Temporary Love3

第二章

10
 凌雅と別れた後、足取り重く自分の部屋に戻り、何もする気が起こらず氷室はベッドの上で頭を抱え込んで座っていた。
 半分しか血の繋がらない兄に拘って凌雅に疎まれていたことを知らされてショックだったが、凌雅もなゆみを好きになってライバル心をむき出しにしたことに 対しても二重にダメージを受けていた。
「今までの俺と凌雅の関係はなんだったんだ」
 氷室は携帯電話を手にしてなゆみに電話を掛けようとした。
 だが時計を見ればすでに夜遅く、両親と同居のなゆみの家の固定電話にかけるのを戸惑う。
「あいつ、なんで携帯持ってないんだよ」
 そんな時、メールが届いた。
 開けてみればスコットからだった。
『(今、なゆみの部屋。今日はここで泊まるんだ)』
「は?」
 氷室の目はまさに点になっていた。
「一体どういうことだ」
 氷室は我慢できずになゆみの家に電話を掛けた。
「夜分遅くすみません。先ほどもご迷惑を掛けたばかりですが、あの、氷室です……」
「あっ、氷室さん、ちょっと待ってね、なゆみ呼んでくる」
 電話に出たのは竜子だった。なんだか慌てている様子に聞こえた。
 足を揺らしてヤキモキして待っていると暫くしてなゆみが出てきた。
 しかしバックグラウンドの音も一緒に入ってくる
「もしもし、氷室さん?」
「ハロー、ヒムロ」
「スコット、ちょっと向こうに行ってよ。あーそんなところで寝ないで!」
「おい、一体何が起こってるんだ」
 なゆみの側にスコットがいるのは確かだとわかって氷室は気が気でない。
 なゆみも、あたふためいているその様子に不安がどっと押し寄せる。
「何も心配することないんです。スコットが来てるだけ……」
 心配かけないようにと言ってみたものの、これが一番の心配させる種だと思うと語尾が消えかけた。
「だからなんでそこにスコットがいるんだよ。もしかしてお前の部屋か?」
「はい、そうなんです。出て行かないんです。しかも私のベッドで寝ちゃってる。スコット、あんたはあっちでしょ」
 なゆみも奮闘していた。
「おい、なんでそうなってるか説明してくれ」
「今日、彼、父の店を手伝ってたんですが、閉店後に父が足を滑らして尻餅ついちゃって、その時腰を痛めた感じだったんです。それでスコットが心配して連れ て きてくれたんですが、もう遅いから父がスコットに泊まっていけって言ったら、喜んでいついちゃいました」
「おい、遠慮しろよ」
「(なゆみ早くおいで。一緒に寝よう)」
 わざと大きな声でスコットが電話の向こうで叫んでいた。
「(いい加減にしてよ! 私がスコットと一緒に寝るわけないでしょ。早く向こうに行って)」
「おい、なゆみ、大丈夫か」
「もちろん、大丈夫です。ところで氷室さん、なんか用事あったんですか?」
「スコットの奴、俺にわざわざこのことをメールで送ってきやがったんだ。でも話したいこともあったけど、それはまた今度だ」
「わかりました。じゃあ、あさっての土曜日は休みでしょ。氷室さんのマンションに行きますから」
「えっ? ほんとか」
「はい。だから待ってて下さい。それじゃそのときに。ごめんなさい、立て込んでるから切りますね」
 なゆみが電話を切る瞬間にスコットは氷室に嫌がらせを試みる。
「ナユミ、カモーン」
「(スコット、いい加減にしないと怒るわよ)」
 そして電話はその慌しさの中切れた。
 氷室は受話器を耳に当てたまま暫く呆然としていた。
「俺、なんでこんなについてないんだ」
 嘆きつつもなゆみの両親の前でまさかスコットも馬鹿なことはしないだろうと、このことに関してはまだ少し我慢できた。
 一番の気がかりは凌雅のことだった。
 次、会ったとき、どんな顔をしていいのかわからない。
 氷室はどこにぶつけていいかわからない苛立ちで頭を掻き毟っていた。

