Temporary Love2

第三章


 授業が終わり教室からなだれて出てきた人を掻い潜りながら、なゆみは大急ぎで氷室が待っているいつもの中庭へと向かった。
 明日氷室は帰ってしまう。
 毎日迎えに来てくれることですっかり当たり前になってしまっていたが、これが最後のお迎えであり、そして一分一秒も無駄にはできない。
 走ってそこに向かえば、氷室はテーブルについて辺りを見回し、なゆみのことを同じように探していた。
「氷室さん、お待たせ」
「よっ! 終わったか」
 なゆみは氷室に寄り添うが、いつもよりも強く氷室の腕を抱きしめた。
「痛いぞ」
「だって明日は氷室さんいないんだもん。これで最後だと思ったらいてもたってもいられなくって」
「おい、最後ってまるでこれで終わりみたいなこと言うな。ほんの暫く我慢するだけだろうが。一生会えない訳じゃない。またすぐ会える」
 なゆみの前では強がってみたものの、氷室もまた毎日会えなくなることに寂しさが募る。
 本当は一緒に帰ろうと言いたくなる気持ちをぐっと堪えて、氷室は無理に微笑んでいた。

 昼食を取った後、二人はショッピングモールへ買い物へと向かう。
 色んな店の前を二人は手を繋いで仲睦まじく歩いていた。
 氷室が明日帰ってしまうということで、気持ちが高ぶってなゆみは甘えてはしゃいでいるようにも見える。
 よく考えればまだ二十歳であり、まだまだ子供っぽい部分をみて氷室はこの先もなゆみが自分だけを見てくれるのか少し不安になってくる。
 自分が一回りも離れてることに少し不安げになってしまった。
 ショーウインドウに時々映る自分達の姿を見て、ちゃんとカップルに見えるだろうかと時折確かめていた。
「弟さんへのお土産には何を買ったんですか?」
「無難にTシャツ」
「弟さんって何が好きなんですか?」
「凌雅の好きなものって言ったら音楽かな。あいつギター弾くから」
「へえ、音楽家なんだ。氷室さんのところは兄弟揃って芸術肌なんですね。才能がある家系ですね」
「お前、楽器演奏にも萌えるなんていうなよ」
「あら、わかっちゃいました? 私才能見せられるとなんでも萌えちゃいます」
「これからそれは俺だけにしとけ」
「もちろん氷室さんは特別です。萌えの質が違います」
「どんな萌えだよ」
 なゆみは一層氷室の手を力強く握った。それがなゆみの答えであり、氷室の手に触れることが最高だと意味していた。
 なゆみも時々ショーウインドウに映る自分達の姿を見ていた。氷室が自分の恋人だということがまだ信じられない。
 氷室が翌日帰ったら、それは幻で終わるのではと突然不安になってしまう。
 しかし、胸に赤く光ったものもショーウインドウに映りこんだとき、ふとエンジェルの存在に気がつき胸元が温かく感じると同時に自然と微笑みが現れた。
 そっとそれに触れてみる。
 氷室がくれたエンジェルのネックレス。
(絶対に幻なんかじゃない)
 なゆみは氷室を見つめて心の中で呟いた。
 氷室も視線を感じるとなゆみを見つめ、そして同時にエンジェルのネックレスが目に入った。
 それが赤く光ったように見え、自分達の愛がそこに凝縮されているかのように感じてはそれに励まされる。
(俺達の気持ちは通じ合っているんだ)
 氷室もなゆみを見つめて心の中で呟いた。
 どちらもお互いの気持ちに応えるかのように笑っていた。
 二人が再びショーウインドウに映っている自分達を見たとき、そこには誰が見ても幸せ一杯の恋人達がいた。
 この先暫く会えなくても、好きだと言う気持ちはずっと変わらない。
 氷室もなゆみも同じ思いを抱きながら、この瞬間が未来にまで続けと二人はしっかりとお互いの手を握り合っていた。
 
「あっ、氷室さん、楽器のお店がありますよ。ギターも一杯」
「いや、さすがに弟の土産には買えない」
 二人はギターが展示されているショーウィンドウを覗いていた。
「あっ、それなら! ちょっと待ってて下さい」
 なゆみは何かに閃いたように店の中に入っていった。ごそごそとして店の中で何かを見つけて買っている。
 そして出てきたとき、小さな茶色い紙の袋を渡した。
「これ、私から弟さんに。気を遣ってくれたお礼」
「なんの気を遣ったんだよ」
 結局はあの箱の中身を使わず仕舞いだったと、氷室はまた思い出してしまった。
「でも、お土産は多い方がいいでしょ。小さなものだけど」
「一体何を買ったんだ」
「エレクトリックギターのキーホルダー」
「なるほど、ありがとうな。凌駕も喜ぶよ」

