Temporary Love3

第一章


 スコットの用意周到はどんなときにも驚かされる。
 料亭を出るといつ準備したのか謎のまま、スコットが虎二にタイミングよく車を提供していた。運転手には自分の会社の部下を使っている様子だった。
「あいつ、ほんとに計算高いというのか、抜かりがない奴だ。次に何が必要か必ず先の先を見ているようだ」
 少し離れた場所で、氷室がなゆみのスーツケースを凌雅の車のトランクから出しながら呟いた。
「スコットが大企業の副社長なだけは確かにありますね。あの人本当に仕事はできる有能なビジネスマンみたい。目の付け所がやっぱりどこか違うって私も思い ます」
 なゆみもスコットに散々痛い目にあいながらも、冷静にそういうところは評価できた。
「あいつ、初めて会った俺ですら、怖いって思った。油断してたら兄ちゃん絶対抹殺されそう。そのうちヒットマンとか出てくるんじゃないのか」
「おいっ、縁起でもないこというなよ。俺が抹殺されるってそれなんだよ」
「だから例えだよ。それだけ危険人物だってこと。兄ちゃんだけじゃなく、ナユも気をつけろよ。あいつ、力づくでも手に入れようとしてるぜ」
「氷室さんから聞いたかもしれませんけど、それはもうラスベガスですでに経験済みです。あの時は怖かった。まさかそんなこともうしないと思うけど」
「いや、あいつはまだ何するかわからん。今回もなゆみの両親に取り入ってたくらいだ。これもあいつが日本に来てから準備してたことだ。もしかしたら、なゆ みの留学中、学校にスパイでも送り込んで色々情報を集めてたんじゃないのか」
「あっ」
「どうした? 心当たりでもあるのか」
「そういえば、ベスとあれから、仲良くなっちゃいました」
「おい、なんでそうなるんだ。スコットの妹で、俺も襲われたんだぞ。なんでそんな女と仲良くなれるんだよ」
「ベス、失恋しちゃって、それがあまりにも理不 尽な理由だったから、私が相手の男に腹立ってそれでベスのこと擁護したんです。それからなんか知らないうちに打ち解けちゃっ て……」
「なゆみ、お前って奴は」
「ベスって、そんなに悪い人じゃなかったんです。ちゃんと話し合えば、すごいいい友達になっちゃって」
「で、べらべらと自分の情報を喋ったのか」
「あっ、やっぱりそうなるんでしょうね。自分では気がついてませんでした」
 なゆみはまた怒られると思って意気消沈になってしまう。
「お前は、ほんとに甘いな。失敗から何一つ学んでないじゃないか」
「帰っていきなり氷室さんのお説教が始まっちゃいましたね」
 なゆみは身を竦めていた。
「兄ちゃん、俺もナユの力になるから、もうそんなに責めるなよ。ナユかわいそうだよ」
 凌雅に言われて我に返り、氷室はため息を大きくついた。
「とにかくだ。スコットには気をつけてくれ。一応父が弁護士だということで釘をさしたけど、それが通用する相手だとは思わない。もうアドベンチャーラブは 嫌だからかな」
「はい」
 なゆみはシュンとしてしまう。
 そんななゆみの姿を見ていると、氷室は触れたくてたまらなくなってくる。
 きつい事を言った後では特に抱きしめて安心させてやりたい。だがそれだけでは気持ちが済まされないだけに、凌雅が側にいると思うようにできなくてもどか しい。
 この時様子を伺うように不安気に氷室を見つめるなゆみの瞳を見てしまい、氷室は我慢の限界で欲望が抑えられなくなってしまった。
「凌雅、すまないが向こう向いてくれないか」
「なんだよ兄ちゃん、突然……」
 凌雅が言い終わらないうちに畳み込むように氷室は強く命令した。
「いいから向こう向け!」
 凌雅は不服そうな顔をし、言われるままに嫌々背中を向けた。
 氷室はそれを確認するとなゆみに近づき、手際よくさっとなゆみの顎を人差し指で持ち上げ、暗闇でよく見えないことをいいことにキスをした。
 なゆみは突然のことに驚いたが、久しぶりの氷室のキスに簡単に心奪われてしまった。
 暫く静寂さが漂う中、自分の後ろで二人が何をしているのか凌雅には簡単に想像がついた。頭の中でその絵が浮かぶと凌雅は嫌がらせで邪魔をせずにはいられ なかった。
「早くしてくれよ」
 甘いキスの最中、二人の世界に入り込んでいた氷室は物足りないながらも、凌雅の声で中断せざるを得なかった。
