Temporary Love3

第一章

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「運転手さん、お世話になります」
 なゆみが助手席で、気を遣って話しかける。
「どうぞ気になさらないで下さい。これも私の仕事ですから」
 その運転手は笑みを浮かべて優しく語り掛ける。小柄な初老の男性で、人の良さそうなところが腰が低い印象を醸し出していた。
 スコットにこき使われてそうとついなゆみは思ってしまった。
 だがこの運転手が送迎に選ばれたのは、スコットの気遣いがあるのではと勘ぐらずにはいられなかった。
 送ってもらう立場ながら、その運転手の人柄で車の中でリラックスできたからだった。
 後ろで虎二と竜子もゆったりとした気分で座っており、好き勝手に話をするくらいだった。
 運転手は心得ているように邪魔することなく、聞いてないフリをして雰囲気を壊さず静かに運転する。やはりそこにも細やかな配慮がされている。
 そういうことまで、もしスコットが考えてこの人を運転手に起用していたとしたら、本当にすごいとしか言えない。
 なゆみはスコットに関心してしまう。危険な奴だとわかっているのに、気遣いやビジネスセンスを見せ付けられ、才能ある男という印象が強く残る。
 そこに仕事を持ちかけられると少し自分を見失 いそうになっていた。
 ぼーっとしていたとき、後ろから聞こえた言葉でなゆみは我に返った。
「氷室さんはなかなか誠実そうでしっかりした男だな」
 車の後部座席に座った虎二が独り言のように呟く。
「お父さん、何よ今頃。そういうことは本人の目の前で言ってよね。もう最初は冷や冷やしたんだから」
 なゆみはそれに反応して助手席から振り返る。
「すまなかったな。なんかどうしても素直に言えなかった。頑固なもんでね」
「でも、お父さん……」
 なゆみの声が小さく心配したようなもどかしい言い方になると、竜子は病気のことを話すと感知してそれを阻止するために話に割り込んだ。
「それにしてもスーさんも氷室さんも凌雅君もほんとにかっこよかったわ。目の保養になった。眼福眼福」
「お前は何を言い出すんだ。わしが若ければあの三人に負けてなかったぞ」
「あらそうかしら、背の高さでは完全に負けてるわよ。足も短いし」
「よくそんなことが言えるな。それでもそんなわしを選んだのはお前だぞ」
「そうね、なんか選んじゃったわよね。色々あったけど、夫婦って結局こういうもんよね。これから先何があろうと、私はあんたの面倒見るわよ」
「なんじゃその言い方は。心配などいらんわ。わしはいつだって元気じゃ。この先もずっとな」
「はいはい」
 自分の両親のやり取りを久し振りに見てなゆみはどこか安心する。
 虎二の病気の疑いも竜子が一生懸命遠まわしに心配するなと言っているのが伝わる。
 それなら自分もしっかりしなければ、ふらふらしてはいけないとなゆみはぐっとお腹に力を込めた。
「これから仕事探さなくっちゃ。今まで自由にさせてくれた分、頑張るからね」
「お前はいつだって一生懸命に頑張るじゃないか。これからも好きなようにしたらいい。なあ母さん」
「そうね、これからよね、もっと好きなことができるのは」
 なゆみは面と向かって応援してくれる両親の思いに涙ぐみ、それを悟られるのが嫌で一生懸命前を向いて耐えていた。
「それにしても、氷室さんの靴下、あれなんか色違いだったけど、今ああいう履き方流行ってるのか?」
 虎二が不思議そうに聞いた。
「そうよね、私もそう思ってたのよ。かっこいい人は何を身に着けてもよく似合うし、あれもなかなか斬新だったわ。お父さんも真似してみたら」
「そしたら靴なんかも色違いで履くのも面白いかもな」
 なゆみは真剣に氷室の色違いの靴下のことを話している両親がおかしくて、大笑いしてしまった。
 お陰で違う涙が出てきて、訳が分からずに素直に泣いてしまった。
「なゆみ、大丈夫? 時差ぼけって頭もぼけてくるみたいね」
 相変わらず竜子は暢気なことを言う。
 普通の時に言われたらなゆみは腹を立ててたかもしれないが、このときは本当に訳がわからなくなって時差ぼけのせいに自分もしておいた。
「お父さん、お母さん、留学させてくれて本当にありがとう」
 お陰で照れくさい感謝の気持ちも素直に言えた。
 虎二と竜子の方がなんだか照れて顔を見合わせていた。
 そのやり取りを黙って聞いていたものの、運転手は自分の課せられた仕事を真っ当するように運転を試みる。しかし親 子のやり取りが微笑ましいと ばかりに口元が笑っていた。