 氷室となゆみは一度ホテルに戻り荷物の整理をする。
「このホテルともお別れですね」
「ああ、なんか自分のマンションよりもこっちの方が広くて住みやすかったよ」
「氷室さん、絵、忘れないで下さいね」
 氷室は一度見つめてからそっと丸め、用意していた筒に入れ大切にスーツケースにしまった。
「大体は片付いたから、バーバラの所に挨拶に行こうか。その後は夜景でも見に行くか」
「はい」
 氷室はバーバラに最後の挨拶をすると、名残惜しいと力強いハグをされ、最後はほっぺたにぶちゅーっとキスまでされてしまった。
 氷室は苦笑いになりながらも、自分が居ない間なゆみのことを頼むと何度も念を押していた。
 特に悪い虫がつかないように見張っててくれとなゆみには聞こえないようにこっそりとお願いする。
 バーバラは豪快な笑いを返しては、それは大丈夫だと自信を持って受け答えしていた。

 軽く夕飯を済ませた後、二人は夜景スポットで知られる小高い丘に来て街に浮かぶ光を見ていた。
 夜空には星も瞬いている。
 平日のこの日の夜は愛を誓い合う恋人達も観光客も周りに居らず、そこは貸しきり状態のプライベートな空間となっていつまでも二人の世界に浸れた。
 目の前に広がる幻想的な光景は、最後のアドベンチャーラブのエンディングにふさわしい。
 氷室もなゆみも最後のシーンのフィナーレを飾るようにお互いを見つめ、寒さに負けないくらいの熱いキスをしていた。
「さすがに夜になると冷えるな。お前風邪引くなよ」
「氷室さんこそ、明日飛行機に乗るんですから、早くホテルに戻って寝た方がいいかも」
「カリフォルニア最後の夜だ。徹夜でもいいくらいだ」
 二人は体を密着して宝石のように散りばめられた街の明かりを見つめる。
「いろんなことがあった二週間でしたね。氷室さんが目の前に突然現れたとき、ほんとにびっくりでした」
「ありすぎてどれもびっくりだったよ。最後の締めは銃を向けられて金を出せって脅されたけどな」
「えっ、いつ?」
 氷室はマリアとジェイクに会いに行ったときの話しをしてやった。
 なゆみはなんとも言えずに、とことん何かに巻き込まれる自分達だとため息をつく。
「氷室さんが無事でよかった。でもよく銃が偽物だとわかりましたね」
「ああ、至近距離だったのもあったから銃口にライフリングがないのに気がついたんだ」
「ライフリングってなんですか?」
「弾がでてくるところがあるだろ。本物はそこにねじみたいに溝が入ってるんだ。散弾銃などはないんだけど、普通の本物の銃は必ず入っている」
「へぇ、よくわからないけど、氷室さん詳しいんですね」
 二人が会話に夢中になってるとき後ろに誰かそっと近づくものがいた。
 そして黒い塊を氷室となゆみに向けて声を掛ける。
「(邪魔して悪いんだけど、ゆっくりと振り返れ)」
 氷室となゆみが何事だと振り返ったとき、初めて自分達が銃を向けられていることを知り、ドキッと肝が冷えた。
「氷室さんっ」
 なゆみは怯えて氷室に寄りかかる。
「おい、またかよ」
「(何を喋ってる。英語がわからないのか。とにかく金を出せ。金をくれたら危害は加えない)」
「氷室さん、あの銃はライフリングありますか?」
「いや、暗すぎてよく見えない」
「(おい、ごちゃごちゃ言わないで、金を出せ。お前ら風穴開けられたいのか)」
「氷室さん、現金いくら持ってます。私20ドルくらいしかないです」
「俺は全く現金持ってない」
 また絶対絶命のピンチに二人は出くわして、震え上がる。
 たかが20ドル渡すだけでは命の保障がない。
 氷室はどうすべきなのか、自分達に向けられた銃を見ながらごくりと唾を飲み込んだ。
「(何をもたもたしてる。金はどうした)」
 そのときなゆみの胸のエンジェルが光ったように見えた。それに励まされるように氷室は腹に力を入れる。
 そして一大決心をして一か八かの賭けに出た。
「(財布は、車の中に置いてきてしまった)」
「(じゃあ取りに行け、ほらさっさと歩け)」
 氷室はなゆみの肩を支えて歩き出す。
 男は銃口を向け、二人の後をつけている。
「なゆみ、いいか、すぐ車に乗れ」
「氷室さん、逃げ切れるでしょうか」
「大丈夫だ。俺が必ずお前を守る」
 二人はこそこそと話していた。
「(おい、何を話している)」
「(金はやる。だから危害を加えるな)」
 氷室は車のドアを開け、運転席から前屈みに入り込んで手を伸ばしてグローブボックスをそっと開けた。
