Temporary Love2

第二章 アドベンチャー


 氷室の手伝いのお陰で、なゆみは立派な作文が書け、授業の終わりにそれを先生に提出するがふと前夜のことを振り返った。
 宿題に力を注ぎすぎたことで、また二人の間には何も発展はなく、いつも通りの夜を迎えてしまったことをこのときになって思い出したようになゆみは後悔す る。
 上手く行かないもんだと、提出した後についため息が漏れた。 
 一時間目が終わり休み時間になると、教室の外の広場では今夜のパーティの話で持ちきりだった。
 皆で集まってはそれぞれの国の言葉や『今夜パーティ行く?』と色んな訛りの英語が飛び交っていた。
 トオルが聡子と話し込んでいる。
 聡子はまんざらでもなく、普段見せないような恥らいを交えて女の子らしく振舞っていた。
 聡子はなゆみより二歳年上だったが、お互い呼び捨てするように年の差などどこにもなかった。
 そういうのは稀で中にはプライドが高く、日本でそれなりの地 位を築いていた社会人などは日本人からは呼び捨てにされることを嫌い、自分が交流を望まない日本人とは一切口を利かないものもいた。
 そして派閥もあり、小さな日本社会がいくつも出来上がっている。
 その中で小さな見栄の張り合いやどうでもいいことをうだうだ言い合ったり、日本人同士なのに、所属するグループが違うと問題点も出てくるときがある。
 それは小学生レベルで、自分には関係ないのにそのグループの誰かが他のグループの誰かに嫌なことをされたとなると、自分のことのように取り込んで仲間で いがみ合ったりするのだった。
 アメリカに来てまで何してるんだよと突っ込みたくなるが、いざその中に入っていると自分を見失って流されてしまうことも留学生の悲しい性でもあった。
 なゆみはそういうことを充分心得ているのか、誰とも先入観なしに話せることもあり、適当にどこのグループに行っても話は合い、狭い日本社会に束縛される ことなく自由だった。
 聡子とは仲がいいので日本語で話すが、なゆみもどっちかというとできるだけ英語を話したいので外国人同士でつるむ方を好んだ。
 そして、スペイン人のアントニオと喋ってるときだった。
 アントニオが音楽を口ずさむ。
 耳になじみのある日本のアニメの曲だったのでなゆみはびっくりしてしまっ た。
「(それハイジの曲じゃない。なんで知ってるの?)」
「(ハイジ、スペインでも放映されてたよ)」
 なゆみは調子に乗ってアントニオと一緒に歌いだした。
 アントニオも乗りがよく、育ちがいい上流階級なのか、双方の両親と先祖の名前をいくつもくっつけた ような長い苗字を持ち、スペイン人にしてはラテン系というより金髪で白人に近い風貌だった。人懐っこい笑顔を添えられると、親しみが湧く。
 なゆみは常に英語を話せる楽しい友達の一人として心を許し、アントニオもそれに応えるようになゆみとは仲が良くなっていた。
 外国人の友達ができるのは留学の醍醐味という部分でもあり、気分も自然と楽しくなっていく。
 それに飲まれてしまいやすいので、お互い心の中に入り込むように調子がついてくる。
 息がぴったり合い、歌も歌い終わると、アントニオはニコッと笑顔を見せる。なゆみもそれに合わせるように得意の笑顔を見せていた。
 波長は完全に合っている。
 そして彼に腕を掴まれて、なゆみはあまり人がいない木が植えられている建物の外れのところへと引っ張られてしまっ た。
「(なゆみ、話があるんだ)」
「(どうしたの、アントニオ)
「(俺と寝よう)」
「ええっ!」
 なゆみは素でびっくりして英語どころではなかった。
 露骨に心臓が口から飛び出したくらいの驚いた顔をして言葉を失っているのに、アントニオはニコニコと して何度も催促してくる。
 なゆみはショックと嫌悪感で「ノー」とはっきりと拒絶した。
「(どうしてさ、何も深く考えることはないよ)」
