Temporary Love2

第二章


 二人がホテルに着くと日付は変わっていた。
 なゆみは、ジェイクに描いてもらった絵をベッドの側に設置てあったサイドテーブルのランプを端によけ、壁側にもたせかけて置いてみた。
「氷室さん、この絵忘れないで持って帰って額に入れて飾っておいて下さい。私が帰るまで大切にして下さいね」
「ああ、もちろん」
「あれっ?」
「どうした?」
「あのちょっとくしゃくしゃだったビーチの絵知りません?」
「自分の滞在している家に持って帰ったんじゃないのか?」
「いいえ、あれもここに置いてたんですけど。あれ? どこいったんだろう」
 なゆみは家具の隙間やベッドの下、引き出しなどを開けて探し回った。
「ハウスキーパーがゴミだと思って捨てたとか?」
「それはないでしょう。ゴミ箱に入れてないものはあの人たち勝手に捨てませんよ。もしかして氷室さん、くしゃくしゃだったから間違えてゴミ箱に捨てちゃっ た?」
「いや、俺、その絵触ってないけど?」
 なゆみは絶対間違えて捨てたとちょっと氷室を怪しんで見てしまった。
「おいっ、疑うなんて怒るぞ」 
 氷室はなゆみを羽交い絞めにするように抱きしめた。
「罰だ。お仕置きしてやる」
 なゆみの耳元で甘く低い声色を使い首筋にキスをし始めた。
「氷室さん、ちょ、ちょっと待って下さい」
「なんだ?」
「あの、シャワー浴びてもいいでしょうか? 今日はハラハラしすぎて冷や汗一杯掻いてしまいました。やっぱりあの万事整えて、その…… それから……」
「お前な…… わかったよ。好きなようにしろ」
 なゆみはにっこりと微笑むが、少し恥じらいも入っていて苦笑いっぽくなっていた。
 もうすでに胸は暴れるほどドキドキして、こういう場合どう対処していいか分からない。覚悟はできてるとはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしい。
 最終段階へ入るための息継ぎが欲しいと、そそくさと慌ててバスルームに走った。
 氷室はその気持ちを察してふと笑ってしまう。
 なゆみがバスルームに篭ると、暫くして勢い良くシャワーが出る音が聞こえた。
 氷室もまた準備をするようにスーツケースから例の箱を取り出す。
 とうとう使うときか来たかと思うと同時に、凌雅がニターっと笑う顔が目に浮かんだ。
「悔しいけど、使わせてもらうよ」
 まるで目の前に凌雅がいるように氷室は独り言を呟いていた。
 それをベッドの側のサイドテーブルに置き、氷室は上半身裸の下着姿になってシーツに絡まった。
 天井をじっと見つめながら、部屋一杯に響き渡るシャワーの水の音を耳にしている。
 なゆみがバスルームから出てくるのを静かに待っていた。
 なゆみは熱いお湯を浴びながら、これからのことにドキドキしていた。それでも自分の望んでいることだと全てを氷室に任せる覚悟でシャワーを浴びていた。
 出てきたとき、ホテルに常備されていたバスローブだけを身に纏い、ベッドに向かう。
 小さな声で「氷室さんお待たせ」などと恥らった声を出すと、氷室が返事した。
「フガー」
「えっ? 氷室さん?」
 氷室はすっかり寝てしまっていた。
 ベッドの隣のサイドテーブルには二人の似顔絵と一緒にあの箱が置かれている。
 なゆみはそれを見てくすっと笑うと、電気を消して、氷室の隣に潜り込んで一緒に横になる。
「今日は氷室さん一杯活躍して疲れましたもんね。ゆっくり寝て下さい」
 これも氷室と一緒に寝ることには変わりないと、寄り添って目を閉じた。
 なゆみも疲れていたのか、眠りに落ちるのにそんなに時間はかからなかった。