 中から玩具の銃をすばやく掴むと、体制を整え男に挑むように同じように銃を向けた。
 男は予期せぬ展開に驚き、一瞬だけ怯んだ。
 氷室はそれを見逃さず、足で銃を持っていた男の手を力いっぱい蹴り上げる。銃は宙を舞い、暗闇のどこかに落ちた。
「なゆみ、早く車に乗れ」
 なゆみは一目散で助手席に乗った。
「(さあ、立場は逆転した。日本人を舐めるなよ。俺も銃ぐらい持ってるんだよ)」
 男は怯んだ。なんとかしようと落ちた銃を探そうとする。
「(おっと、動くんじゃねぇ。どうせお前の銃は偽物だろ。こんな馬鹿なことをするな)」
 氷室は銃を向けたまま、後ろ向きで車に乗り込み、鍵を車に差し込みエンジンをかけた。
 準備が整ったとばかりに車のドアを慌てて閉め、車を発射させる。
 そのとき男は落とした銃を手に掴んでいた。
「なゆみ、逃げるぞ」
「氷室さん、怖いよ」
 氷室はアクセルを踏み込み猛スピードでその場を去る。
 なゆみは後ろを振り向き、男の様子を伺っていた。
「氷室さん、あの男、なんか銃を構えたようなポーズとってますよ」
 氷室は慌てて、ハンドルをジグザグに切ったとき、後ろで『バーン』と派手な音が聞こえた。
「うわぁ、本物の銃だった」
「ひぇ〜、氷室さーん」
 二人は腰が抜けるほど震え上がって、命からがら丘を降りていった。
 ある程度逃げ切ったと思ったが、まだ後ろから追いかけてきてる錯角が拭えない。
 どこを走ってるかわからないまま、ひたすら逃げていた。
 少し賑やかな道路までやってきたときやっと落ち着いて周りを見る余裕が出てきた。
「あっ、パトカーだ」
 偶然にも目の前に現れ、氷室は報告しなければと後を追いかけた。
「その前に氷室さん、シートベルト」
「ああ、そうだった」
 慌てて、シートベルトを装着し、氷室はパトカーに近づき、窓を開け首を出して隣に並んだパトカーの中を覗き込み呼び止めようとしていた。
 警察官は訝しげになりながら車を道路際に寄せて停まる。車から出てきた警官は警戒心を持って後ろに停まった氷室の車に近づくが、訳を聞いてすぐさま無線 で連絡を取り合っていた。
 そして犯人の特徴を聞かれたが、暗かったのもあるが銃に気を取られすぎて何も覚えてなかった。
 その後、警察官は氷室たちに絶対捕まえるからと安心させる言葉を残して去っていった。
 氷室の足元に玩具の銃が転がっていた。
 あの時あの男に玩具の銃で襲われなかったら、この危機を乗り越えられなかったかもしれない。
 その銃を手に取り、暫くじっと見つめてしまう。
 自分が助けたと思った相手に実は助けられてたと気がついて、氷室はあのくたびれた男に感謝していた。
「犯人捕まるでしょうか」
 なゆみは去っていくパトカーを見つめながら不安げに呟いた。
「捕まってくれることを願うしかない」
 氷室は銃を後ろの座席に放り投げるとエンジンをかけ車を走らせた。
「でも、氷室さん、すごくかっこよかったです。アクション俳優みたいでした」
「いや、もうちびりそうだった」
「ええ〜」
「だけど最後の最後までなんでこうなるんだ」
 氷室が嘆く。
「でも、私達なんやかんやと危機一髪で免れて結局はついてません? これって運が良いってことなんでしょうか」
「もう、そういうことにしておこう。運が悪かったらゲームオーバーで俺達そこで終わってしまうもんな。ということは、このアドベンチャーはクリアーして やっぱりハッピーエンドっていうことか」
「でも第二弾とか言わないで下さいね」
「いや、次はまた新たな序章が始まるんだよ」
「えっ、どんなですか?」
「俺達の未来に向けて、これから先のゴールに向かってのことさ」
「それって……」
「ああ、そうだ。でも今はなんの準備もしてないから正式には言わない。お前が帰国したとき、その言葉が言えるように俺は最高のシチュエーションを用意して おくよ」
「氷室さん……」
 なゆみは言葉が出ないほど胸の中で気持ちが溢れ返る。
 そのまま暫く静かに黙っていたが、氷室の言葉の意味が心をドキドキとさせて体の中は騒がしかった。
 氷室もまた自分が言った言葉の重みを感じている。
 この先の未来へとしっかりと進む決意をしては、なゆみの手をそっと握っていた。
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