Temporary Love3

第二章


「(なゆみ、元気? 今何してるの?)」
 スコットがどんな人物かわかっているのに、英語が耳に届くとなんだかそれに乗せられ調子付いて喋ってしまう。
「(元気だよ。家でゆっくり休んでる感じ)」
「(そっか。どう、今から会わない?)」
「(えっ? でも今日は夕方から用事があって……)」
「(ヒムロと会うんだろ。でも奴の仕事が終わるまでまだ時間があるじゃないか。それまででいいよ。一緒にランチでもどう? もう迎えをそっちにやったか ら、それじゃ待ってるから)」
  「スコット!」と最後に叫んだが、スコットは言いたいことだけ言うと電話は切れた。
 相変わらずの強引さになゆみは圧倒される。しかし、それが嫌じゃないと思えているところが怖くなる。なぜならスコットといると英語が喋れるからだった。
 そして計算されたかのようにタイミングよく家のチャイムが鳴った。
 なゆみが玄関のドアを開けて外を見れば、門のところでスーツを着た見知らぬ中年の男が無表情でお辞儀をした。その後ろには車が止まっていた。
「斉藤なゆみさんですね。スコットに頼まれて迎えにあがりました」
「えっ」
 なゆみは驚きつつも、スコットらしいそのやり方に感心するところまできていた。
 そしてその男は愛想もなくぶすっとしている。断り難い雰囲気があり、なゆみの方が却って気を遣って愛想笑いをしていた。
「すぐ支度してきます」
 もう断るという選択はなく慌てて支度にとりかかっていた。

 街の中心部にあたるところに密集して建っているビルの摩天楼。
 その中でも一際高く聳え立つビルへとなゆみを乗せた車は向かっていた。
 そのビルの地下に続く入り口に車は入っていく。
 車が止まり下車すると黙って案内されるまま、なゆみは運転してきた男の後をついて行った。
 男は口数少なく余計な話はしなかったが、それがどこか冷たい態度にもとれてなゆみも話しかけることは一切できなかった。だからひたすらついて行くしか道 が残されてない。
 エレベーターに乗り、上の階についたとき、ビジネスマン達の忙しく働く姿が目に入る。
 なゆみは辺りを見回しながら場違いなところにきたと萎縮してしまう。
 そして部屋の前で案内係の男が立ち止まりノックをする。
 中からくぐもった声で「カムイン」と声が聞こえ、ドアを開けるとそこにはスーツを着て机について仕事をしているスコットの姿があった。
「ハーイ」
 さわやかな笑顔を添えて元気のいい声を掛けられ、なゆみもつられて「ハーイ」と挨拶する。
 案内係りの男は深々とお辞儀をしてそして去っていった。
「(よく来てくれたね)」
 マホガニーの高級そうな書斎机から立ち上がり、スコットは優しい笑顔を見せてなゆみに近づいた。
「(だって、無理に迎えに来られたから来るしかなかった)」
「(そうかい? 別に断ってくれてもよかったんだよ)」
 意味ありげにニタッと笑うスコットは、なゆみが断らないとわかっているようだった。
 なゆみは確かに断ることもできたと思うと、もじもじと下を向いてしまう。
 しかし、これもまた断れないように計算されてあの男を起用したのではとそのときになって思ってしまった。
 前日に送ってくれた人もそうだが、スコットはそのときの状況を考えてそれにぴったりの人材を選んでいる。
 なゆみはなんだかスコットの策から逃れられない気になってきた。
 顔を上げてスコットを見つめれば、満面の笑顔を向けられなゆみはまたそれに騙されそうになっていた。
「(ベスから聞いたよ。帰国日にLAの空港で帰りたくないって大泣きしたんだって)」
「(あっ、やだ。やっぱり私の情報ベスから筒抜けだったんだ)」
「(ううん、ベスからは君のこと無理に聞いてないよ。だけど、ベスが君の事を心配して僕に電話掛けてきたんだ。あれからかなりいい友達になったんだって ね。ベスもなゆみが居なくなってすごく寂しがってた)」
「(うん、なんか意気投合しちゃった。私も彼女に会えなくて寂しい)」
「(それからカリフォルニアにもだろ)」
「(えっ?)」
  スコットには自分の心の内を見られているようでなゆみはドキッとした。
「(それじゃランチに行こうか)」
 スコットは背筋を伸ばしドアを開けエスコートする。あの異常な執着心を持つスコットのイメージがすっかり飛んでしまうくらい、その姿はしっかりしたリー ダーシップを持った身のこなしだった。
 なゆみは案内されるままスコットの後を着いて行く。
 途中通路で従業員にすれ違うと立ち止まり仕事の話を始めた。
 そのときの顔つきはりりしく、有能ぶりがよく見える。これもまた才能の一種であり、なゆみは素直にその姿がかっこいいと思ってしまった。
 話が終わると「カモーン」とまた爽やかな笑顔をなゆみに向ける。
 なゆみははっとして、ちょこまかと小走りになって後を追いかけた。