 早朝、氷室が目を覚ますと、キッチンで服を着替えたなゆみがすでに朝ごはんを作っていた。
「なゆみっ!」
 氷室はがばっと起き上がった。
「あっ、氷室さん、おはよう」
「あれ? 俺、昨晩? あれ?」
 なゆみは氷室に近づいて、ベッドの淵に腰掛けた。
「氷室さん、昨晩はすごかったですよ」
「えっ、俺、何も覚えてないんだけど」
「イビキが。お陰で早く起きられました」
「なんだよ。やっぱり寝ちまったのか。すまない」
「何、謝ってるんですか?」
 氷室はなゆみを抱きしめた。
「それじゃ、今から」
「えっ、ダメ」
「なんで?」
「焦げてる」
 なゆみは慌ててキッチンに戻りフライパンを持ち上げていた。
「俺ってとことんタイミング悪いんだな」
「氷室さん、今日は観光に行くでしょ、早く行きましょう、ディズニーランド。私、戻ってあのお揃いの服に着替えてますから、氷室さんもそれ着て下さ いね。その前にご飯食べてシャワーどうぞ。そして後で 迎えに来て下さい」
「そんなに慌てなくても、それに飯は食わないで歩いて帰るのか?」
「私、朝食べられなくて、いつも飲み物だけなんです。とにかく早く行きましょ。それじゃ家で待ってますから」
 なゆみはアメリカの朝食らしくお皿に目玉焼きとソーセージとイングリッシュマフィンを盛り付けて、テーブルに置くと、荷物を持って部屋を出た。
 氷室は頭を掻きながら、上手く行かないもんだと、前夜に用意した箱を見つめていた。

 朝は冷え込んだ空気が肌に冷たく当たる。霧が出ているが、日中は太陽が出てまだまだ暑い日になるだろうと期待して、なゆみは少し震えながらもスタスタと 道路脇を 歩いていた。
 まだ朝早く車の通りも少なく、人もなゆみ以外歩いていなかった。
 老いたジェイカブから譲り受けた絵のことを考え、どこに行ったのだろうと、やっぱり自分の部屋にもって帰ったのだろうかと絵が無くなった事を気にしてい た。
 すると霧から浮かび上がるように前からあの年老いたジェイカブがスケッチブックを小脇に抱えて歩いてきた。
 なゆみははっとして立ち止まると、ジェイカブもなゆみの方に視線を合わせている。
 そしてジェイカブが「ナユミ?」と小さく呟いた声を発したように思えた。偶然そう思い込んで、気のせいだったかもしれない。
 なゆみは咄嗟のことになんて言っていいか分からずにとにかく笑顔で軽く会釈する日本的な挨拶を返していた。
 なゆみがジェイクとマリアの話をしようとすると、なゆみの後ろから子供が「グランパ」と呼んでる声が聞こえてくる。
 なゆみが振り返ると、そこにはかわいい女の子が霧の中から浮かび上がるように現れた。そしていきなりこけてしまい、あっという間に泣き声が響いた。
 なゆみがかけつけようとする前に、ジェイカブがなゆみを通り過ごしてすぐに女の子に近寄って抱き上げる。
 霧の中で薄っすらと二人の光景が霞んで見えた。
「(大丈夫かい?)」
 女の子は泣き止み、ジェイカブに抱きつき甘えている。そこにもう一人年老いた女性が慌てて走ってきた。
「(やっと追いついた。年取るとだめ、孫にはついていけないわ)」
「(何言ってるんだ、マリア。君はまだまだ若いよ)」
「(ジェイク、それより絵はいつ出来上がるんだって仕事の催促の電話入ってたわよ。有名になると、最近仕事さぼりがちなんじゃない。若い頃は一生懸命描い てたのに)」
「(若い頃で思い出した。そういえば、あの二人はどうしてるんだろうね)」
「(ああ、私達の天使達のことですね。あの二人が居なければ、私達は出会わなかったですもんね)」
「(あの二人から貰った服もまだ取ってあるよな)」
「(あの服もラッキーグッズでしたね。ジェイクがビーチであのスーツを着てドレスを身に纏った私を描いていた時、声を掛けられたのがきっかけで画廊経営者 と知り合って絵が売れるようになったんでしたね)」
「(そうだったな。とにかくあの二人はまさに天から降りた天使だったよ)」
 なゆみはその会話を聞いて驚いた。
(マリア? ジェイク? あの二人? 天使達? あの服? えっ? えっ? 英語の聞き間違い?)
 なゆみは声を掛けようとしたが、三人はすーっと霧の中に消えていくように去っていった。
 二人の会話は英語だったので、どこまで自分の読解力があるのか定かではなかった。それに服の話の件(くだり)はよく分からなかった。
 なゆみは狐につままれたように、暫く動けずにいた。

