいの楽しみなものだった。
 なゆみは自分の部屋に入り、パタンとドアを閉めて息をついた。
 大きなベッドが部屋の殆どを占領し、デスクと箪笥がひしめき合って置かれて狭く見えるが、寝るだけなので狭さは気にならない。
 居間やキッチンは自由に使えるし、日本の家と比べたら天井の高さも全体の広さもゆったりとしていたので、なゆみはこの家が大好きだった。
 なゆみはデスクに向かい、宿題に取り掛かった。早く終わらせてしまいたい。
 しかし、教科書の英語を見ていると、文字が霞んで次第に意識がとんでいき、氷室のことを考えてしまう。
 自分に会いに来てくれたことが嬉しくて、またピンチに陥っていたときに劇的に現れて助けてくれた。
 あの大きな手に包まれながらの氷室とのキス。
 思い出せば出すほど、なゆみはうっとりとして魂ここにあらずの状態だった。
「氷室さん……」
 自分でもどうしようもなかった。
「とにかく宿題先にやって、あとでゆっくり浸ろう」
 目に力を入れて凝らして、がむしゃらに宿題に取り掛かった。

 一方氷室の方も、ホテルに戻って、スーパーで買ってきたものを冷蔵庫に入れながら、アメリカまで来てしまったことを実感していた。
 なゆみとの感動的な再会。事が上手く運び、やっとなゆみを自分のものにしたという満足感。
「来てよかった」
 ふと独り言を呟いていた。
 靴を脱ぎ、背広の上着を脱いでソファーの背に投げ、ベッドの上にごろんと仰向けに寝転がり、天井をぼーっと見つめる。
 そして横を向けばそのベッドは一人で寝るには大きいことに気がついた。
 その時、凌雅に渡されたものを思い出すと、つい使うことを考えてしまった。
 このチャンスを逃せば、この後長いことなゆみには会えない。
 そう思うと、やはり凌雅には感謝すべきことなのかもしれないと思えてきた。
「俺も男だしな、これは避けて通れない道だ。それならば、俺も気合入れなきゃな」
 チョコレートと思って包み紙を開けたときは、予期せぬ展開に心の準備もなく慌てたが、今度はもっと雰囲気を作って自然とそういう風に持っていかなければ と意気込んでいた。
 しかし、飛行機の中でも碌に寝てなかったせいで、時差ボケもあり強い眠気が襲ってきた。氷室はそのまま深い眠りについていってしまった。

 次の日の朝、なゆみは眠たい目を擦り、堪えきれない欠伸を慌てて片手で隠しながら、クラスの中で席についていた。
 そこに聡子が「おはよう」と現れた。
「おはよう、聡子」
「なゆみ、なんかお疲れ? ねぇ、昨日突然現れたあの男の人誰?」
「えっ? ああ、氷室さん」
「名前じゃなくて、なゆみとの関係を聞いてるんだけど。やっぱり彼氏?」
「うん」
 なゆみはそういいきれることが嬉しくてにっこりとしていた。
「へぇ、なゆみ彼氏いたんだ。かっこいいじゃん。大人の男みたいで。ねぇ、もうどこまでいった?」
 聡子は一番知りたいことのように目を光らせた。
「どこまでって、この辺しかまだ観光してない」
「なゆみは相変わらず鈍感だよね。寝たかどうか聞いてるの。あんたちゃんとああいう男の人の相手できる? お節介だけど、なゆみにはなんか務まりそうもな さそう」
「ええ、それどういう意味?」
「なゆみにはセクシーさが欠けてるってこと。髪も短いし、女らしくない」
「やだ、聡子、そんなはっきりと言うなんて」
 聡子は容赦なく、物事をはっきりと言うタイプだった。それでもさっぱりとしていて気を遣わないところが楽だった。
 なゆみも素直でストレートに気持ちをぶつけるので、聡子とはすぐに気が合い、英語のレベルも同じくらいなので、クラスもよく一緒になって次第と仲良く なっていった。
「気をつけた方がいいよ。あれだけかっこいいと、他の女がほっとかないよ」
 聡子に言われて、なゆみははっと目が覚めてしまった。
 氷室は確かにかっこよく、自分とは不釣合いなことを何度も思ったことがある。
 氷室がもてることに今まで気がつかなかった自分が本当に鈍感だったと、急に危機感を抱いてしまった。
「聡子、私どうしたらいい。あと二週間したら彼、日本に帰っちゃうし、その間一年近くも離れてしまう」
「あんたさ、今頃何を心配してるの。だからもう寝たの?」
「えっ、そんな、まだ……」
「えっ、まだ許してないの? そりゃ危ないわ。さっさとあげてしまいな。でも体の相性悪かっても却って逆効果になっちゃうし、あんたもしかして未経験?」
「それってダメ?」
「やっぱり。ああいう男は結構、経験豊富だと思う。それに応えられないとやばいよ」
「ええー、どんな風に応えたらいいの?」
「そんなの、自分で考えなさい」
 半分はなゆみをからかっているのだが、それに素直に反応して真剣に困ってる姿をみるのが聡子には面白くてたまらない。
 なゆみはそんな聡子の陰謀も知らずに、本気で悩みだした。氷室が好き過ぎて考えれば考えるほどどうしていいのかわからなくなってきてしまった。
 その日、授業を受けていても全く上の空だった。

 12時半に全ての授業が終わると聞いていた氷室は、少し早めに学校に現れた。
 一人、パティオにあったテーブルに向かって座っていると、どこからか日本語が聞こえてきた。
 何気なしに辺りを見回せば、そこには5人の日本人男性が集まって話をしているのが目に入る
 気にも留めてなかったが、日本語なのですっと意味が頭に入ってくる。そのまま耳に入る分ずっと聞いてしまった
「調子はどうだ?」
「まだだな」
「いつになったらやれるんだろう」
「この中で誰が一番早く女と寝るかなんて賭けをしてから結構経つけど、まだ誰もできないなんて、なかなか女のガード固いな」
「ちゃんと声掛けてるんだけど、楽しく話せてもそれ以上の発展はないな」

 馬鹿げてる話だと氷室は思ったが、それが男の本能というものでもあるので、好きにしろとガキ扱いして鼻で笑ってやった。
 しかし、必死になる点では自分もそう対して変わらない部分を彼らに重ねてしまった。
 なゆみと寝たい。このチャンスを逃してなるものかなどといった思いは共通するものがある。
 急に氷室は恥を知ったような気持ちにさせられた。
 何をそんなにむきになってまで、己の欲望を貫かねばならないのだろう。
 強硬なことをしてなゆみに嫌われてしまったら元も子もない。
 二週間後には自分は帰り、そしてなゆみとは一年近くも会えなくなる。
 そんな焦りを彼女にぶつけて、性欲だけを満たすような行為が果たして正しいのだろうか。
 本当になゆみのことが好きならば、ずっと待っていられるんだという本気の部分を見せることも必要ではないだろうかと、氷室は考え出した。
(焦ってはいけない。もっと慎重になってこそ真実の愛だ)
 氷室は一人、哲学を問うように愛というものはなんだと自分で自問自答する。
「エクスキューズミー」
 そのとき、後ろから突然声を掛けられ、氷室は振り向いた。
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