Temporary Love3

第二章


 食後、レジの前で支払いに財布を取り出すなゆみの手に優しく触れて、言葉なく表情だけで気にするなと伝えるスコットのさりげないしぐさは、なゆみをドキ リとさせ動きを止めてしまう。
 その隙にテキパキと支払いを済ませられると、なゆみはその好意を素直に受けてしまった。
 スコットが前を歩くとなゆみはすでに追うようについて行く。
 この時すでにスコットのペースに飲み込まれ、警戒心という言葉すらどこかへ飛んでいっている様子だった。
「(スコット、ありがとう)」
 なゆみが礼を言えば、スコットはにっこりと微笑む。そして気にするなと軽くなゆみに触れていた。
 そうされるとなゆみも気が楽になっていった。
「(これから、僕の会社の中案内するよ)」
「(でも仕事の邪魔になるといけないし、いいよ)」
「(僕が何をしているか、君に知ってもらいたい。それに君が気に入れば、僕は仕事を君に提供することもできる)」
「えっ?」
「(英語を使った仕事、探しているんだろ)」
 なゆみはもう何も言えなくなった。その先の言葉が出てこない。黙ってスコットの後をついて行ってしまう。
 日本で見るスコットは抱いていたイメージが一編に吹き飛んでしまった。
 ベスと仲良くなったのと同じように、スコットを知れば悪くない部分ばかりが目に見えてきた。
 その一方で、アメリカに強く拘り英語に惑わされ、日本に戻って急な変化に自分を見失っているなゆみは、スコットにはチャンスだった。
 それを充分スコットが承知し、大いに利用しているだけに過ぎない。
 これがスコットの戦略であり、日本で唯一アメリカを感じられるとばかりになゆみはスコットの思 う壺に知らずと嵌っていることに気がつけないばかりか、すっかりスコットを受け入れていた。
 スコットは自信たっぷりに威厳ある笑顔を見せつけ、益々なゆみの心を取り込んでいく。
 そしてなゆみがスコットと肩を並べて英語を交わしながら歩くと、すれ違う人たちの視線を浴びる。
 それがなゆみには他の人とは違う自分だけに与えられた特権のように優越感となってしまうのだった。
 スコットは甘いマスクでなゆみに笑顔を向け、言葉巧みに英語で話しかける。
 自分が望んでいる英語環境を作られ、なゆみはスコットの側を離れられなくなってしまった。
 スコットはなゆみを徐々に手懐けていく。
 自分の思い通りになゆみが動くとスコットも調子付いてきた。後は氷室の心を乱せばいいと、何かいい策がないか企んでいる。
「(スコットどうしたの? なんかすごく楽しそうに笑ってるけど)」
「(もちろん、君と一緒にいることが楽しいからさ)」
 そう言いつつも、氷室をやりこめることを考えると自信たっぷりに勝てると笑えてくるのだった。