「(絶対嫌! そんなのできない)」
「(なぜ?)」
「(私、初めてだし、好きな人じゃないとできない)」
 必死のあまり正直に答えすぎていた。
「(ええー、なゆみバージンかよ。それは俺も嫌だ)」
「(えっ、それどういう意味?)」
 アントニオと寝ることなど念頭になかったが、バージンが嫌という言葉はなゆみには更なるショックだった。
「(そういうのはつまんないんだ。まあ仕方ないな。俺が我慢するっていうのもありだけどな)」
「(とにかく、絶対嫌だから! もうそれ以上そのことを言ったら、アントニオとは喋らない)」
「(わかったよ。そんなに怒らないでよ)」
 アントニオは日常茶飯事とでもいうように悪びれもせず「またね」と去っていった。
 なゆみはその場に置き去りにされ、なんともいえない虚脱感を感じ暫く根が生えた木のごとく風景の一部になっていた。
 文化と習慣の違いなんだろうか。
 それでも突然露骨に寝ようなどといわれて、なゆみは自分の甘さ加減に腹が立ってきた。隙があったからこういう結果が生まれた。これが氷室の言う巻き込ま れやすい体質の元なのだろう。
 もう少し警戒しなければまた取り返しのつかない方向に行ってしまう。危機感を持つということを思い知らされた。
 それにしてもバージンが嫌われているという事実に、なんだか納得がいかない思いだった。
 聡子にも以前言われたが、氷室の相手が務まるかどうかということ が気になりすぎて、折角できていた心の準備も崩れかけてしまう。
 なんだか訳が分からなくなり、あまり知らない未知のことにどう対処していいのか困惑する。
「なゆみ、そんなところで何してるの? 次の授業が始まるよ」
 聡子に声を掛けられて、慌ててなゆみは走り寄った。
「あんなところに一人で突っ立って何してたの?」
「ねぇ、聡子、男性と寝るってどういうことなんだろう。聡子は初めてのときどうだった? それともまだ未経験?」
「やだ、なゆみからそんなこと聞かれるなんて思わなかった。そうだね、初めてのときは痛かったよ」
「えっ? 痛い?」
「うん、なかなか上手くできなかった。どっちも初めてだったし。最初さえクリアーできたら、あとは慣れてくるもんだけど、やっぱり初めてってぎこちなくて 楽しむって感じじゃなかったな」
「楽しむ?」
「やっぱりそういうのはお互い楽しまないとね。まあ相手にもよるんじゃないの。なゆみの彼に任せとけばいいじゃん。あの時はちょっと面白半分にからかった けど、初めてだからってそんな気にすることないよ。勇気出して彼の胸に飛び込んじゃえ。あっ、そういえば今日パーティあるじゃない。なゆみもその彼と行く んでしょ。今日あたり盛り上がってチャンスじゃない?」
「チャンスかな?」
「あっ、その分じゃなゆみも覚悟できてるんだね。頑張れ!」
 聡子に背中をどーんと押されたように叩かれて、なゆみは前のめりにつんのめってしまった。
 頭の中でそのことばかりぐるぐるしてしまって、また授業どころではなかった。

 授業が全て終わり、氷室が中庭で待ってると思うといそんでなゆみは会いに行く。
 しかし、まだ氷室の姿が見えなかった。
「あれ、氷室さんまだ来てない」
 なゆみは暫く、一人でテーブルについて考え事をしているような顔つきでぼーっとしながら氷室を待っていた。
「アロー、ナユミ」
 Hの発音が消えたフランス語訛りの英語が聞こえ、振り返ると、そこにはフィリップが居た。一緒に住んでるアンの友達でもある。
「ハーイ、フィリップ」
 なゆみが立ち上がると、フィリップは接近して顔を近づけてきた。
 フィリップはアメリカでもフランス式の挨拶をするので、なゆみに頬を寄せてチュと左右にキスをいつもする。
 なゆみも最初は戸惑っていたが、そういう習慣があると理解すると真似したくなり同じように見よう見まねでやっているうちに慣れてきた。