 スコットから場所を叩き込まれていたのか、なんのトラブルもなく車は家に着いた。
 運転手は最後まで徹底的にビジネスの姿勢で斉藤一家に礼儀を尽くす。トランクを開けスーツケースまで取り出してくれた。
 一同は運転手に丁寧にお礼を伝える。
 そして車は去っていき、虎二はなゆみのスーツケースを家の中に運んでいた。
 なゆみは「ただいま」と一歩入り玄関を見つめた。
 久し振りに家に戻ってくれば、忘れていた自分の家の匂いが鼻についた。
 住宅街にある普通の一戸建ての家。
 元々大きくないが、アメリカの広々とした空間に慣れてしまっていたので、さらに自分の家が小さく見える。
「こんなに天井低かったっけ」
 家に無事に戻れたのはそれなりに嬉しいことだったが、ふとアメリカで過ごした生活を恋しく思う。
 アメリカで過ごした楽しい日々を思い出せば、なんだか寂しくなってきた。
 アメリカに居たときは氷室に会えないことが寂しかったが、帰ってくればまた違う感情が複雑に現れる。
 疲れもあったが、頭の中がごちゃごちゃとして自分の置かれている状況がよく飲み込めてなかった。
 慣れるまで少しの時間が必要だった。
 居間に入れば、テレビが大きくなっていた。所々の置物などの装飾品も変わっている。
 ふと壁に目をやれば大きく引き伸ばされた写真が飾られていた。
 虎二、竜子、スコットが写り、さらにもう一人外国人が写っていたが、見覚えのある顔だった。
 バックの背景を見ると虎二の店の中で撮られたものらしい。
 なゆみはそのもう一人の人物を目を見開いて見つめてしまった。
「お母さん、この写真に写ってる人って」
「ああ、その人、かっこいいでしょ。スーさんの友達だって。日本に来たときお父さんの店に連れて来たの」
「お母さん、この人誰だか知ってるの?」
「なんか映画に出てる人でしょ。この人も日本好きでよくお忍びでくるらしのよ」
「映画に出てるって、この人超有名なハリウッド俳優じゃない。この人がお父さんの店に来たの? しかもスコットの友達!?」
 なゆみはひっくり返りそうになった。
「スーさんのお陰で、なんかわしの店に外国人がよく来るようになってな、わしもちょっと英語勉強しだしたよ。スーさんも教えてくれるんだ」
 虎二はテキストを一緒に見せていた。
「一体スコットはお父さんの店で何をしてるの」
「いや、何でもしてくれるよ。接客はもちろんだが、トイレ掃除まで自ら進んでやってくれる。客を呼び込むには隅々を綺麗にしなくちゃならないとか言って、 常に掃除してくれる。 スーさんはまた努力家で、日本語も最初全く話せなかったのに、あっという間に習得して、すごい勉強家だし、常に先のこと考えてテキパキと動いているよ。 スーさん見てたらほんとに感心する。しかも心ばかりだけど、アルバイト料払おうとしても絶対に受け取らない。弟子にしてもらってるからそれで充分だとか 言ってな。こっちが心苦しいくらいだ」
 スコットがにたっと笑っている顔がなゆみの頭に浮かんだ。
「あの男、一体何者……」
「アメリカの有名な会社の社長の息子なんだろ。やっぱりできた人なんだろうな。なゆみも氷室さんやめてスーさんにしたらどうだ?」
「お父さん! 冗談でもそんなこと二度と言わないでよね」
 なゆみは身震いしてしまった。仕事に関しては有能な男なのは認めるが、あの裏に異常さが隠れていることも身をもって体験している。
 ここまで親がスコットの影響を受けているとは思わなかった。こんなにいいイメージを持っていたら、自分がされたことを今更両親に話せなくなる。話しても 絶対信じてもらえないだろうし、この調子じゃ却ってスコットとの結婚を勧められそうだった。
 なゆみは疲れたからと二階の自分の部屋に行く。
 帰ってきてそうそうスコット絡みの騒動には本当に疲弊する。
 ベッドの上に寝転がり、ふと目覚まし時計を見ると無意識に時差を計算していた。
「アメリカはこれから朝か」
 心にぽっかりと穴が開いたように何かが物足りない。欲しいものを全て手に入れた後だというのに、なゆみの心に寂しさが発生していた。そして不安さえ覚え る。
 その時竜子がなゆみの名前を呼びながら部屋に入って来た。手に持っていた電話をなゆみに向ける。ニタニタと笑いながら声を出さずに「氷室さん」と口パク していた。
 なゆみに受話器を渡し、竜子はすぐに部屋から出てパタンとドアを閉めた。
 なゆみは竜子の気遣いに気恥ずかしくなりながら、受話器を耳にあて「もしもし」と話始める。
「よっ! 会ったとこだけど、二人っきりで話せなかったから電話した」
「うん、ありがとう……」
「どうした、なんか元気ないな。まあ疲れてるから仕方がないか。とにかく、明日俺の仕事が終わったら会えないか? 食事でもしよう。もちろん二人っきりで だ」
「はい、わかりました」
 氷室は場所と時間を伝える。
「それだけ言いたかった。とにかく今日はもう寝ろよ。それじゃ明日な」
「はい、おやすみなさい」
 電話が切れるとなゆみは心の寂しさを追い出すようにふーと息を吐いた。
 氷室に会えばまた元気になれる。
「とにかく風呂入って寝るか」
 大きな欠伸とともに両腕を力いっぱい上に伸ばしていた。
 しかし、なゆみの心の中はどうしてもすっきりとしない。
 そのふらふらしたなゆみを黙って見過ごすわけには行かないと狙ってるものがいるのに、この時点ではまだなゆみの自覚が足りなかった。
 そしてあっさりと罠にかかろうとしていた。
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