第一章
8
それから暫くして襖が開き、虎二とスコットが入ってくる。お座敷にいたものは静まり返り一同虎二がテーブルにつくまでじっと見ていた。
「なんか、わし抜きで悪口でも話してた雰囲気だな」
虎二が竜子の顔を見て怪しんでいた。
「そんなことないでしょ。でも遅かったわね。そっちこそ何してたのよ」
自分が虎二の秘密をばらしたことで罪悪感を覚え、この雰囲気をなんとかしたくて竜子が話を振った。するとスコットが返してきた。
「虎二さん、スゴイ。ここのシェフとお友達」
「廊下で声を掛けられて振り向いたら、古くからの知り合いで、なんとそれがここの料理長だったんだ。わしもびっくりだった。それでちょっと話し込んでいた
んだ。あいつの料理とは知らずに食べてたけど、腕を上げたよ。わしも負けてられん」
「虎二さん、全然マケてない。虎二さんの方がスゴイ」
相変わらずスコットは虎二を持ち上げていた。
なゆみは何も言わず大人しく父親を見ながらじっとしてた。瞳が感慨深く父親を捉えている。
「なゆみ、起きたのか。なんだどうした。急に大人しくなって。やっぱり疲れてるんだろ。そろそろ帰るか」
「お父さん……」
「なんだ。まだ文句言いたいのか。お前の言いたいことは分かってるよ」
虎二は姿勢を正し氷室に向き合った。
「氷室さん、色々とこちらこそ失礼したな。竜子の言う通りだ。つい父親面してしまった。どうか許して欲しい。氷室さんは娘のことをいつも考えて大切にして
くれているのが見ていてわかったよ。娘のことこれからも頼みます」
虎二は頭を下げた。
氷室は突然のことに驚いてしまった。慌てて頭を下げ「こちらこそ宜しくお願いします」というだけで精一杯だった。
なゆみは父親の体の心配と、最後は折れて頭を下げる姿に涙をじわりと浮かべる。
竜子は側で自分の言った通りになったでしょと言いたげに微笑んでいた。
そしてスコットは話が違うと気分を害し氷室を睨みつける。
「それじゃそろそろ帰ろうか」
虎二が立ち上がると、周りのものも帰る準備になった。
凌雅は一部始終を見た後、スコットの側にいき「ギブアップ」と呟いてスコットの肩を数回叩いていた。
「ノー! ネバー!」
スコットは悔しさを抱き反発していた。そして虎二の側に行きもっと自分をアピールしだした。
虎二は聞いてはいたが、なゆみ次第だからと自分に言ってもどうしようもないと苦笑いしながら伝えていた。それでもスコットのことも大切だということを忘
れない。優しく背中を叩いてなだめていた。
スコットが居るといつでもトラブルが漏れなくついてくる運命なのか、最後も支払いのことで誰が払うか揉めてしまった。
スコットが誘ったことで彼が全て払うつもりだったが、氷室はスコットに借りを作るのを嫌がり弟の分を含めて自分の分は自分で払うと言い出してしまう。
また氷室とスコットがいがみ合ってしまい、両者引けを取らぬ戦いを見かねて虎二がその間に支払いをしてしまった。
「虎二さん、ダメです。これは僕のセキニンです」
「スーさん、いいんだよ。ありがとう」
「お父さん、自分の分は自分で……」
「氷室さんも気にしなさんな」
虎二は先ほどと違って丸くなった態度で氷室に笑っていた。自分がお父さんと呼ばれたことも照れくさかったみたいだった。
氷室もスコットも虎二の老成した態度に丸め込まれ、恥を知ったように大人しくなる。
「(ヒムロ、今日は虎二さんの前もあり大人しく帰るけど、また会うことがあったらそのときは容赦しない。なゆみは絶対お前に渡さない)
「(まだそんなことをいうのか。もうこれ以上邪魔をするのはやめてくれ。何か卑怯な手を使ったときはこっちも黙ってはいないから。俺の父は弁護士だという
こと覚えておけ)」
スコットは憎しみを込めた目で氷室を一瞥してから、すぐに笑顔を作りなゆみに近づく。
「(なゆみ、また連絡するからね)」
「(スコット、もう放っておいて、お願い)」
「(そうはいかないよ。次は仕事探しだろ。必ず僕が役に立てると思う。アメリカから帰ってきたんだ。やっぱり英語を使った仕事をしたいだろ)」
なゆみはそのときはっとした。全くその通りだった。
スコットはまだ奥の手が残っていると言わんばかりにまた不敵な笑みを浮かべる。
仕事のことを言われ、なゆみは一度に現実に引き戻された。
それは留学中も帰国してからのことをずっと考えていた。
本当はもう少しアメリカに居たいとすら思っていた。
英語を話すことが楽しく、ちょうど不自由なく話せてこれからもっと自分が何をしたいか見極めようとしたときに期限が切れ帰国しなければならなかった。
氷室に会える事はもちろん嬉しくても、この先結婚することだけを待つのは絶対嫌だった。
自分で何かをしたい。そして夢を大きく持って自分も仕事をしたい。
その気持ちだけが膨れ上がって、結局は中途半端に帰ってきてしまった。
スコットが示唆した仕事の話はなゆみの興味がそそられてしまう。それが危険な人物からであっても、スコットの人脈は自分には必要ではないだろうかとつい
したたかに思ってしまった。
スコットはこれでもアメリカの大企業の副社長だった。
なゆみは思わずスコットを見つめてしまう。
スコットは何もかもお見通しのように、なゆみに微笑みかける。まだまだ逆転があるとばかりにその笑みは自信たっぷりだった。