 このときも何も考えずにフランス式の挨拶を交わす。
 だが途中で氷室が現れ、なゆみがそれに気がついた拍子に首が動くと、フィリップと同じ方向を向いてしまいアクシデントに唇が軽く重なってし まった。
「あっ」
 なゆみも氷室も同時に驚き、フィリップだけがその事故を歓迎するように微笑んでいた。
「なゆみ! 何やってんだよ」
 氷室は慌てて走り寄る。
「氷室さん、違う。これはただのフランスの挨拶で、偶然にこんなことになって」
「(なゆみ、なんかトラブル? それじゃまた後でね)」
 フィリップは自分の知ったことではないとその場をそそくさ去っていった。
「フィリップ!」
 なゆみが彼の名前を呼んだところでどうにもならなかった。
 氷室は眉を吊り上げて見下ろすように怒っている。
「だから言っただろ、俺以外の男には気をつけろって。俺の目の前で他の男とキスしやがって」
「ごめんなさい。そんなつもりなかったのに、なんでこうなっちゃうの」
 なゆみは情けなさと氷室の怒りに悲しくなり、我慢できずに顔を覆って泣き出してしまった。
「おいっ、こんなところで泣くな。皆見てるじゃないか。俺が泣かしているみたいだろ。俺も来るのが遅れてすまない。ちょっと買い物に出かけてたんだ。そし たらここ来るときにい つもと違うところから来たから道に迷って遅れてしまった。これをお前にと思って」
 氷室はいくつか持っていたビニール袋の一つを手渡した。
 なゆみは目を真っ赤にした泣き腫らした顔を上げて、それを受け取った。
 氷室が「開けてみろ」といったので中を見ると、ピンクのボーダーの服が出てきた。
「実はな、俺も色違いで買ったんだ。ほらこれ」
 氷室は紺のボーダーの服を見せた。
「氷室さん……」
 なゆみはまた目に涙を溜めて泣き出して、そして氷室に思いっきり抱きついた。
「やっぱりダサかったか。今どきペアルックってだめかな。言葉もなんか古臭いし。でもちょっとやってみたかったんだけど」
「ううん、違うの。嬉しいの。だけどほんとにごめんなさい」
「わかった、わかった。もう許してやるから泣くな。お前、泣き腫らしたら目が腫れて別人になるだろ。あれはもうごめんだ」
 なゆみは必死に目を擦っていた。氷室はそれ以上擦るなとなゆみの腕を優しく握った。
「今日は何する。スケッチブックのことは少し置いておこう。俺とデートだ。飯食って、映画にでも行くか?」
「はい」
 なゆみはやっぱり氷室が大好きだと思った。
 氷室の腕に自分の腕を絡ませてぴったりと身を寄せていた。

 午後はゆったりとした時間を過ごし、6時からのパーティが始まるまで少し休憩しようとホテルに戻った。
 氷室は部屋に戻るなり、ベッドの上にごろんと横になって、まだ時差ぼけが残っているのか、昼寝でもしてしまいそうな勢いだった。
 なゆみは思いつめた顔をして、勇気を振り絞り、氷室の隣に一緒に横になってぴたっと体を密着してみた。
 氷室は体を少し横にしてなゆみを見つめる。
 なゆみもかなりの至近距離でありながら、目を逸らすことなく見つめ返した。
 だが本当はかなり無理をしているためにぎこちなさがでてしまい、リラックスできずに体がこわばっていた。
 氷室は笑みを見せてなゆみの頭を優しく撫ぜ出す。
 こうされるといつも安心するとばかりになゆみは目を閉じた。
 暫くすると、氷室の手がなゆみの胸の辺りにどしっとのっかかる。
 なゆみはとうとう氷室がその気になったと緊張で体に力が入った。
 そしてドキドキとしてじっとしているが、いくら待ってもそれ以上氷室が手を動かさない。
 そっと目を開けると、氷室は寝込んでいた。
 なゆみはがっかりとしてしまったが、無防備に隣で寝ている寝顔がかわいくて、暫く見つめていた。
「氷室さん、私が寝込み襲いますよ」
 なゆみの気持ちなど知らず氷室はスースーと寝息を立てて、暢気に寝ていた。
inserted by FC2 system