「今はこれで我慢する。とにかくやっと会えて嬉しいよ」
「氷室さん、私も」
 なゆみは最後に氷室に抱きつき、そして後ろを向いてる凌雅にも「凌ちゃん、バイバイ」と声を掛けるとスーツケースを転がして両親が待つ車へと走っ た。
 氷室もなゆみの両親が見えるところまで足を向け、丁寧にお辞儀する。
 虎二も竜子も車の中から礼をして、そしてトランクにスーツケースが詰め込まれるとなゆみも氷室に手を振って車に乗り込んだ。
 その後車が走り出すとすーっと暗闇に消えていった。
 スコットは最後まで車を見つめていたが、見えなくなると一言も発せず、冷たい視線を氷室に投げかけ自ら姿を消す。
 物言わずに去っていくスコットが不気味に思えたが、声を掛ける気もなく氷室もまた無視した。
「凌雅、帰るぞ」
「それじゃ俺が運転するよ。兄ちゃん疲れただろ」
「まあな」
 凌雅は気を紛らわすために自ら運転を名乗り出る。何かをしていないと余計なことを考えて、さらに要らぬ気持ちを引き起こしてしまいそうだった。
 運転席に座り鍵を差し込んでエンジンを掛け、左右と後ろを確認しようと首を動かし、ついでに助手席に座る氷室を一瞥した。その時、無理に後ろを振り向 かされたことがフラッシュバックする。
 そこにはどこかもやっとした感情が一緒につきまとい、凌雅のあどけない瞳が一瞬鋭くなった。
 いらぬ感情を振り払うように突然首を横に振り、気を取り直して車を動かす。
 氷室はなゆみのことを思い浮かべ、顔を綻ばせると呟きが漏れるように口から出てしまった。
「なゆみの奴、あんなにかわいくなりやがって、俺、益々惚れちまった」
「それ、自慢? のろけ?」
「どっちもだ」
「ふーん。なんか面白くねぇ」
「お前も早くいい女見つけろよ」
「余計なお世話だ」
 氷室にしては珍しかった。普段自分の感情を思うままに弟の凌雅に話すことはなかった。ましてや自慢など自分の持ってるものを凌雅に見せ付けるようなこと はしない。
 しかしなゆみのことに限っては例外だった。
 久し振りに会い、感情が高まり、そしてなゆみの両親にも結果的には認めてもらいすっかり箍(たが)が外れてしまった。
 久し振りに会ったなゆみは、氷室も驚くくらいいい女になっていたこともあり、つい浮かれていた。
 凌雅はそれが気に入らなかった。軽く嫉妬を抱いてしまう。
 そんな感情が表れたのはこれが初めてではなかった。
 初めて氷室の純粋に恋をする気持ちを羨ましく思ったのは、ジェイクが描いたあの絵を見たときだった。
 あの絵から自分が今まで付き合った女性と得られなかったものが見えたからだった。
 そして実際に会って言葉を交わしたなゆみは、凌雅が絵で見て想像していた以上に自分が欲しいと思うものを持った理想の女性だった。
 そして氷室が言ったように、本当に見掛けもかわいらしくなっていた。
 自分のことを凌雅と呼び捨てにしろと注文したり、なゆみのことをナユと呼んだのも、氷室に対抗してのことだった。
 だからこそ後ろを向かされたとはいえども、至近距離でなゆみとキスする氷室が素直に歓迎できなかった。
 こんな感情を持っているときにそんなところを見せ付けられたくない。
 氷室がなゆみに対して一生懸命になる姿を見るとつい凌雅は冷めた目つきになってしまう。
 そしてなゆみが氷室をうっとりと見つめる目を見るとさらに歯止めが利かなくなり、兄である氷室に嫉妬をしてしまう。
 なぜそう思ってしまうのか、本当はわかっているが、凌雅はまだその答えをはっきりと決め付けるのを躊躇った。
 自分でそれを認めてしまえば、兄と弟という関係が脆くなる。
 だからひたすら我慢する。
 葛藤だけが心でざわめき、凌雅は氷室に隠れるように胸の内に本心を閉じ込めた。
 凌雅は一言も発することなく車を運転する。
 いつになく厳しい目つきをしている凌雅が気になりながらも、氷室は気のせいだと軽くあしらった。
 スコットのことが問題過ぎて、氷室には凌雅の抱いている気持ちなど考えている余裕は全くない。
 ましてや凌雅がなゆみを好きになり始めているなどと、このときまだ想像もつかなかった。
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