 スコットが案内した場所は、お昼の定食がある庶民的な食堂のようなところだった。
「(ここの日替わり定食がいつも美味しいんだ。なゆみもそれにするといいよ)」
 ビジネスマンが多く集まり、これといってお洒落でもなく、がやがやとうるさく慌しい場所だった。奥にはカウンターもあり夜はお酒を扱う居酒屋になるよう な店だった。
 金持ちなのにこういう場所を選ぶところがスコットらしくて、なゆみはつい親近感を抱いてしまう。
 スコットについ安心した笑顔を見せると、それに応えるようにスコットはなゆみの背中を数回優しく叩いた。
 いわゆるコミュニケーションのボディタッチだが、それが妙に心地いい。
 スコットに対するマイナスイメージがどんどん無くなっていく。
 席に着くと、おばさんがお茶を運んできてスコットに明るく話しかける。
「今日は女性と一緒なんて珍しいね、スコット」
「かわいいでしょ。僕のタイセツな人」
「あら、そうなの。いいわね、スコットのような人が彼氏で」
 なゆみは慌ててしまう。
「えっ、ち、違います」
「何も照れなくていいのよ」
 おばさんらしい気さくな返しをしながらスコットに注文を聞く。
 スコットは落ち着いた笑みを見せ日替わり定食を二つ注文した。おばさんは威勢のいい声でカウンターに向かって「日替わり2つ」と叫び、そしてまた次の テーブルへと行った。
「(スコット、今日はこうやって来てしまったけど、私には氷室さんがいるんだから)」
「(今のところはね。でもなゆみはヒムロと別れる……)」
「(ヤダ、そんなこと絶対ありえない。なんでいつも意地悪なの)」
 なゆみは困惑の目をスコットに向けた。やはり油断は禁物だった。わかっていたはずなのについスコットの思惑に乗せられ、またいつも通りに後悔してし まう。 
 しかしそれも長続きぜず、一瞬にしてまたスコットの話術に言い込められていく。
 なゆみも絶対に学ぶことなく、結局同じことの繰り返し──。スコットは充分熟知していた。
「(…… と僕が願っているってことさ)」
「(何よそれ)」
「(なゆみ、どうして僕の妹と仲良くなったんだ? あんなにいがみあってたのに)」
「(えっ、それは、ベスと話し合ったら心が通じたっていうのか、なぜかそうなった)」
「(それって、僕達もそうなれるってことじゃないか。ベスは僕の血の繋がった妹だし、きっと同じようになる。なゆみはまだ僕のこと何も知らないだけだ)」
「(でも、スコットだって私のこと何も知らないじゃない。それを一方的に一目ぼれとか言われても、ちょっと会っただけでなんでそこまで人を好きになれるの よ)」
「(だから、運命だって言ってるじゃないか。僕は君とあのバスジャックされたバスで出会ってから、ずっと忘れられなかった。こうなると神からのお告げのよ うにずっと一緒にいろって言われてるみたいで、一度そう思ったら僕は手に入れないと気がすまないんだ)」
「(何よそれ、ただの思い込みと執着じゃない)」
「(恋するって基本は思い込みと執着だよ。そして僕は一生君を思い続ける自信がある)」
 なゆみは少し身震いした。それは怖いからじゃなく、どこか心に訴えるものを感じて鳥肌が立つような感覚だった。
 その力強く言い切った勢いと共にスコットの本気が反映している瞳で見つめられると、術中にかかったように体が縛られた。
 スコットは急に目を細めてあどけなく笑う。
 なゆみはまたドキッとして慌ててしまった。
「(あの時みたいに君をさらって無理やり妻にしようとは思ってないから、その前に僕のことをしっかり見てほしいだけ。ヒムロよりもいいところわかってもら いたい。なゆみは僕のような男の方がいいと思うよ。きっと君の夢も叶えてあげられるだろうし)」
「(私の夢? 自分でもまだわかってないのに)」
「(そうかい? 僕にはなんとなくわかるよ)」
「(えっ、何よ)」
 そのとき定食が運ばれてきた。メインはイカや海老が入った大きな掻き揚げだった。そこにご飯と味噌汁、野菜のお浸し、漬物がついていた。
「オイシソー」
 スコットは早速手を合わせて「イタダキマス」と元気よく言った。箸も日本人と変わらないように持ち、揚げたての掻き揚げをつまんで早速口に入れていた。
 さくっと美味しく食べるその姿はなゆみも食欲をそそられる。手を合わせ「いただきます」となゆみも箸を取って食べだした。「美味しい」と目を見開いて食 べてしまう。
 スコットもなゆみも美味しいものを前にすると食事の楽しさで会話が弾んでしまう。
「(スコット、日本で頑張ってたんだね。日本語も箸の持ち方も上手い。それに私の父がすごくいい人だって絶賛してた)」
「(虎二さんにそう言われると嬉しい。虎二さんは僕の尊敬する人だから。僕も見習いたい。あの料理にかける情熱と事細やかな気遣いは、日本人の気質を感じ る。そんな虎 二さんの娘であるなゆみの素晴 らしさを益々感じたよ)」
「(ええー、父と私はまた違うよ)」
「(ううん、似ている。一生懸命なところとか、頑固なとこ)」
「(えっ、頑固なとこって……)」
 なゆみはおかしくなって笑い出した。しっかりと観察しているスコットに驚き、自分のことも言われているが、父親のことをちゃんと言い当ててるだけ におか しくてたまらない。
「(なゆみ、初めて僕の前で大笑いしてくれた。なんか僕嬉しい)」
 笑いはパワーとでも言うべき、心に変化をもたらしてしまう。
 なゆみもスコットといるのはそんなに嫌じゃなくなってきた。こうやって日本でも英語が話せるのが有難いとまで思う始末。
 警戒心も全くない無邪気ななゆみの笑顔をスコットはいとも簡単に引き出してしまった。
 それがあまりにも自然すぎて、スコットの戦略だとなゆみは気づくよしもなかった。
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