 再びスコットの会社が入っているビルに戻って来る。エレベーターに乗ればスコットの会社の社員数人が軽く会釈をして緊張した面持ちになっていた。
 なゆみも後ろの方で居心地悪く乗っていると、緊張するなと言うようにスコットが笑みを向けた。
 そこでもスコットは背筋がきっちりと正されてトップに立つ威厳が現れていた。
 その後、スコットに案内されるままついて行き、なゆみはオフィスの中を見せてもらえた。
 大きな部屋ではデスクが横に並び、どの机の上も資料が山積みにされて、ごちゃごちゃとしたイメージがあったが、その周りで忙しく人々が働き、所々英語も 飛び交っ ている風景は 外資系のシビアな光景を見せられた気分だった。
 他の場所にも連れられると、ガラス張りの壁の向こうで会議をしている姿が目に入った。
 スコットに目が行くと中から軽く会釈をしている人々がいる。
 スコットは軽く手を上げて応えていた。
 なゆみも同時に注目を浴びたが、ジーンズとTシャツという場違いな格好が恥ずかしく下を向いて小走りに過ぎ去る。
 堂々としているスコットはやはりリーダーの器を持ったビジネスマンとなゆみは思わずにはいられない。なゆみは感銘を受けるようにじっとスコットを見つめ てしまった。
「(なゆみ、どうした?)」
「(スコットって、すごいんだね。会社を引っ張っていってる)」
「(今頃気がついたかい? そうだよ、僕は仕事はちゃんとするよ)」
「(でも一体何をしているの?)」
「(経営コンサルティングさ。沢山の企業のここぞと言ったときの重要な判断のアドバイスをしたり、経営のためのノウハウをプロデュースするのさ。父に飛ば されたから子会社でこんなことしてるけど、父は他にも色々と会社持ってるんだ)」
「(すごいんだね)」
「(いや、そんなことはないよ。僕はもっと他にやりたいことがある。例えば虎二さんのような本格的な日本料理レストランをアメリカで作りたいとかね)」
「(そうなんだ。それは本気だったんだ。てっきり父に近づくための口実かと思った)」
「(正直に白状すると、最初はなゆみの情報を集めて虎二さんの店に行ったことは認める。でも虎二さんの料理を食べたら感動しちゃった。本当に美味しかった ん だ。それにあの包丁さばきにも見とれた。武士が刀で切ってるみたいだった)」
「(父の包丁は確かに刀みたいだ。だけど、ほんとに父の料理を気に入ってくれたんだ。それからハリウッド俳優までつれて来てくれたんだね。スコットって一 体何者なの?)」
「(ああ、あれはたまたま友達が有名になっただけなんだ。僕は普通だよ)」
「(全然普通じゃない)」
 なゆみはブンブンと首を横に振る。
 スコットのオフィスにまた戻ってくると、仕事が少しあるからとスコットは電話を掛け出し、そしてなゆみはソファーに座って大人しく待っていた。
 スコットの話す英語が耳に入ると、聞いているのがだんだん心地よくなり眠気が出てくる。
 お腹も膨れており、時差ぼけで朝早く起き過ぎてこの時になって眠たくなってきてしまった。
 これではいけないと必死で踏ん張るが、じっと座っているだけでは眠気には勝てなかった。
 スコットが受話器を置いて、なゆみに視線を移す。すっかり寝込んでいる姿にどこかで見た光景だと笑えてきた。
 立ち上がり、スーツの上着を脱ぎ、冷房が効き過ぎて寒くならないようにとなゆみに掛けてやった。
「(約束したからね。無茶なことはしないって。でもなんか残念)」
 そして何か閃いたように笑みを浮かべると、なゆみの隣に寄り添うように座り携帯電話を手に持ち、自らの写真を撮り出した。
「(いい写真が撮れました)」
 スコットは頭の中で策を巡らせ一人で受けていた。

 なゆみが目覚めたとき、自分が寝ていた失態に驚いて咄嗟に立ち上がった。
 ぱさっとスコットの背広が落ち、それを慌てて拾い辺りを見回す。
 スコットは机に向かって書類を見つめて仕事をしていた。
「(やっとお目覚め?)」
「(ごめんなさい。時差ぼけで睡眠リズムがおかしくなっててつい寝ちゃった)」
「(別に大丈夫だよ。それに僕は何もしてないからね)」
 なゆみは置かれている立場にまた再認識する。よりにもよってスコットの前で無防備に寝るということは、ライオンの檻の中で寝ることと同じだった。
 しかし自分を見れば、冷房で寒くならないようにと背広をブランケット代わりに掛けてくれた以外は何もされた形跡はない。
 何も言えずに突っ立っていると、スコットが近づいてきた。
 なんだか落ち着かず、何かしようと手に持っていた背広をなゆみは「ありがとう」と渡した。
 スコットはそれを受け取りにこっと微笑む。
「(なゆみ、僕の会社で働かないか?)」
「(えっ? でも、私まだ何をしたいかわからない)」
「(僕の側に居れば、きっと君は気がつくと思うよ)」
「(スコット、私は……)」
 そのときなゆみは壁にかかってあった時計に目がいった。
 時間は5時半を過ぎていた。
「あー、どうしよう」
「(ヒムロとの待ち合わせかい? よかったらこの電話使って連絡したら)」
 スコットは自分の携帯電話を渡した。
 なゆみは慌てて、持っていた鞄の中から氷室の携帯電話の番号を探し掛けた。
「もしもし、氷室さん。ごめんなさい。遅れます。えっ、今、その、そこへ行く途中です。とにかくすぐに行きます」
 なゆみは携帯電話をスコットに返す。
「(スコット、今日はありがとう)」
「(早くヒムロのところに行くといい。それから、僕に会ってたということは黙っていた方がいいよ)」
「えっ」
 なゆみは一度振り返るも、焦りで気が動転してしまいその場を慌てて去っていった。
 バタンとドアが閉まった音を聞いた後、スコットはニヤリとして携帯電話を弄っていた。
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