 その後、家に戻り氷室が迎えに来るが、車に乗り込んでもなゆみは一言も話さず助手席でぼーっと前を向いて考えていた。
「おいっ、なんか変だぞ」
「氷室さん、タイムスリップって信じます?」
「えっ? いきなりどうしたんだ?」
「氷室さん、笑わないで聞いて下さいね」
 なゆみは朝起きたことを氷室に説明した。
 なゆみはまた馬鹿にされるのではと話し終わって、氷室の皮肉な突込みを恐れていた。しかし予想に反して氷室は真面目に答える。
「お前、絵を探して見つけられなかっただろ。もしかしたならば、その絵は未来に存在しなくなったってことじゃないのか。だから消えた」
「えっ?」
「お前が、二人の未来を変えて、悲しんでいたジェイクは存在しなくなり、当然その絵も描かれることがなくなった。そう考えたら辻褄が合うぞ」
「でもほんとに捨ててしまって、あの老夫婦の話が偶然にジェイクとマリアの話に当てはまっただけかも」
「でも、年老いたジェイカブはお前を見て”ナユミ”と呟いたんだろ。だったらお前を知ってるってことだ」
「いや、でもこの間ビーチで会って自己紹介したし」
「だけどそのとき、彼女と結婚せずに事故で先立たれたとか言ってなかったっけ? しかも画家になるの諦めたんだろ」
「あれっ、そしたら朝会ったジェイカブは孫までいたし、絵描きの仕事しているようだった」
「ほら、やっぱり、お前が未来を変えたんだよ」
「やっぱりあれはタイムスリップ? でも私の知らない話もしてたし、偶然の一致かな」
「だけどそう考えた方が楽しくないか?」
「結局は氷室さんはどう思ってるんですか?」
「いや、わからん。アメリカだし、何が起こってもありでいいんじゃないか?」
「そんな、なんかすっきりしない」
 なゆみは益々、眉間に皺を寄せて混乱しては、自分が経験したことが全く信じられなかった。
 そして二人は夢の国のディズニーランドで更に現実と夢の狭間が曖昧になっていくようだった。

 その日は楽しく二人でディズニーランドで過ごしたが、ホテルに戻ってきたとき氷室が体の異変を訴え出した。
「氷室さんどうしたの?」
「なんか腰痛い」
「えっ、大丈夫? ぎっくり腰?」
「そこまで酷くないんだ。多分最後に乗ったスペースマウンテンで、重力がかかって、グキッてなったような気がする。そのときからなんか変だった」
「どうしよう。ちょっと氷室さん、ベッドにうつぶせになって」
 氷室は言われたとおりに寝転がると、なゆみは腰を押さえ込むようにマッサージをし出した。それでもよくならないので、荒治療とばかりに、なゆみは氷室の 腰の上に跨って 体をそらすように氷室の腕を引っ張った。
「いてっ」
「やっぱりだめ?」
「一日寝たら治るかもしれない」
「それなら安静にしてて」
「すまない。今日こそはと思っていたのに」
「えっ? やだ、そんなこと気にしてたの。大丈夫だから。氷室さんの隣で一緒に寝られるのも幸せ」
「俺もお前が側にいるのは嬉しい」
 その夜、二人が体を寄せ合って寝ている側で、あの箱はまだ同じところにずっと置いたままになっていた。
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