 一方、なゆみの家では、スコットがまだなゆみに絡んでいる。
 なゆみがなんとかベッドから引き摺り下ろしたものの、部屋から一向に出て行こうとせず、スコットは床に座り込んで居座っていた。
 立たせようと腕を取って引っ張り上げようとするが、なゆみの力ではとうてい無理だった。
 それを楽しむようにスコットは笑っている。
 何度も動かそうとするが、最後にはなゆみも力尽きて床に座り込んでへたばってしまった。
「(スコット、私の両親もいるのよ、変なことはしないでよね)」
「(寝静まったら大丈夫だよ)」
「(ちょっと冗談でもそれはやめてよ! それなら私、お母さんと寝るから)」
「(大丈夫、大丈夫、なゆみの両親の前では馬鹿なことはしない。それくらい自分も心得ているよ)」
「(だったら、早くここから出て行ってよ)」
「(少しくらいいいじゃない。あっ、ちょっと待って)」
 スコットは手に持っていた携帯を持ち出し、そしてどこかに掛けだした。
「(ハロー、ベス? うん、元気。今、なゆみと一緒なんだ)」
 スコットはなゆみに携帯を手渡す。
 戸惑いながらも、なゆみはベスと会話を始めた。海を越えた声を聞くと一度に顔が晴れやかになっていた。
 LAの空港に見送りにベスは来てくれた。その時なゆみは大泣きで別れを惜しんだ。
 一年間も楽しく過ごしただけに、帰る時はこの上なく悲しく辛い思いで涙が止まらなかった。
 ベスと話すことでまたアメリカでの生活を思い出し頻繁に同じフレーズが何度もでてくる。
「I miss you.(あなたに会いたくて寂しいわ)I miss California.(カリフォルニアが恋しい) I miss……(寂しい)」
 その言葉を側でスコットは口元をニヤリと上げて聞いていた。
 なゆみは料金が高くなってはいけないと受話器をスコットに返す。
「(うん、上手くいってる。わかった。ありがと。それじゃね、バーイ)」
 それだけ短く言ってスコットは電話を切った。
「(スコット、ありがとう。ベスと喋れて嬉しかった)」
「(ベスも喜んでたよ……)
 なゆみもベスが同じ気持ちだったんだと嬉しくなるが、その後スコットは続けた。
「(なゆみと僕が仲良くなってること)」
「(えっ、喜ぶところそこなの)」
「(早くカリフォルニアに連れて来いって言ってた。ベスも僕達のこと今では応援してくれてるよ)」
「(ちょっと待って、それは絶対にないから)」
「(どうして? なゆみはアメリカに戻りたいんだろ。それがなゆみの夢でもあるんじゃないの? アメリカで仕事を見つけてそこで暮らすこと望んでるで しょ)」
 スコットがわかっているといったなゆみの夢はこういうことだった。そしてなゆみの部屋に飾られていた星条旗を指差しアメリカに憧れていることは充分 わかっているんだと知らしめた。
「(それは……)」
 なゆみは言葉に詰まる。確かにそれは自分が憧れていることの一つだった。言い当てられて、スコットの先を読む力に益々脱帽する。
「(だから言っただろ、僕なら君の夢を叶えてあげられるって)」
「(スコットって鋭いよね。これは素直に参った)」
 なゆみは降参とばかりにふっと笑いながら下を向いた。自分でもそれを望んでいることは否定できない。
 望んでいてもそれに向かって追いかける事をどこかで抑えていたが、スコットに指摘され留学していた頃の楽しかった思い出が蘇り、色々と考えてしまう。
 もし夢を追いかけたらどうなるのだろう。なゆみに迷いが生じていた。
 スコットはそれを見逃さなかった。寧ろこの時を待っていた。
 そして即実行に移す。
「ナユミ」
 スコットに優しく名前を呼ばれ、顔を上げると、至近距離にスコットが顔を近づかせていた。
 真剣な眼差しでなゆみに語りかける。
「(夢を追いかければいいじゃないか。自分のしたいことを考えてごらん。そして僕が必ず力になる。一緒にカリフォルニアに帰ろう)」
 カリフォルニア──。自分の憧れの土地。なゆみの心はアメリカに飛んでしまう。
 一瞬の気の迷い。
 スコットから目が離せない。
 スコットはゆっくりとなゆみに接近し、透き通ったブルーの瞳をなゆみに向けて甘いムードを作り上げ、唇を重ねようとする。
 なゆみは自分を見失ったまま動けず、目の前の視界が形を成さずにぼやけ、そこにスコットの唇が迫ってる認識がなかった。
 二人の唇が触れようとした瞬間、スコットの携帯電話が音を出し、静寂な中で突然響いた音に二人はビクッとしてなゆみは我に返った。
 気がついたとき、なゆみは咄嗟に頭を引っ込め、側に転がっていたキティのぬいぐるみを掴み、スコットの顔に押し付ける。
 「オー、ガッシュ!」とスコットは驚きの声をあげた。
 あと一歩だったと悔しがりながらスコットが電話を見つめると、氷室からのメールが届いていた。
「(ヒムロ、こんなときに邪魔しやがって)」
 そのメールには「Stay away from Nayumi(なゆみには手を出すな)」と書かれていた。
 危機一髪のところで氷室はなゆみを救った。
「(あと一歩だったのに、悔しい。ヒムロめ! なゆみ、もう一回さっきの続きしよう)」
 スコットがシャーシャーと顔を近づけるが、なゆみはもう懲りたとばかりに軽くスコットの額をこついた。
「(スコット、もういい加減にして。それはありえないの。私の弱みに付け込んで心に入り込むのはやめて。私には氷室さんがいるの。さあ、もう私の部屋から 出て行って)」
「(だけどさ、なゆみはヒムロと上手く行ってないんじゃないのか。今日二人の写真を送ってきたけど、なゆみ笑ってなかった。あの写真はなん か無理やりって感じだった)」
「(全てはスコットが変なこと仕掛けるから氷室さん対抗しちゃって私も急なことで戸惑っただけ。お陰でその後も大変だったんだから)」
「(やっぱり、ヒムロの心乱すのは簡単だ。別れるのも時間の問題)」
「(だから、邪魔するのはやめてっていってるでしょ。とにかく早く出て行って!)」
 なゆみが強く怒ってドアを指差すと、スコットはこれ以上は不利益だと判断し、渋々と出ていこうとする。そしてドアを閉める前に振り向いた。
「(そうだ、土曜日、氷室に会うとか言ってたけど、今、台風が発生してるよ。ここを通過するのちょうど土曜日くらいだって。危ないから外出ない方がいいか らね)」
 最後の捨て台詞のようにスコットは言うとなゆみはドアをバタンと閉めた。
 やっとスコットが出て行ってくれてほっとしたが、もう少しでスコットにキスされるところだったと思い出すと自分の失態に情けなくて仕方がなかった。
「ああん、もう。なんでこんなについてないの」
 なゆみも嘆いていた。
inserted by FC2 system